真夜中の舞踏会と襲撃者(6)
女は藍色の瞳をとろんとさせたまま、剣先を突きつけられても危機感をまるで抱いていない様子で戯れ言を歌う。
「……酷いわ、穢らわしいだなんて。あなたも異国の人間じゃない」
「よくもクラウ先輩、私の同胞をっ!!」
「同胞だったの? 彼。あなたを……あなたも嫌っている風だったけれど」
「好き嫌いの問題ではない。彼も紛うことなき、ひとりの騎士なのだからっ!」
いったいどこでグレンダとクラウの会話を聞いていたのだろうか。
そんなことを考えている余裕はグレンダには無かった。凄んだまま女を問いただす。
「どこの
「ふ、ふふ。うふふふふふふふ……」
女は答えるどころか、余裕たっぷりに笑みをこぼして。
「あなたに私は殺せない。私たちの舞台は──千秋楽はここじゃないもの」
グレンダの視界は急にぐらつく。
地面が女の体ごと溶け落ちるような感覚。次に意識を集中させた時には、気がつけば女はグレンダを跳ね除け、騎士たちの囲みすら抜けた窓のひとつへ足をかけていた。
「貴様っ、どこへ行く!!」
「またいっぱい血が流れるわ。美しい綺麗な、とろとろした血が。ふふふ、ふふふふふふ、ふふふふふふふふふふふふ……!」
子どものように無邪気な笑顔で、女はとうとう自ら名乗りを上げた。
「──ジュビア」
暗闇と同化しながら。
「『雨の魔女』ジュビアよ。ねえグレンダ、私たちきっと素敵なお友だちになれるわ」
「誰が貴様などとっ!!」
「グレンダ。まだ見ぬ
ジュビアが告げた台詞にグレンダは背筋を凍らせる。
……やはりこの女。『
彼女は私の目を──『
ジュビアは窓から真っ逆さまに落ちていく。
騎士たちが慌てて窓まで駆け寄ったが、遥か高いところから落下したジュビアの姿は、真っ赤な薔薇のドレスごと暗闇へ完全に溶けてしまった。
(ジュビア……『雨の魔女』ですって?)
窓から身を乗り出しながらグレンダが
かくして騒然となった真夜中の二次会は、誰もが予想だにしなかった形で幕を下ろしたのだった。
♰ ♰ ♰ ♰ ♰
「くそ……逃したか……」
ジュビアが去った窓を見据え、アルネが会場で舌打ちする。
はっとしてグレンダが駆け寄ったのは、アルネの足元でぐったりしているクラウだ。
「先輩、先輩! クラウ先輩っ!!」
「……しけた面するな……
他の騎士に傷口を止血されている白い顔したクラウが、グレンダの呼びかけに弱々しい声で悪態をつく。どうやら意識は残っているらしい。
グレンダはクラウの手を強く握りしめ、懸命に声をかけ続ける。
「クラウ先輩っ、どうか気をしっかり持ってください!!」
「うるせえな……今さら女みたいに……しおらしくするんじゃねえよ。俺も、お前も……死んでもてめぇのあるじを守るのが騎士の務め……違うか?」
「……っ、それは──」
「ああ違うな。そんなわけがあるか!」
言葉を詰まらせたグレンダの代わりに鋭い声で答えたのはアルネだった。
アルネもオイスタインも、無事だった騎士たちを集めてしきりに指示を送っている。
「今すぐ彼や負傷した者たちの手当てを! 死んで果たせる務めなんてあってたまるか。たとえどんな立場の人間だろうと……騎士であろうともだ!」
アルネの呼びかけに、グレンダはぎゅうと胸を締め付ける。
目前のクラウだけではない。さっきまで会場にいた使用人の女性も、階下で戦っていた騎士たちも……おそらく誰かしらは、すでに命を落としていることだろう。
「……どこから入り込んだんだろうな」
次々と負傷者が他の部屋へ運ばれていくのを見届けながら、
「もしも僕がこの魔法でちゃんと侵入を察知できていたら……あの使用人も、きみの仲間たちも傷つかなくて済んだのに」
「アルネ様に落ち度はございません」
そう自身を責め立てるアルネへ、グレンダはそっと背中を支えた。
ジュビアとの攻防でいささか魔法を使いすぎたのだろう。目に見えて疲弊した顔をするアルネへ、周囲からは聞こえないほどの小声でグレンダが呼びかける。
「アルネ様。後のことは『
「……ああ」
「酔いのほうは? 今晩はもうお疲れでしょう」
「とっくに覚めたよ。……酔いも眠気もすべて、完全に目が覚めきってしまった」
おそらくアルネの返事に偽りはなかった。
表情こそ憔悴しきっていたが、その碧眼だけは確かに、突如現れた災厄の存在に対する怒りの炎がまだ収まりきっていないからだ。
「……『雨の魔女』だと? ふざけるんじゃない」
アルネは静かに呟く。
グレンダは返事こそしなかったものの、次に彼が放った言葉に深く共感したのだった。
「嫌いだと再三言っているだろう。雨も──大事な人が傷付くのも」
♰ ♰ ♰ ♰ ♰
結局、アルネは寝室へ戻っても明け方になるまであまりきちんと眠れなかったらしい。
ふらふらした足取りでオイスタインの執務室まで案内されれば、道中の廊下ですれ違った騎士がグレンダへ話しかけてくる。
「クラウは無事だ。幸い命は取り留めた」
「──っ! 本当ですか!」
その報告にグレンダは顔色を変えた。騎士へ詰め寄るように、
「彼の容態はどのような!? いずれ騎士団へは復帰できるのでしょうか」
「回復に月日がかかるのは確かだ。いつ戻ってこられるかはわからないが……きみがいち早く襲撃者から彼を引き離してくれたから、応急手当が間に合ったのだ」
そう質問すれば、騎士の返事でグレンダは途端に脱力する。
廊下で倒れ込みそうになるのを、アルネが背後から支え直してくれた。
「良かった……クラウ先輩、ああ良かった……!」
「……グレンダ……」
アルネはグレンダの頬から、一筋の涙が伝ったことに驚く。
昨夜はあれほどクラウへ嫌味を言っていたというのに、それでも顔見知りの騎士が無事であれと切に願っていたことを、アルネはここに至るまで気がつかなかった。
すると、グレンダの様子を見ていた騎士はその肩へぽんと手を置いた。
グレンダやアルネよりも年上そうに見える騎士の男が、その表情に浮かべていたのは紛れもなく襲撃者への怒りと、騎士としての矜持だ。
「さあ、公子様も早く中へお入りください」
オイスタインの執務室へ招かれる。
部屋に入るとアルネは驚いた。そこには毅然とした面持ちのオイスタインを正面に、団長や幹部級と思われる佇まいをした、年配の『
そして当然、グレンダも昨晩の赤いドレス姿ではなく、騎士としての黒い佇まいで会合に臨んだのである。
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