北方からの招待状(2)

 イース領の屋敷にたどり着くまで、およそ半日を要するらしい。

 馬車の中でもアルネは一人ぶつくさと「なんで僕が……人付き合いは苦手だって散々言っているのに……」などと愚痴を垂れていて、グレンダは肩をすくめながらイース領城主の人となりを聞き出していた。


「正直、あのおじさんは苦手なんだ!」


 苦手なことが多すぎるアルネの証言に、グレンダはもう少し深く切り込む。


「なにか嫌がらせでも受けたことがあるのですか?」

「そうじゃない。そうじゃないけど……とにかくいけ好かない! いつも自信ありげで派手な催しばかり開いて、会うたび稼ぎの自慢話と僕の昔の話ばかり聞かせてくるんだ」

「……アルネ様の幼少時代、ですか」


 グレンダは相槌を打ちながらも、その話にまったく興味がないとは言い難かった。

 しかし普段の彼を見る限り、幼少期でも今でも対してアルネの性分は変わっていないんじゃなかろうか、ともグレンダは思ったものだ。


「それほどご領主様とお話ししたくないのでしたら、代わりにヴィオラでも聴かせて差し上げたらいかがですか?」


 グレンダはアルネの座席に立てかけてある楽器ケースをちらりと見やる。

 アルネの他にもパーティへは多くの貴族が招待されているということで、煌びやかな服の替えだけでなく、念のために一芸を披露するための楽器も運び出してきたのだ。


「……はあ。どうだか」


 グレンダの提案を聞いたアルネは気乗りしていなさそうな口振りで、


「あまりおじさんとは芸術の趣味が合わない気がするが……」

「ご領主様に限らず、素養がある紳士淑女の皆様も数多く控えていらっしゃるでしょう」

「まあ、そうなんだけどさぁ」


 なんやかんや言いながら楽器ケースからヴィオラを取り出す。

 そのまま弓の馬毛へ松脂まつやにを塗り始めたので、グレンダは驚いた。


「ここで弾かれるのですか?」

「今はそういう気分なんだ。仰々しく大勢の前なんかじゃない、このくらい手狭なところで……きみひとりが観客でいてくれるくらいが、僕にはちょうど良いのさ」


 たびたび揺れる馬車の中でも、アルネは構うことなくヴィオラを奏で始める。

 アルネの気まぐれを不思議がりながらも、グレンダは黙って安らぎの旋律に耳を傾けた。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



(……たったのふた月で、随分とアルネ様は変わられたわ)


 グレンダはひとりごちる。

 変わったと感じるのはアルネの性分ではない。グレンダへの立ち振る舞いが大きく変化したような気がするのだ。

 あるじに信頼を置かれている証と思えばグレンダもさほど悪い気はしなかったが、アルネからは主従というよりも友人関係のような、どこか馴れ馴れしさすら感じる節があった。


(今朝だって、急に飛びついてきたりして……)


 秀麗な顔が近づいてきた瞬間を思い出し、グレンダはさっと記憶を頭の奥のほうへ閉じ込める。


(おこがましいことを考えては駄目よグレンダ。彼は騎士としてお護りすべき公子様にあらせられるのよ)


 思わせぶりな態度の連続に、グレンダも時折絆されかけてしまう。

 日頃は何事にも消極的な姿勢ばかり見せているかと思いきや、少しこちらが妥協したり隙を見せたりしようものならすぐに調子付く、単純なあるじがここにいる。

 こういうアルネのちゃっかりした側面は、同じへリッグ家の血を通わせたアクセルにも似ている気がした。


(……ああ、いえ。彼を思い出すのはしましょう)


 爽やかクズこと金髪の笑顔を脳裏に浮かべると、なんだか無性に腹が立ってきたグレンダは途端に真顔へと戻る。

 そうこうしているうちにヴィオラの演奏は終わっていたようで、


「グレンダ。今日のはどうだった?」

「本日も素敵な演奏でございました」

「……今、絶対適当に返事しただろ……」


 感想を聞かれたグレンダは、アルネにとって満足できる返しをし損ねてしまった。



「やはり音楽がお好きですか」

「ああ好きだね。紅茶の次に愛している……いや、やっぱり紅茶が二番目かな」


 一番も二番も大差ないのでは、とぶった斬りかけたがグレンダはすかさず口をつぐむ。

 大差ないはずがあるものか。首席か副首席かはあまりに大き過ぎる違いだ。


「なにせ、気兼ねなくヴィオラを奏でられる今の時間こそ、僕の身の周りが平和であることの象徴だからね」

「……争いは嫌いですか」

「嫌いだね。だってつらいもの。僕はもう人が死ぬところを見たくないんだ」


 グレンダはどう返事すれば良いかわからなかった。

 真顔のまま目線を下げていると、楽器をケースにしまったアルネもグレンダにたずねてくる。


「きみは戦いが好きかい。前にも聞いた気がするが……」

戦場いくさばが、というよりも剣の稽古をそれなりに気に入っております」


 グレンダは膝へ両手を合わせ、正直に答えた。


「研鑽し己を磨く行いは、いかなる時間やモノにも代え難い贅沢ですので」

「へえ。本当に真面目なんだなあ」


 はたして感心したのか、あるいは真面目過ぎるがゆえに嫌気が差したのか。

 アルネは少し考える仕草をしてから、顔色を伺うようにグレンダの目を見据えた。


「……剣が一番なら、二番目はラフランス?」

「いかがでしょう? 好き嫌いに順番を付けたことがありませんので」

「なら、僕のことは何番目くらいに入れてもらえる?」



 グレンダは一瞬声を詰まらせた。

 突然なにを言い出すのかと聞き返しそうになったが、アルネのその言葉で、グレンダは己の騎士としての未熟さを思い知らされたのだ。


「……アルネ様。ただいまの発言は撤回いたします」


 いたって真剣な目つきで、グレンダはあるじの問いかけに応じた。

 騎士たるもの、彼に告げるべき台詞は最初からただひとつだったのだ。


「私は何事よりも、どなたよりもアルネ様をお慕い申し上げております」

「……」

「……アルネ様? いかがなさいましたか」

「…………へぁ…………」


 アルネは口を半開きにしたまま、なぜかその場で凍りついた。

 そのまま石のように動かなくなってしまったのをグレンダが心配しているうちに、馬車から見える空は赤色を帯び始めていて、いつのまにか二人の体はイース領内へと入り込んでいたのだった。

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