アルネ、初めての社交パーティ(4)

「あの二人。昔、交際していたんだぜ」

「…………えっ。…………」

「それこそ婚約もしていたんだと。それが、急に公子様のおりしなきゃならないっつって、フリューエ・カイラから破談を言い渡されたんだとさ」


 まさしく寝耳に水な話だ。色事に鈍いグレンダもさすがに調子を崩してしまう。


「男のほうが婚約破棄させられるなんて屈辱だよなあ? まあでも、ご城主ときたら結構な物好きだよ。懲りずに毎年呼びつけるっつうことは……つまりそういうことだろう?」

「…………」

「金も権力も有り余っているんだから、女なぞ世の中いくらでも居るだろうに。現に今や、四人も妻を抱えていらあ。まったく、お盛んで羨ましい限りだよ」


 グレンダは途中から物思いに耽っていて、クラウの話を真面目に聞かなかった。


(カイラ様、そうだったのね。幼くして母親を亡くしたアルネ様のために……)


 顔を俯かせていると、今度はグレンダにも嫌味の矛先が向いてくる。


「ま、女もいろいろ気苦労あるだろうけどさ。その点、お前は運に恵まれたな」

「……なにがです」

「お前みたいな気前の悪い女を、拾ってくれる物好きなご領主もいたんだなって話さ」


 クラウが肩へ肘を乗せようとしたのを、グレンダはやや強い力で跳ね除ける。

 少しだけ口角を歪めさせ、意地悪な先輩へ鋭い言葉の棘を刺す。


「お褒めに預かり光栄です。なにぶん、騎士は実力がすべてですからね。……女にも腕相撲で負けるような人の足を引っ張ることしか能のない御人おじんが、今まで首を切られなかっただけでも儲けものではありませんか、先輩?」


 グレンダの反撃をよほど快く思わなかったのだろう。

 顔を歪め舌打ちしたクラウの、次に吐き捨てた言葉はグレンダの思い出したくもない記憶を掘り起こした。


「よく言うよ、ついぞこの間までそんじょそこらの小娘と変わりなかった奴が。覚えてるぜ? お前がハルワルド教官に拾われてきた最初の年。宿舎でまず同室になった泣きべそかいてた、あの夜をさ──」


 

 クラウの言い回しにグレンダは、黙れ下郎が! と反射で怒鳴りそうになった。


(よくも言えたわね白々しい。あれは確かに、お前が首謀者だったでしょうが!)


 今でもときどき夢に見る。

 まだなんの力も技術も持たない女の居場所など、むさ苦しい宿舎のどこにもなかった。

 初めのころはグレンダがひとりで夜を過ごしていれば、よこしまな遊びプレーを目論む輩もたいして珍しくはなかったのだ。


 あの夜もそうだ──もしも部屋をたまたま通りすがったアクセルが助けに入らなければ、いったいグレンダの貞操はどうなっていたことか。

 グレンダの忌々しげな表情に満足したのか、クラウはすかさず言葉を畳みかけてくる。


「なあグレンダよ。お前だってもう餓鬼じゃねえんだからさ。そろそろ身の振り方を考え直す気にならないか?」


 壁に手を付きグレンダへ無遠慮に顔を寄せて、


「ご奉仕だって立派な騎士の務めだ。時として俺たち男の戯れプレーにも、愛想良く応じてやるのが女の器量ってもんじゃないのか?」

「……っ、ふざけるな。私の仕事とあなたの趣味を混濁しないで!」


 今度こそクラウを押しのけようと、自身へ伸ばしてきたグレンダの両腕をクラウがガッと掴み返しかけた時だ。



「──確かに淑女としてはいささか乱暴なきらいはあるけれど」


 便所トイレの扉から優しい声が降ってくる。

 グレンダが振り返れば、やや暗い廊下でもアルネの銀髪は清らかな色をしていた。


「彼女なりに強い騎士であろうと努めているのはよくわかるとも」

「アルネ様」

「誰だって、初めから強い人間であるはずもない。今の彼女が優秀なのは、かつての弱い自分をきちんと誠実に受け入れることができたからだろうな」


 アルネはそう言って、苦々しい顔をしたクラウへ朗らかな笑顔を向けた。

 特段相手を威圧するわけでもない、いたって涼しげな様子でアルネはグレンダへ話しかけた。


「お待たせグレンダ。やっぱり僕の具合が収まらないから、今日のパーティはここいらでおいとましようか」

「え……ああ、はい。かしこまりました」


 そのまま何事もなかったかのようにすたすたと廊下を歩き出してしまうので、グレンダはほんの一瞬呆気に取られたがすぐにアルネの後を追った。

 早足なアルネに付いていくのが精一杯で、グレンダは結局一度も、置いてけぼりにしたクラウの顔を振り返る暇がなかったのだ。

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