燃ゆる帝国と炎の革命(1)
船に乗り、騎士団の追っ手を振り切ったアルネたちの旅路は、それはもう散々たるものだった。
タバサがその指と黄金色の瞳で操るまでもなく、梅雨を迎えた海上では幾度も雷鳴が轟いた。
そのたびアルネが雷の直撃を免れようと風の流れを探らなければならなかったので、何日も船に揺られた末、ようやく着陸するころには誰が見ても憔悴しきっていた。
スティルク領を脱した朝に降られて以降は、不幸中の幸いか、雨雲が空に立ち込めることはなかった。
「疲れた。もう限界だ。船で酔ったし。あぁしんどい。吐きそう。今すぐ死にたい」
そんなアルネの常套句を聞かずとも、上陸してからはとにかく疲れを溜めないよう適度な休息と、気配を消しながらの移動に努めざるを得ない日々が続くこととなる。
無理もない。
皮肉にもアルネたちが降り立ったのは、戦乱の最前線とも呼べる地の上──ノウド公国が長年敵と見做してきた『帝国』の領内だったのだから。
♰ ♰ ♰ ♰ ♰
「……もう行ったかな……?」
建物と建物の間。
路地裏とも言える細道から、アルネがそろそろと顔を出す。
いかなる道を進もうと、民間人に紛れてまったく同じ格好をした男たちが、数人単位でたむろしている。
「うげ。まだ突っ立ってるよ」
「あの鎧……間違いありません。帝国の軍兵です」
アルネの背後をしきりに警戒しながら、グレンダが囁く。
ひっと喉を鳴らしたアルネを安心させようと、懸命に柔らかな声を投げ続ける。
「ただ、このあたりは昨日歩いた通りよりも庶民が多いようです。不審な行動を取らず自然に振る舞っていれば、変装もしていることですし、多少は人目に晒しても問題ないでしょう」
「ですね。まさかあちらさんも、敵国の公子のお顔など知りっこないでしょうから」
セイディが相槌を打っても、アルネは付け髭をいじって落ち着かない様子だ。
軽い荷物で乗り込んでしまった以上、新しい馬を借りることも容易でなく、アルネたちは何日も徒歩での進行を強いられていた。
スティルク領で培った経験をもとに、
いつ雨が降るかもわからぬ不安定な気候の中、アルネに野宿させるような真似はグレンダもセイディも極力避けたかったのだ。
「ま、慎重に動くに越したことはありません。ノウドの公子様だって連中にバレたら、ま〜じで洒落にならないですから」
「うへぇ……嫌だよ、帝国の捕虜なんて。牢獄生活はまっぴらごめんだ」
「牢獄生活で済めば良いですけどね。地下道でも掘らされるんじゃないですか?」
本気なのかふざけているのか、セイディがアルネを真顔で脅しつけた時。
──カアン、カンカンカンカン!!
突然、空から鐘の音がつんざく。
さっきまで呑気にしていた目前の兵士たちも、慌てた様子で通りを駆けていき、図らずともアルネたちから遠ざかっていった。
喧騒に包まれる住宅街。だが、警報は一度鳴らされただけでは終わらなかった。
カンカン!!
カアンカンカンカンカン!!
ガンガン、カアン、カン、カン、カンカンカンカン……──
何度も、そしてあちこちの方角で。
国民たちに非常事態を知らせる鐘は止めどなく空で甲高い音を轟かせる。
「……っ! アルネ様、あちらをご覧ください!」
グレンダが遥か遠くでぼんやり見えた高い塔を指さす。
はじめは塔が雲に覆われているのかと思った。しかし実際には、雲は次第に黒ずんでいき、風の流れに従い火の粉を空へ撒き散らしている。
「煙……いや、火だ。火があの塔から上がっている」
アルネは呆然と塔を見据え、かろうじて呟く。
その胸に抱えていたのは恐怖ではなく、むしろ戸惑いだ。
帝国にとっては招かれざる客であったからこそ、アルネにもグレンダにも、今の帝国で起きている状況をまるで理解できないのだ。
「なあグレンダ。こんな事態は、僕たちが着陸してから何度目だ?」
「……ええ」
グレンダも深緑色の瞳を揺らめかせる。
実はあの鐘を聞いたのは今日が初めてではない。どころか、帝国で暮らす民にとっても滅多に鳴らされることがないであろうそれを、ここへ来てからすでに幾度となく聞かされていた。
「ただの火事……というわけでも無さそうですね」
「当たり前でしょうセイディ。同時に、それもあちこちで警報が鳴るなんてあり得ないわ」
いよいよグレンダたちよそ者でも、事態の深刻さを飲み込みつつあった。
まもなく、どこからか大きな爆発音。
次に耳にしたのは、駆けていった兵士と思わしき男たちの度重なる悲鳴。
放火犯にでも襲われているのだろうか?
それも、一人や二人じゃない。あちこちで同じような事件が乱発している──!
(いったい帝国でなにが起きているの……!?)
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