旅立ち(1)

 アルネは自らが愛のために領土を捨て、そんなアルネが未来のために、カイラは長年縋ってきた愛を手放すと決める。

 すべての運命が定まり、まもなくセイディは旅支度に取り掛かった。


「公子様もグレンダ様も道中ほとんどお休みにならなかったのでは? 顔色悪いですよ。残りの用意はメイドに任せて、おふたりは早起きできるようさっさと寝てください。特に公子様……連続で早朝出発なんて、とても耐えられないでしょう?」


 大人を小馬鹿にするような口振りでアルネをひとしきり怒らせてから、セイディは屋敷を出て、うまやの主人へ馬を借りにいく。

 とうに夜は更けていて、閑散としたボムゥル領を駆けていたのは年端もいかないワンピースの少女、セイディただひとりだ。



「……また遠出するのか?」


 うまやに到着したセイディを出迎えたのは主人だけではない。

 主人と同じ屋根の下で暮らしていたヨニーも、半目を擦りながら夜中の騒ぎを聞きつけてくる。寝巻き姿だったので、もしかしたらすでに寝床へ着いていたのかもしれない。


「こんな時間に借りにくるってことは、出るのは早朝か」

「ええ」

「連日ご苦労なことだな。イース領の次はどこへ行くんだ?」


 馬の手綱を引くセイディはなにも答えなかった。

 言えるはずもない……領主の屋敷からの夜逃げに使うんですこの馬、などと。


(ごめんなさい、ハンセンおじさん。馬を返せるのは当分先になると思うわ……)


 心中でのみ主人へ詫びを入れつつ、セイディは仏頂面でヨニーにうそぶく。


「公子様や騎士様だけじゃない、乙女はいつだって忙しいのよ。絵本にもあるでしょう? お姫様シンデレラは時計の針が十二になるまでが勝負なの」

「いや意味わかんねえって……公子様はちゃんと起きてこられるのか?」

「もちろん。公子様には今や、グレンダ様っていう素敵な女性がいらっしゃるもの」


 当然ヨニーはしかめ面を浮かべる。

 自治団の訓練で亜麻色の髪を振りまきながら、剣を振り草原で飛び跳ねるグレンダの背中にいつも思い馳せている彼にとって、アルネ以上の恋敵などいるはずもなかった。


「それほど騎士様がお気に召していたの?」

「……悪いかよ」

「い〜え別に。でもいつも言っているでしょう。あんたみたいなお子様じゃ、グレンダ様にはいつまで経っても振り向いてもらえないわ」


 帰路へ向かうセイディがヨニーへ振り返り、んべ、と小さく舌を出す。


「帰ってきたら教えてあげる。私たち淑女への正しい言葉遣いと、紳士らしい振る舞いかたってやつをね」

「余計なお世話だ! 大して歳も変わらないくせに。お前なんか淑女でもなんでもないやい!」


 真っ赤な顔で叫んだヨニーの声が、闇夜にすぅと溶けて消える。



 セイディは正面を向き直し、腐れ縁の少年に別れを告げた。

 馬を引き一度歩み始めた両足を、決して止めようとはしないままで。


「おやすみなさい、ヨニー。自治団のみんなにもよろしく」


 さよならとは言わなかった。

 背中からなにかを喚く声がしたけれど、今更振り返ったところでもう二度と、領民たちともヨニーにも再び会うことはないであろう。

 ……そう、フリューエ・セイディの勘が囁いていたのだ。

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