真夜中の舞踏会と襲撃者(1)

 アルネは自身の宣言通り、二度と会場へ引き返すことがなかった。

 あとでご城主様へ詫びを入れなければとグレンダが思っているうちに、二人は最初に案内された部屋へ戻ってくる。


 とうに日は暮れ、窓から月明かりと星空がよく見える。

 ボムゥル領へ帰るのは明日の午前だ。イース領へ泊まるにしてもどうやら部屋はひとつしか貸し出されなかったらしく、室内にはベッドがふたつ並べてあった。

 今晩は同じ屋根なばかりでなく、二人とも同じ部屋で夜を過ごすことになるのだ。


「あぁ……疲れた……」


 ばたんとベッドに倒れ込むアルネを、グレンダは静かに見下ろした。


(結局、アルネ様がヴィオラをご披露できそうな時間はなかったわね……)


 グレンダがそんなことを考えていると、


「きみが伯母さんに指名された理由がよくわかったよ……」

「はい?」

「先ほどの彼は見る目がない。素行はともかく、愛想はかなりあるほうだ……特に今日なんかは。騎士道サービス精神というか気配り上手というか」


 急にアルネがうわ言を始めるので、グレンダは怪訝そうに顔を歪ませる。


「対して僕というやつは本当に甲斐性がない。貴婦人のご機嫌取りだって面倒なのに、歩くぶんだけよその領主や貴族から話しかけられたかと思えば各地の世間話やら愚痴やらを聞かされて……あぁうんざりだ。政治などまったく興味ないのに」


 あなたも政治家でしょう、とグレンダは突っ込みかけたが、よく考えてみれば確かに、アルネは日頃から領主としての仕事をカイラやセイディにぶん投げていた。

 普段が怠慢なだけに、彼ら上流階級の会話は聞くほど余計に居心地悪くなってしまうのだろう。


「だから僕は、誰にでもずっとこう答えるだけだったさ──『うちの屋敷にはとても優秀な騎士と伯母と参謀がいますので』」

「左様でしたか」


 グレンダはアルネの軽口を受け流すと、すでにシーツの上で突っ伏している背中に触れる。


「お疲れなのは重々承知していますが、休まれる前に着替えてください。体も今晩のうちにお洗いになった方が」

「面倒くさい。明日で良いよ」

「出発はまた朝ですよ? どうせ早くには起きてこないでしょう!」

「明日で良いんだって」


 今度は子どものようにぐずり始めた。ここでグレンダははたと気がつく。


「……アルネ様。もしかして酔っていらっしゃる?」

「飲んでない」

「飲んだかではなく、酒に酔ったのかと伺っているのです」

「だから飲んでないって」


 間違いなく酔っている。会話が成り立っているように見えてちぐはぐだ。

 特に顔色も変わりなかったから、大して酔っ払っていないとばかり思い込んでいた。


(そういえば、屋敷でもアルネ様がお酒を嗜む姿なんて一度も見た覚えがないわ。……しまった……)


 グレンダが己の注意不足を悔いていると。



「……彼はきみの知り合い?」

「え? あ、はい。まあ」


 ふいにクラウのことを聞かれ、グレンダは慌てて答えた。

 不穏な会話を聞かれてしまったから、アルネに余計な心配をかけさせてはいまいかと危惧したのだ。


「彼の話はあまり真に受けなくて結構です。『雛鳥の寝床エッグストック』でも、誰に対しても悪口と揚げ足取りばかりを日課にしているような者ですので」

「きみは貴婦人だけでなく、同僚からも人気があるんだね」


 アルネの意外な返答にグレンダはさあと青ざめた。


「……人気……?」

「だって随分と仲が良さそうだったじゃないか。他にも彼くらいきみを好いている奴や、慕っている人間が『雛鳥の寝床エッグストック』には多くいるんだろうね」

「好いているなんて、まさか!」


 たまらずグレンダは声を荒げる。


「彼には慕われているのではなくむしろ嫌われているのです。会うたびああやって意地汚い言葉ばかり並べて……」

「それは違うよグレンダ」


 アルネは伏したまま答えた。


「彼はきみをいつでも気にかけているから、つい意地悪なことを言いたくなっちゃうんだ。きっとね。ほら、男という奴は、好きな子にほど悪さをしたくなるだろう?」


 グレンダはしばらく声を出せなかった。

 このあるじは酔っているくせに、急に年上ぶって大人びたことを言う。



 ごろんとベッドの上で仰向けになったアルネは、眠たそうなまぶたで、しかし目の色だけはいつになく深い青を匂わせながらグレンダをすぅと見上げる。


「……ご婦人がただけじゃない」


 酔っているとは思えないほど歌でもんでいるかのような流暢さで、


「おじさんもたいそうお気に召したらしい。きみがとても美しいなりだって」

「ご城主様がそんなお言葉を? ……いつのまに……」

「よその領の従者に向かって、まったく移り気の多い人だ。あいつ、伯母さんを好いていたんじゃなかったのか?」


 アルネがそう口ずさんだので、グレンダは緑色の目を大きく見張った。


「アルネ様、カイラ様とご城主様のことをご存知で……」

「当たり前じゃないか。魔法なんか使わなくてもわかる。おじさんからはいつも、嘘の風が香ってくるんだ。おじさんの心にはいまだ伯母さんが残っているのさ」

「……」

「昔からなにも変わっちゃいない。なぁグレンダ。あいつはいつも面倒見の良い親戚ぶっちゃあいるが、本当は僕を恨んでいるんだよ──婚約者を奪った男だってさ」

「そんなことは……! カイラ様がご自身で決断なさったことです。アルネ様にはなんの責任もありません」


 グレンダが懸命になぐさめようとすると、アルネはふらりと片腕を伸ばしてきた。

 つい伸ばされた手を握ってしまったグレンダは、次の瞬間、ぐるりと視界が反転したことにやや遅れて気がつく。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



(────え)


 視界には天井と、グレンダの麗しきあるじ様。

 今朝はベッドの上でひっくり返してやったアルネが、今度はグレンダをベッドの上へ引き倒していたのだ。

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