三章 半島縦断と騎士団の追手

男爵令嬢の華麗なる休日(1)

 銃声。

 森奥で鳴り響く鉄の音と、まもなく狂い咲いた猛獣の号哭ごうこく

 鳥たちが一斉に空を羽ばたき、やがて大きな図体が茂みでドサリと倒れることで、森は再び静寂を取り戻す。


 針葉樹が連なる大自然の平穏は、一頭の大鹿によって保たれた。



「お見事」


 猟銃を下ろした狩人へ、付き添いの男が淡々と腕前を称える。


 その男は騎士だった。

 つやがかった灰色の髪をかきあげ、あるじが先ほどまで銃口を向けていた方角に目を向けたまま、


「時に──。なんであんたは毎度毎度、自分の趣味に俺ばっか引き摺り回してくれるんです?」


 気だるさをわざと演出しながらパキポキと首を鳴らす。


「知ってます? 新入りには、国境くにさかいの見張り番が他の騎士より多く回ってくる習わしなんだ。けどあんたがあんまり俺のことを懇意に扱ってくれるおかげで、俺にはいよいよ番すら回らなくなってきやがった」



 厳密には、彼女はこの男にとって正式なあるじではない。

 この地──ノウド公国スティルク領は、彼女の父である男爵が地主となり、騎士団『消えた地平線ネイビーランド』によって領地と民が長年守られ続けている。

 まだ青年と呼ぶには若すぎる男も、春から『消えた地平線ネイビーランド』に配属された騎士のひとりだった。



「で、なぜに俺だけ? 新人は今期だってわんさか居るってのに……」

「光栄に思いたまえ」


 タバサ・スティルク──男爵令嬢の女は、猟銃を下ろし革のジャケットに手を突っ込んだかと思えば、ポケットから煙草の箱を取り出す。

 男が森中では火を出すなと注意したばかりにも関わらず、タバサは無造作にライターへ煙草を近づける。


「面子を見たところ貴様が一番、連れ回すのに具合が良さそうだったからだ。女の勘とでも表せば納得するかな?」

「さいですか。女の勘とやらで騎士からただの下僕に成り下がった、俺の面子はまるで考慮してもらえないと?」

「だからそう卑下するなよ。騎士としての貴様の度量を買ったと私は言っているのだ。あるいは忠誠心とでも呼べば満足するかな?」


 煙草をふかし、タバサは厚い唇を歪ませた。

 肩までかかった黒髪をジャケットに隠れた胸元であだやかに揺らし、つい先ほど仕留めた鹿よりも獰猛に、黄金色の両眼を煌めかせる。


「へいへい、俺は忠実なるあなた様の騎士でございます。んじゃ、日が暮れないうちにとっとと帰りません?」

「元よりそのつもりだ。とっとと商会の野郎どもを呼んでこい。私が小屋でこれを吸い終える前に戻ってこなかったら殺す」


 文字通り顎で使われているエリックは、演技でもなんでもなくげんなりした表情を浮かべた。

 口をへの字にし、憮然とした顔のまま町の方へ歩き始めると、タバサが茶化すように、


「ほうら、やはり私の勘は正しい。新入りにしてはなかなかどうして甲斐性のある男じゃないか。……もしや貴様。女の尻に敷かれ慣れているのか?」

「勘弁してくれ!」


 こんなことを口走ったので、エリックはすかさず振り返る。 


「そんなものに慣れちまった暁には、いよいよ騎士がどうのうじゃなく俺の男が廃っちまいますわ……──」


 反論しているうちに動作を止めたエリックへ、タバサは片眉を上げる。


 エリックは耳をすましていた。風の音、木々のざわめき、鳥のさえずり。

 それこそ騎士の勘が働いたのだろうか。

 自分たちが狩る側だったはずの平穏な森に、なんらかの不穏な変化が起きたことをエリックは感じ取っているようだった。

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