グレンダとアルネ(1)

 ボムゥル領自治団の軍事訓練にグレンダが混ざるようになってから、早一週間。


 相変わらずアルネは自堕落な生活を送っているし、それをカイラやセイディが改めさせる気配もなかったが、グレンダの心の平穏は前よりも幾ばくか保たれるようになっていた。

 もちろん、訓練のおかげで体を動かす時間が増えたことが一番大きかったが、理由はそれだけではない。屋敷に長く住み込んでいれば、自ずとアルネを取り巻く領土内外の情勢も、グレンダの視野に映り込むようになってきたからだ。


「僕は雨が大嫌いだけど……」


 庭でアフタヌーンティーをしている最中、アルネがカップ片手に嘆く。


「だからって、まったく降らないのも問題だなあ」

「雪もとっくに解けてしまったものね。このままでは梅雨が来る前に、蓄えておいた淡水が尽きてしまうかも」

「めんどくさいですねえ。海から運んでくるの、めちゃくちゃ大変なんですから」


 カイラとセイディが相槌を打っている。

 最近グレンダは気がついた。もともとはアルネのさぼり癖ばかりが目についていたが、本当にこの屋敷では彼女ら二人が、内政を滞りなく進めるために甚大過ぎる貢献をしていたのだ。



 カイラは公子の親戚というだけあって、領外の貴族や権力者とも非常に顔が利く淑女だった。

 頻繁に屋敷を抜けては社交場に通っていて、よその町でなにか問題やいざこざが起これば、すぐにカイラの耳へ入るようになっていた。ボムゥル領が辺境にも関わらず、情報収集にさほど遅れをとっていない理由だ。


 そしてカイラが集めた情報を元手に、他の領土からうまいこと立ち回る方法を考えているのがセイディだ。

 グレンダが来る前から領民たちの訓練を主導していただけでなく、作物を家や町同士で分け合うための仲介も彼女が一手に引き受けていた。まだ十六歳でありながら、セイディこそが実質的なボムゥル領の参謀なのだ。



 二人の女傑じょけつによって、ボムゥル領はいつも安寧の日々を送っている。だからこそ、グレンダがもっとも不安に感じたのがアルネだ。


(アルネ様は本当に、領主らしい仕事をきちんとなさっているのかしら……)


 カイラが淹れた紅茶をすすりながら、横目でアルネの碧眼を探る。

 アルネは今日も相変わらず遅起きで、ひととおり楽器演奏をしていたかと思えば、寝ぼけたまま少しだけ書類を片付けている間に午後を迎えていた。

 これほど穏やかな領土なのだから、多少はアルネが怠けていても問題ないのかもしれないが。


(本当に平和ね。私など、わざわざ呼ばれるまでもなかったのでは……)


 騎士団がなく、土地も辺境にあるから他国との戦いに駆り出される心配もない。

 最低限の軍事の備えは必要と自分で言い出したとはいえ、確かにこの調子であれば騎士など初めから必要なかったのかもしれないと、グレンダは思い直していた。


 しかし、グレンダ自身がそう感じたのであれば、古くからここに住んでいるカイラやセイディであれば、なおさら同じことを考えていたのではなかろうかとグレンダは不思議がる。


(どうしてカイラ様は、私を専属騎士に指名したのかしら? アルネ様も嫌がっていたところを、わざわざ……本当にただの気まぐれ?)


 そこでグレンダは、屋敷の住人たちに改めて探りを入れてみることにした。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



「アルネ様。僭越ながらひとつご提案があるのですが」


 グレンダがそう切り出すと、アルネが口へ運びかけていたラフランスの手を止める。


「……今さら僭越もへったくれもないだろう? 散々僕をなじっておきながら」

「今日も稽古は休みませんよ」

「うへぇ」


 稽古とは当然、剣の稽古だ。

 実は最近、領民だけでなくアルネにも剣を教えるようになっていた。グレンダ自身が暇だっただけでなく、あまりにもアルネの自堕落な様子が見るに耐えないものだったからだ。

 ……ただし、グレンダが頭を抱えてしまうくらいには、領民たちよりもよほどアルネの剣筋はひどい有様だったけれど。


「いえ、稽古のお話ではなく。他国や良からぬ輩の侵入を防ぐため、やはりボムゥル領でも柵や壁の建設を始めてはいかがでしょう?」


 初日と同じ提案を告げると、アルネはラフランスを一口頬張り、もぐもぐと緩やかに果実の柔らかな感触と芳醇な香りを楽しんだ。


「う〜ん。そうだなあ……」

「確かに今は不要と思われるかもしれませんが、情勢はある日突如として大きく変化するものですので。もしアルネ様が自らお声がけすれば、領民たちは快く承諾するのでは?」

「う〜ん。まあ、そうなんだけど……」

「なぜそれほどにも気乗りなさらないのですか? アルネ様が直々に剣を振れと申し上げているわけではないのですよ」



 ぼんやりしたままのアルネにグレンダが業を煮やしていると、


「あのねグレンダ様!」


 アルネの代わりに口を開いたのはセイディだった。セイディは焼き菓子を片手に真剣な面持ちで、


「実はここの土地はね。アルネ様がいつも──」

「しっ!」


 なにか言おうとしていたところを、急に血相変えたアルネが制止する。あまりに不自然なアルネの介入でグレンダは眉をひそめた。


「え? アルネ様が、なんですか?」

「セイディ! その話は、彼女にはまだ……」

「ええ? 良いじゃないですか公子様! グレンダ様も今や、立派な屋敷の人間よ」


 セイディの発言にいっそうグレンダはアルネを不審がる。

 あきらかに慌てた様子のアルネが、自分の顔を見てなにか弁明の言葉を並べ立てていたが、すでにグレンダの耳にはまったくアルネの言葉が入らなくなっていた。



(なに、今の? セイディは私になにを言おうとした?)


 グレンダの両眼で新緑が大きく揺れる。


(まさか……アルネ様は、私になにか大事なことを隠していらっしゃる?)


 途端にグレンダの胸は大きな不安で押しつぶされそうになった。


 自分が仕えているアルネがややだらしのない性分をしている点については、まだグレンダには我慢できる範疇だ。自分が彼の代わりにしっかりすれば済む話なのだから。

 だが、アルネに隠し事をされているとなれば話は別だ。

 なぜならグレンダは二週間も屋敷で寝食を共にしてきたというのに、いまだ己のあるじから信頼を置かれていないということなのだから。

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