グレンダとアルネ(2)

「……っ、あの、アルネ様──」

「そういえばグレンダ!」


 あきらかに気を動転させた様子で、アルネは声を上擦らせる。


「今日はあの髪型はしないのかい? ええと、なんだったか……そう、左右縛りツインテール!」


 グレンダは今日も、亜麻色を後頭部でひとつに束ねていた。


「窓から見てたんだよ。前におばさんが女性らしい形へ仕立てていたところを」

「……私はそれほど女性らしさに欠けていると?」

「いやっ、そっ、そういう意味じゃない! きみはもとより美しい女性だよ」


 美しい──まったく言われ慣れていない言葉をあてがわれ、グレンダは一瞬声を詰まらせてしまった。

 どうやら見るからに甲斐性がなさそうなアルネでも、女性の容姿を褒める器量くらいは多少持ち合わせていたらしい。ただし、今は状況があまりに悪すぎた。


「……アルネ様がご所望であれば」


 高鳴る鼓動を押さえつけながら、グレンダは凛とした態度を崩さず。


「もしあの髪型にすれば、本当のことを話していただけますか?」

「え!? い、いやあ……その……」


 またしてもアルネが返事しあぐねていた、その時。



「たいへんだ、公子様!」


 突如として庭に喧騒が巻き起こる。

 門を開け、庭へ駆け込んできたのはヨニーだ。息を切らしたヨニーはグレンダを目にするなり、頭上でずれていたハンチング帽を慌てて正す。


「どうしたのヨニー? 今朝も来たばかりじゃない」


 カイラも驚いた様子で、カップ片手にぴたりと動きを止めている。


「なにか屋敷への届け物でも忘れていた?」

「も〜、いくらグレンダ様が好きだからって、一日に何度も顔出されたら迷惑なんですけど?」

「ちっ違う! 黙っていろセイディ! ……本当に困ったことになっているんだ」


 深刻な顔をしたヨニーの申し出により、屋敷のアフタヌーンティーは急遽中止せざるを得なくなる。

 グレンダが気がかりだった事の真相も有耶無耶になったまま、屋敷の住人たちは揃ってヨニーに外へと連れ出されたのだった。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



「──迷子?」


 牧場のひとつに連れられたアルネが、今にも泣き出しそうな婦人から話を聞き出している。


「ええ、ええ。確かについさっきまで、家の前で遊んでいたはずなのです」


 婦人は布で目を押さえながら、


「まだ歩けるようになったばかりだからと、あの子から目を離していた私が悪いのです。牛のちちをしぼっている間に……」

「家の内にも外にもいないと?」


 アルネの声に何度もうなずいている。

 すでにあたりでは騒ぎが広がっていて、領民たちによる子どもの大捜索が行われていた。


「あの子の足では、自分でそう遠くまでは行けないはず……ああ、見つからなかったらどうしましょう!」


 とうとうその場にへたれこんでしまった婦人が、


「もしかして……もしかして攫われてしまったのでは……あぁあああ……!」

「落ち着いてください」


 肩を大きく振るわせているのを、アルネはゆっくりとした口調でなぐさめる。


「まだ誘拐と決まったわけではありません。僕も、為せる力の限りを尽くして探しますから」


 そのやり取りを背後で眺めていて、グレンダは少し驚いてしまった。ついさっきまで屋敷ではあれほど頼りなさ露呈させていたアルネが、領民の前では意外にも、領主らしく整然とした立ち振る舞いを努めている。

 なにより、演技やはったりではなく、本当にアルネの表情や声色には落ち着きがあったのだ。



(これほどの大人たちが捜索しているのに見つからないなんて……)


 グレンダは喧騒を見渡し、


(なんといっても集落の中心。もし何者かに攫われたのなら、目撃者のひとりやふたり見つかっても不思議ではない。やはり自分の足で? ここからなら海よりも、山のほうが近いかしら)


 想像がてらぞっとした。

 もし山へ向かったのであれば、中には猛獣が潜んでいてもおかしくはない。奴らに襲われでもしたら、幼子おさなごに立ち向かう術など持っているはずが──すると、


「家になにか子どもの持ち物は残っていますか?」

「え? ……ええ。服や遊び道具でしたら」

「少しの間貸してください」


 アルネがそう申し出ると、婦人に家まで案内されていくのでグレンダも慌てて後を追う。

 婦人の家から出てきたのは鈴だった。軽量の空き瓶に鈴を入れて蓋した、幼子おさなごが遊ぶにはぴったりな鳴り物だ。


「ありがとう。僕たちも探しに出ますので、これにて失礼します」


 鈴を借りるなりアルネはすかさず婦人のもとを離れた。セイディとヨニーも付いてきて、カイラだけがその場に留まり婦人の背中をさすり続けている。

 足を早めれば集落からも遠ざかっていくので、グレンダはたまらずアルネへ声をかけた。


「どこへ行かれるのですか? 屋敷へ戻る道のりでもないでしょう」

「……グレンダ」


 アルネは先ほどよりも思い詰めたような顔で、


「きみは僕の忠実な騎士。そうだね?」

「え? ……はい、もちろんです」

「これから見聞きすることは、決して誰にも他言してはいけないよ」


 声を低めるものだから、グレンダは身を固めてしまう。

 自分を見下ろしてくるアルネの碧眼は、いまだかつてなく真剣な色をしていた。

 グレンダにはまだアルネの真意を計りかねていたが、すかさず左胸へ手を添え、今もっとも彼の騎士として言うべき返答をする。


「仰せのままに、我が親愛なるあるじ様」

「……ああ、うん」


 堅苦しいグレンダの返答にアルネは少しだけ照れた顔を見せたが、すぐに頬の緩みを引っ込めて足を早める。


 四人が向かったのは丘だった。

 屋敷も集落も一望できる、ボムゥル領でもっとも青空から近いところ。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



 ──カラン、カラン。

 鈴を鳴らし、アルネは丘の上で耳をすましている。


「……大丈夫だ」


 自分自身に言い聞かせながら、


「領内である限り、そして僕の民である限り、僕が必ず探し出してみせる」


 アルネはゆっくりと両眼を閉じ、再びまぶたを上げる。


 地面に青色が広がっていく。

 アルネの背後で控えていたグレンダもセイディもヨニーも、次第に青空が近づいてくる錯覚に陥る。


(な……に……!?)


 天地の境目があいまいとなって、グレンダは足をふらつかせてしまう。

 刹那、四人が目撃にしたのは遥か彼方、集落からも山からも大きく離れた崖にそびえたつ一本の大木だった。



「──見つけた!」

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