くもり空のから騒ぎ(1)

 森を抜ければスティルク領は曇り空だった。

 郊外の大通りに立ち並ぶ商店はどこも準備が整っておらず、人々は朝から忙しなく手を、体を動かしている。


 早い時間からこれほど賑わっていれば確かに、赤いスカーフを頭へぐるぐると巻き、口元に付け髭をたくわえたアルネの変装を不審がる者はあまりいないだろう。

 もちろん、タバサから服を借りたグレンダも。


「く……んぐ……うぅ……」

「きびきび歩けグレンダ嬢。そんなに縮こまっては騎士の名折れだよ?」


 うつむき顔を隠しながら呻くグレンダ。

 タバサ自身は下衣ズボンを履いているくせに、なぜ自分だけは胸元で派手なフリルが目立つ純白のブラウス、曇り空に取って代わったような真っ青のスカートという組み合わせの格好で町を練り歩かなければならないのだろうか。

 本来であれば令嬢であるタバサが纏うべき衣装が、小屋のタンスで眠っていたというのだからたちが悪い。


「致し方なかろう? きみが淑女のくせして、いかにも騎士を名乗ったような服しか持っていないのが悪い」

「だ、からと言って……もう少し、慎ましい柄の服はご用意いただけなかったのですか……!」

「生憎それは私ではなく、歴代の愛人の趣味でね。使い道に困っていたものを予備として森まで隔離させてあったのだ」


 歴代の愛人という響きに顔を歪ませたのはグレンダだけではない。

 そんなに日頃から男を取っ替え引っ替えしているのかと、誰かしらが突っ込みを入れるより前に、


「しかしなんだ。問題はデザインより寸法サイズだな。特に……」


 タバサはなんの遠慮もなくまじまじとグレンダの胸元を眺めて。


「エリックと同年タメの割には発育がよろしくないね。ちゃんと食べているのか?」

「な、よ、余計なことを──」

「その見当は少々違います、タバサ嬢」


 グレンダが反論するよりも前に、


「こいつは自分が騎士だからって剣の速さを売りにしたいから、年中さらし巻いて風の抵抗を減らしたおかげで大事な大事な女の胸囲を犠牲にしちまったんですわ」

「おお、なるほど。女と騎士の二兎にとを得られぬとは実に哀れな」

「なぜ知っている!」


 エリックから思いがけない証言を食らってしまい赤面すれば、んべ、とエリックは舌を出しておどける。


「さては、見たな? 浴場上がりの着替えを見ていたのね!?」

を疑うとは失敬な。俺でもアクセルでも『雛鳥の寝床エッグストック』の同期ならみぃんな知ってるこった」

「よし殺す。皆殺しにしてやる。あなたたち全員処刑台に並べ!」

「諦めなお嬢さん。今やお前と同室になった輩は国中で散り散りだ。皆殺しが早いかお前らが捕まるが早いか、そんなもん自明の理ってやつよ」

「グレンダ様とエリックさん、ほんっっっと仲良いですね〜」

「「良くない!!」」


 セイディの茶化しにふたり揃って声を荒げたなら、アルネはその仲睦まじさに不服そうに顔をしかめた。

 つかつかとグレンダの隣りまで寄ってくるなり、わざわざエリックと分断させるような位置を陣取って、


「おいタバサさん。結局のところ、今日は僕たちをどう働かそうって?」


 ぶっきらぼうにたずねてくるので、タバサは歩きながら肩をすくめた。


「良い歳して嫉妬するな、見苦しい」

「うるさいっ! 僕の目が黒いところでグレンダに変な仕事はさせないからな!」

「少しばかり人前に立ってもらうだけだよ。そこのメイドと一緒にな」


 タバサが立ち止まった目線の先に、古びた建物があった。

 窓や看板に貼り出された紙切れを見る限り、昼間から晩にかけて酒や料理を提供する、典型的な飲食店のようだ。



「──お帰りなさいませ、お嬢!!」


 タバサが玄関を開けた途端、店内で散らばっていた屈強な男たちが、すぐさま横一列に並び頭領の帰りを出迎える。

 本当に男ばかりだ。騎士学校の教官でもなかなか見かけない、青年から中年層の美しい肉付きをした男たち。


「お嬢! お荷物お持ちします」

「おう」

「お嬢! 狩猟の首尾はいかがでしたか」

「肉は夜のうちにそこの客人と分けてしまったよ。皮と角だけ回収しておいた」

「お嬢! そちらの方々は如何様いかように扱えばよろしいですか」

「さっきまでは客人だったが、ただいまより貴様らと同じ店番のひとりだ。きっちり稼ぎが出るよう躾けておくれ」

「御意!!」


 仰々しいやり取りをタバサの背後で唖然として眺めていたアルネたちだったが、ぎらついた男たちの目力が一斉に自分たちにも飛んでくると、勝手に体は強張った。


「よ、よろしくお願いしま〜す……」

「特にこのちょび髭」


 おずおずと会釈し返そうとしたアルネの肩を、タバサがぐっと掴む。


「目一杯しごいておくれ。でなきゃ、最後まで見かけ通りの木偶でくの棒となってしまうからな」

「な、なんだって──」

「御意」


 アルネが憤慨する暇もなく、男のひとりがアルネの腕をやや乱暴に引っ張っていく。

 そのまま調理場へ連れていかれてしまい、グレンダが引き留めたり手荒な扱いを注意したりする余裕すら与えてもらえない。


「まあ心配するなよグレンダ。アルネ公子のことは俺も見張っておくから」

「……っ、見張るべきはアルネ様ではなく、彼らの横暴よ!」

「みんな良い人ばっかだって。ちょっと厳しい主任チーフもいるけど慣れればへーきへーき」


 エリックもアルネの後を追うように調理場へ消えていく。

 まもなく、中から主任チーフの怒声と思わしき轟音が聞こえてきて、グレンダはかつて自分も経験した、騎士学校編入初日の洗礼の数々を思い起こす。


「あ、アルネ様……本当に大丈夫かしら……」

「アーメン、公子様……死なないでくださいね」


 なぜか天井に祈りを捧げ始めるセイディを、グレンダは白い目で見下ろした。

 次いで女性陣ふたりも店内の準備と接客に回され始め、いよいよタバサの商会でのお務めを果たす時がやってきたのであった。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



 騎士たるもの、グレンダは剣だけでなく客人への立ち振る舞いかたも訓練生時代から徹底してきた。

 飲食店の接客など初めての経験だったが、もとより高い素養を備えたグレンダも、接客が本業も同然のセイディもすぐに商会の雰囲気に馴染んだ。


「へ〜、見ない顔だと思ったら旅人かい!」


 客の夫婦に話しかけられ、セイディは満面の笑顔を返す。


「はい! あたしと公し……アルネさんと、グレンダさんの三人で、芸をしながらあちこち巡っているんですよ〜」

「はあん。聞いたかい、あんた。このお嬢さん、芸ができるんだってさ」


 当然、夫婦からはその場で芸とやらを見せろとせがまれてしまう。

 ありもしない作り話を並べていたセイディを、違う席に皿を置きながら、グレンダははらはらしながら盗み見ていた。


 しかしグレンダの不安をよそに、軽い咳払いをしたセイディが突然歌い始める。

 一聴すればただの歌かと誰もが思ったが、次第に裏声から地声まで、およそ少女の喉から発せられているとは考えられないほど多彩な音色が飛び出してくる。

 人だけでなく小鳥のさえずりや狼の遠吠え、あらゆる生物の鳴き真似まで芸を広げはじめ、夫婦だけでなく周りの客たちからも注目の的となった。


「おお〜っ、良いぞ嬢ちゃん!」


 盛大な拍手を受け、やっと歌うのを止めたセイディがふふんと得意げに胸を張る。

 ボムゥル領でも一度たりとも目撃しなかったセイディの秘技に、グレンダも盆を抱えたまま口を半開きにして立ち尽くしてしまう。

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