男爵令嬢の華麗なる休日(2)

「……足音です」


 すぐにタバサのそばまで戻ってきたエリックが、


「まだかなり距離はありそうですが、北西から何匹か」

「新手の獲物か?」

「いんや。獣は獣でも……人間だ」

「ほう」


 背中にこしらえていた剣を鞘からすぅと抜く。

 大振りの剣だ。自分の上半身ほどもある刃渡りに、タバサの胸や腹よりも広い鉄板。

 人間の気配と聞いて、タバサも猟銃を構え直しながら愉快そうに笑う。


「ヴァイキングか敵国の偵察兵か放浪の山賊か……なんにせよ、良い趣味をお持ちの客人だ。まさか砦のほうではなく、国境くにさかいの反対側から飛び込んでくるとはね」

「ヴァイキングといえば、イース領での襲撃も敵国の仕業らしいですね。同じ出所の輩かもしれません」

「面白くなってきたじゃないか。精が出るなエリック、貴様待望の騎士様らしいお仕事だ」

「ご冗談。あんたがここまで遊びにこなきゃあ、俺には発生しなかった残業だ──!」


 強風が吹くと同時にエリックは駆け出した。

 銃口を向け援護の姿勢に出たタバサへ背中を預け、森中の茂みをかき分けながら気配がした方角へ一直線に走り出す。

 風音に紛れてぐんぐんと距離を詰め、ひとつの人影が木々の間からふっと現れた瞬間──



「死ね」


 冷徹な声と共に、大剣を躊躇いなく振り落とす。

 もし敵国の諜報員であったなら、タバサや男爵の前で情報を吐かせるためにも生け捕りにするのが一番の理想だ。


 だが、スティルク領では。

 国境くにさかいの砦を隔てた盆地に集落を構えた、公国でもっとも緊迫した環境下におけるこの地では、理想という名の甘えは他のなににも替え難い天敵だった。

 一瞬の隙が、わずかな油断や判断間違いがそのまま命取りとなる過酷な世界。

 敵を一撃で葬らんとするエリックの剣筋に、迷いなど一切あるはずもない。


 そして、ほふる覚悟を有していたのはエリックだけではなかったらしい。

 激しくぶつかり合う鉄の音。

 即座に後退し、敵の全貌を確かめようとしたエリックは、


「──は」


 見つけてしまう。

 被っていた頭巾フード外套マントの隙間からきらりと光ったのは、自身が左胸に付けているものとまったく同じ徽章バッジ

 ただの賊だと思っていた相手が、藤の花ヒースを胸に掲げていた事実はエリックに少なからぬ衝撃をもたらした。


「……っ、てめえ!!」


 変わらず殺気を振りまき続ける相手に、エリックも剣の手を緩めるわけにはいかない。

 数撃ほど剣を交えた直後、さっと寒気がしたことで先ほどよりも大きくその場から飛び退いた。

 轟音とほぼ同時にエリックのふくらはぎを掠めていったのは、確かにタバサとは反対の方角から放たれた銃弾だ。


 弾は当たらなかったが、もとよりその射撃は仲間を援護するための弾だ。

 後退したエリックよりも早くに着地点まで飛び込んできた敵は、細身の剣を喉元目掛けて差し込んでくる。

 それを避けるために体勢を崩してしまったエリックへ、敵はそのまま馬乗りとなる。


 ザンッ!!

 倒れたエリックの真横で、地面へ深々と突き刺さる剣。

 頭巾フードの奥から初めて直接目にした、その顔にエリックは息を呑む。



「ぐ……れん、だ」


 ──深緑色の両眼が、瞳孔を開きながら自分を睨みつけていた。

 あまりに苛烈で、しかし可憐さをも滲ませたその騎士の表情を、エリックは誰よりもよく知っていたのである。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



 とうとう森から喧騒が消えてしまい、タバサは銃を構えたまま舌打ちした。


(最悪だ。せっかく久方ぶりに使いものになりそうだった奴が……)


 男爵令嬢という決して低くない身分である以上、次に取るべき行動は悩ましい。

 今はとにかく騎士を捨て置いてでも、町へ援軍を呼んでくるか。

 あるいは生死の危険を顧みず、賊の顔をこの目でしかと焼き付けるか。


(……いや。選択の余地すら与えられなかったか)


 タバサも今度は気が付いた。

 いくつもの足音が、だんだんと自身へ近寄ってくることに。



「──だ。おい、グレンダ!」


 エリックは生きていた。

 賊に引き摺られるようにしてタバサの元へ帰ってきた騎士は、あきらかに動揺した素振りで、首筋へ刃を向け続ける者へしきりに声をかけている。


「グレンダだよな!? なにやってんだ、こんなところで……お前、配属はボムゥル領のはずだろ!?」

「お黙りなさい。ここで会ったが運の尽きよ」


 ぴしゃりとエリックの追及をいなしたグレンダが、次はあるじと思わしき女へ鋭い声を浴びせた。


「こちらからの要求は三つ」


 問答無用と言わんばかりの剣幕で、


「ひとつ、ただちに馬もしくは船の手配をすること。ふたつ、この森ならびに領内の通過を認めること。みっつ、ここで起きたことはすべて他言無用とすること」

「生憎そいつに人質の価値はない」


 要求の言葉を並べ立てたグレンダへ、タバサも負けじと対峙する。

 銃口をグレンダへ向けたまま、エリックの目前で平然と。


「こちらとて、小間使いなどいくらでも代わりは用意できるからな」

「だぁからタバサ嬢! 俺は小間使いじゃねえんですって!? 騎士、騎士だから!! ヘイ、グレンダ。グレンダもこれはいったいどういう了見だ!? 俺だよ俺、ヤイヘーテル、エリック! まさか俺のことを忘れたわけじゃないだろ!?」

「黙れと言ったのが聞こえなかった? どちら様かとんと存じ上げませんが初めまして、そしてさようなら」

「だあぁああもう殺せ! いっそ殺してくれ!! これ以上俺の自尊心プライドに傷を付けられるくらいならここで死んだほうがましだ!」


 双方から罵倒され、エリックが半ば自暴自棄に陥りつつあった頃。



「──なにっ、タバサだと!?」


 がさごそと。

 茂みの奥で姿を隠していたはずの別の人物が、グレンダの背後からのこのこと。


「ちょっと公子様、出てきちゃあ駄目ですって!」

「まずいまずいまずい、タバサはまずいぞグレンダ! あの女はノウドで公爵の次に敵に回しちゃあいけない女だ!」


 年端もいかない少女と揃って顔を出したのは、銀髪碧眼の青年だ。

 グレンダと同じように森と同化した色の頭巾フードを被っていたが、その吹いた風で溶けてしまいそうな銀髪が、タバサにはやけに見覚えがあった。


「……アルネ……? へリッグ家第七公子、アルネ・ボムゥルなのか?」

「こっこここ、公子ぃ!?」


 急に拍子抜けした声を漏らすタバサと、いっそう喚き散らすエリック。

 緊迫した空気をまるで意にも介さないアルネの登場で、森中で繰り広げられた睨み合いはあっけない終わりを迎える。


「あ〜〜〜あ……やっちゃった……」


 こめかみを指で押さえ、やれやれの仕草を見せるセイディ。

 最後に断末魔を上げたのはもちろん、一方的に被害をこうむった彼であった。


「な、なな、ななななな……なぁんだよぉこれぇええぇえええええっ!?」











※余談:「ヤイヘーテル」とは、ノルウェー語で「私の名前は〜」という意味です。典型的な自己紹介に使うアレです。

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