アルネ、初めての社交パーティ(3)
──なにも聞こえなくなった。
グラスを擦り合わせ乾杯する音も、正装で顔を突き合わせ歓談する声も、会場を取り巻いていたありとあらゆる喧騒を、目前の女はグレンダの体の芯から完全に葬った。
(犠牲……私、が?)
視界すら朦朧としてきた頃。
「……ダ。グレンダ」
背後から肩をつつかれ、びくりとグレンダは上半身を震わせる。
振り向くとアルネのいつになく焦燥しきった顔が、すぐそばまで迫っていた。
「ア、ルネ様」
「疲れた。もう限界だ。飲み過ぎたし。あぁしんどい。吐きそう。今すぐ死にたい」
「死に……だっ、大丈夫ですか!?」
「それをご婦人がたに預けたら、少し
アルネはグレンダが持っていた皿をあごで示す。
はっとしてグレンダが女のいた方角へ視線を戻せば、女は忽然と姿を消していた。
あれほど真紅の目立つ色を着ていたというのに、人混みに紛れるというよりも、その場から一瞬でひとりの人間がいなくなってしまったかのような不思議な感覚に浸る。
(今の女性……いったいなんだったの……)
グレンダは少しだけ向こうを名残惜しく眺めたが、今もっとも優先すべきはアルネの
すぐに皿を貴婦人たちのところまで運ぶと、丁寧に断りを入れながらアルネを会場の外へ連れ出した。
♰ ♰ ♰ ♰ ♰
廊下を少し進んだところに紳士用の手洗い室はあった。
「パーティはあとどれくらい続くんだ? もうずっと、ここへこもっていても良いかなあ……」
「ご体調がすぐれないようでしたら」
アルネは弱音こそ吐き散らしているものの、酔いを主張するわりには特段赤い顔も青白い顔もしていなかった。
足取りもそれなりにしっかりしていて、グレンダが察するにアルネが酔ったのは、酒ではなく慣れない環境と人混みではないだろうか。
アルネが
会場を抜け、どこか別の階へ移動しようとこちらへ近づいてきた彼らの装いを見て、グレンダはもれなく男たちの素性に心当たりを持つ。
(『
すれ違う男たちもグレンダを一瞥してきたので、グレンダは軽い会釈を返す。
……その最後尾だったろうか。グレンダが直接言葉をかけられたのは。
「ははっ。──似合わない髪型」
顔を上げると、
半笑いを浮かべながら見下ろしてきた男の顔に、グレンダは覚えがあった。
「クラウ先輩?」
「よう」
クラウ・ドッケンは『
学年が近いことからしばしば授業が被ったり、同じ訓練に参加したり、宿舎では何度か同室になったこともある。
もっとも、グレンダ……おそらくクラウにとっても、騎士学校での互いの仲が良好であったとは言い難い間柄だけれども。
「今日はお前も、お前のあるじも随分目立っていたな」
「あなたは……イース領の配属だったのですね」
「俺のことを忘れていないようで何よりだ。しっかし、なんだよその
クラウが自分の頭に手を添えて、
「端麗な公子様に見染められて、今さら色気づいたってのか?」
「アルネ様は騎士としてお仕えしている
あからさまな嫌味を告げてくるので、グレンダも負けじと言い返す。
すでに騎士団の仲間たちはクラウから大きく遠ざかっている。どうやら警備の交代時間だったようで、クラウが道草していても誰も気に咎めることはなかった。
「へいへい、お勤めご苦労様です。……色気といえば、フリューエ・カイラはなんだってパーティへ来なかったんだ?」
「カイラ様をご存知なのですか?」
両腕を組み壁へ寄りかかり、片眉だけ上げながらグレンダが聞き返す。
そういえば先ほどまで歓談していた貴婦人たちも、このパーティの常連らしいカイラとは顔馴染みであるようだった。
アビーの伯爵夫人からも、なぜカイラが来ていないのかとわざわざたずねてくるくらいだ。
すると、クラウは会場まで続く廊下を眺めては途端に声を潜める。
「やっぱりなぁ。ご城主も、いよいよ愛想を尽かされたか」
「は? ……なんのお話ですか。フリューエ・カイラもいろいろご多忙の身──」
「なんだ、知らないのか?」
他に
わずかに壁へ身体を傾けさせ、口元をグレンダの頭に近づけながら。
※余談※
「フリューエ」とはノルウェー語で「奥様」という意味です。フランス語で女性を「マダム」と呼ぶのと同じ。
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