くもり空のから騒ぎ(4)

 変な沈黙が続いた。

 空気の巡りが悪くなり始めた中、状況を誰よりも理解していないグレンダが怪訝そうに三人を見渡す。


「え、なに? なにを言ったのエリック?」

「……いんや、別になにも」

「アルネ様、公衆の面前でこのような愚行はお控えください。それに、あまりご自身のことを悲観なさらないよう。誰にでも得手不得手はございます。少なくとも私は音楽家になどなれないでしょうし──」


 言いかけるとグレンダは、はっと閃いたような顔をする。

 途端に顔色を明るくさせれば、片頬を膨らませたアルネの肩へ手を添えた。


「アルネ様、それです! その手がありました!」

「えぇ? どの手?」

「あ〜そっかぁ! さっすがグレンダ様、確かにその手がありましたね!」


 セイディも同じことを閃いたのか、その場でくるりとワンピースを舞わせる。

 あっけに取られたエリックをよそに、グレンダとセイディはアルネの手を引っ張り始めた。


「そうと決まれば参りましょうアルネ様」

「行きましょう公子様。善は急げ、思い立ったらすぐ行動、ですよ!」

「えっ、えっえっ、えぇえぇ!? 訳がわからないんだけど!?」


 噴水の周りではすでに何人も足を止め、アルネたちの仲睦まじい光景に目を凝らしている。

 注目が集まりつつあったこの場から一刻も早く抜け出したいという思惑もあり、グレンダは強引にアルネを連れていったのだった。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



 グレンダたちが店に着くと、仁王立ちして両腕を組み、険しい顔をして帰りを待ち構えているタバサの姿があった。


「遅い! いつまで休めば気が済むんだ田舎者連中が──」

「失礼。ですが、アルネ様には調理場よりもさらに輝ける舞台があるのです!」

「は? あ、ちょ、おい!」


 タバサの脇をすり抜け、グレンダはアルネとともに店内を突っ切る。

 その後をセイディが追いかけていくのを、タバサは引き留めようとしたが。


「まあタバサ嬢。女性陣はともかく、あの兄さんはどうせ木偶でくの棒だったんで」


 自分の騎士までもがそんなことを言い始めるから、タバサはいっそう怒りをあらわにした。


「馬鹿者。木偶でくの棒だからと突っ立っているだけで仕事が成り立つほど、世間様も私も甘くないのだ!」

「本当に突っ立っているだけのつもりじゃ無さそうですよ。ま、あんたはどしっと構えてご覧あそばせ」


 悪ノリを隠さないエリックが、市場で新たに仕入れてきた珍妙な帽子を被り込む。

 やがて店内へ戻ってきたグレンダたちが、その手に持っていたのは楽器だった。


「うえぇ……こんな大勢の前で……」

「客引きも立派なお仕事です、アルネ様。さ、お早く外へ」


 ヴィオラを片手に店を出ていくアルネ。

 グレンダが鈴太鼓タンバリンを持っているのを目にすると、エリックは小馬鹿にした調子で。


「お前はしとけよグレンダ。古今東西、戦力外だろ?」


 そんなエリックも、おおよそ次の展開が読めていたのだろう、どこからともなくアコーディオンなんかを持ち出してくる。

 なにも返事をしなかったグレンダが、店の窓際で面子がそろったのを確かめるなり鈴を四回鳴らした。



 赤く染まりつつあった空の下で開かれる、小さな音楽会。


 グレンダにもっと音楽の素養センスがあれば、今ごろは一本調子な手叩きではなく軽やかな二拍子がリンリンと鳴り響いたことだろう。

 しかしリズムが多少いびつでも、滑らかな弦楽器の旋律と安定したアコーディオンの伴奏、そしてセイディによる花のようなまいさえ揃っていれば、通りすがりの人々の足を止めさせるにはじゅうぶんだった。


(え、な……)


 タバサが店内から窓越しにぽかんとしていると、外はあっという間に人だかりができて、セイディが踊りながら配っているお品書きを片手に、何人かが店の扉をくぐり出す。

 やがて音楽に紛れて大きな歓声が上がったかと思えば、どうやらアコーディオンを手放したエリックが、その場で宙を一回転したらしい。


(こ、こいつら……昼間の皿回しといい後転バクてんといい……)


 騎士たちの知られざる一芸を目の当たりにして驚いたのは、なにもアルネだけの話ではない。


 夕飯時を迎えた店がいつになく賑わいを見せ、店の外も内でも拍手やら口笛やらが飛び交う。

 お祭り騒ぎでとうとう調理場にいた主任チーフさえも仕事を放り出し、フライパンをガンガン叩いてアルネの演奏へ茶々を入れ始めた。



 いよいよ演奏も佳境に入り、セイディとエリックが手を取り合ってグルグルと踊る。

 セイディが華麗な着地を決めた瞬間、道端ではあちこちから硬貨や紙幣が投げられた。

 しばらくの間は人混みが捌けることなく、ようやっと落ち着いた頃合いには、エリックが両手に抱えた帽子の中に山盛りのクローネ。


「タバサさん。なあ、タバサさん!」


 店へ駆け込んできた付け髭姿の奇妙な旅人は、演奏しきった達成感と歓声の渦に包まれた高揚感で胸をいっぱいにしながら、真顔のタバサへ紅潮した顔を向ける。

 アルネがきらきらした青い両眼で、自信たっぷりにタバサへ宣言するのだ。


「決めた。僕、これからは大陸中をさすらう吟遊詩人バードになるよ!」

「……ああそう。どうか達者でな」


 それがタバサに返せる精一杯の激励だった。

 ただ内心でのみ、男爵令嬢の立場としては……エリックは旅の道連れになどしないでおくれよと、切に願うほかなかったのである。

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