卒業と新しい出会い(1)
翌朝、講堂では訓練生たちの卒業式が行われた。
卒業証書授与のほか、グレンダは優秀な成績をおさめたとして壇上にのぼり、アクセルと並んで勲章を受け取った。
式の最後で訓練生全員に配られたのは、『
グレンダも
式が終わって間もなく『
ハルワルドの指示通り、卒業してすぐ出発できるよう支度だけでなく馬の手配も昨晩のうちに済ませていたのだ。
「今日は一番乗りだな、グレンダ」
卒業証書が入った筒を片手に、アクセルとエリックが見送りをしてくれる。
「配属先が決まったのは最後だったから、もうちょっとのんびりしていくのかと思ってたけど」
「騎士にのんびりしている暇はない。新しい町とあるじが私を待っているの」
「騎士の
アクセルは自身の左胸を指さした。アクセルもエリックも、グレンダとまったく同じ
「僕たちは騎士である限り、どれほど離れていようと同胞だ。なにか困ったことがあればいつでも僕を頼ってくれたまえ」
相変わらず大袈裟な言い回しをしてくるアクセルに、グレンダは馬車の中で唇を曲げる。
「結構です。あなたを頼る日なんて来ないわ」
「
「さらばだグレンダ、俺のことはもう一生頼ってくれるなよ。今日からはお前にご奉仕しなくて済むと思うとせいせいするぜ!」
エリックがにこやかに手のひらを振ってきたので、グレンダはさらにまぶしい笑顔を作ってみせた。
「スティルク領へは日を改めて私から果たし状を送るわ。顔を洗って待っていなさいエリック」
「うげ。最後の最後まで冗談のきつい女だな」
「文通! なんて素敵なんだ! 僕にもひとつ頼むよグレンダ」
「さようならアクセル。永遠にお達者で」
「もしこいつが主催したら同窓会にも呼ばれないだろうな、お前……」
そんな会話をしているうちに、懐中時計を確認した御者が馬を鞭打つ。
ゆっくりと回り出した車輪はグレンダを乗せたまま、遥か遠くの目的地へと向かう。
アクセル・へリッグとエリック・アルド。
グレンダが幾度の困難を乗り越えながらも騎士学校での五年間をどうにか過ごすことができたのは、特にこの二人の存在が大きかった。
(同胞は言い過ぎよ。……悪友とでも呼ぶくらいがちょうど良いわ)
同期二人の姿が窓からまったく見えなくなるまで、グレンダは
寂しくないとは言い難かったけれど、彼らとは当分会うことはないだろうとも思った。
それで良い。どこかで再会しないということは、各地ではじまる三人それぞれの新しい時間が、滞りなく順調に進んでいく証なのだから。
♰ ♰ ♰ ♰ ♰
何度か馬を休ませながら、馬車がボムゥル領で足を止めるまでには実に三日間も要した。
ボムゥル領は辺境などと言いつつ、クロンブラッドとは海を挟んだ半島にあるので、本当は双方に港さえあれば船で渡りたかった地理である。
(南北に細長い国土の弊害だわ……ああ疲れた)
乗り物酔いに慣れてきたあたりで、御者から到着の合図を聞く。馬車を降りれば、丘から広大な海と波打つ草原がグレンダを出迎えた。
農業がさかんと前情報にあった通り、田畑の間を縫うように住居がまばらに建てられている。
騎士団すら用意していない領土には関所どころか、土地を区切って管理するための壁も堀も、門や仕切る柵さえ作られていない様子だ。
(なんて無防備な。もし敵国に攻められでもしたらどうするつもりなの)
もっとも、ボムゥル領のお隣りさんは海であって、グレンダが騎士学校の蔵書で見た地図によれば、南の海をわたるとクロンブラッド、はたまた西を目指して海をまたごうとしたなら異大陸への到達は数日数週間では利かないらしい。
「屋敷まで荷物を運んでもらえる?」
馬車へ乗ったまま御者にそう言いつけると、再び車輪がのんびりと動き出す。
穏やかな町の情緒を壊さぬよう、ここまでの道のりよりもずっと遅い進行で領主が暮らしている屋敷へと向かった。
公子の屋敷というだけあって、それは道中で見かけたどの建物よりもずっと大きかった。
柵の外からでも見える大きな玄関。綺麗に整えられた庭。建物は何棟も連なっていて三、四階は高さがあるだろうか。
今度は門こそあるものの、御者がグレンダの代わりに荷物を下ろしてくれている間にも、一向に誰かが出迎えにやってくる気配はない。
(……普通にあいさつすれば大丈夫かしら)
グレンダは門の天井にぶら下げられているベルを鳴らす。しばらく待っていると、玄関の扉がギィと音を立てて開いた。
「どちら様ですかぁ?」
あどけない声と共にグレンダへ駆け寄ってきたのは小柄な少女だ。
首元でざっくばらんに切り揃えられた茶髪に茜色の瞳。
給仕服を着ていたことから、雇われたメイドの類だろうとグレンダは推察する。
「お初にお目にかかります。本日付けでボムゥル領の専属騎士に任命されました、グレンダと申します」
「……騎士?」
ぱちくりと大きな目を瞬かせ、少女はしばらく呆けていたが、
「まあいっか。とりあえず公子様のところまでご案内しますね!」
爛漫な笑顔を浮かべながらグレンダを玄関まで誘った。
ついでに荷物も御者と手伝いながら屋敷の中まで運んでいく少女の様子を、グレンダはぽかんと口を開けて眺めている。
(まあいっか? まあいっかってなに? メイドが騎士の到着を把握していないなんてことがあるの?)
あれよあれよというまにすべての荷物が運び終わり、会釈した御者は馬に鞭打ち、自分だけがさっさと屋敷を離れてしまう。
「ささ、こちらですよ」
子どもに手を引かれるような気分で、見知らぬ廊下を進んでいく。
階段を登っても通りすがった部屋の中を流し目でのぞいても、屋敷へはこの少女の他に誰も人が見当たらなかった。
これほど大きな、それも領主の家であるにもかかわらず、である。
案内されてたどり着いたのは、最上階の角部屋。
たくさんの本棚と散らばった書類に囲まれて、窓際の大きな机で突っ伏しているひとりの姿が見える。
空いた窓から吹いた風が、透き通るような銀色の髪を優しく撫でていた。
「公子様。……ねえ、公子様!」
グレンダを取り残し机に駆け寄った少女が、銀髪の両肩を激しく揺さぶる。
「起きてください、公子様!」
「……うぅ〜ん……」
太陽が一番高いところにある時刻で、銀髪はうめきながらのっそりと上半身を起こす。
ぼんやりと虚ろな瞳は、領土を囲う海より、窓から見える空よりも青く澄んでいた。
「判子押しならもう全部済ませたよセイディ……」
「終わってません。それは夢です。全部ここに残ってます。ていうか、これはまだ押しちゃ駄目なやつです!」
「……そちらの女性は?」
机から何枚か書類を取り上げている少女へ、銀髪は目を擦りながらたずねた。
「セイディのお友だちかい?」
すると少女はメイドとは思えぬほど横暴な態度で聞き返す。
「あたしじゃありませんよ。公子様が呼んだんでしょう?」
「……僕が?」
「『本日付けでボムゥル領の専属騎士に任命されました、グレンダと申します』」
先ほど自分がされたばかりの挨拶を、尖らせた口で真似て見せる少女。
次に放たれた銀髪──アルネ・ボムゥルの一言で、グレンダはあまりの衝撃にしばらく声も上げられなくなってしまったのだ。
「騎士? ……ええ? 呼んでないけど?」
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