卒業前夜(3)

「……話したことなかったかしら?」

「ああ」


 グレンダはわずかに間を空けてから、平静をよそおったまま答える。


「孤児院で拾われたのよ。ハルワルド教官に」


 今やいち教官ではなく『雛鳥の寝床エッグストック』の最高責任者たる機関長にまで上り詰めている。

 へえ、とエリックが相槌を打つのに対し、アクセルは困ったように頬をかいた。


「幼少のきみに興味が湧かないわけじゃないけど。僕が聞きたいのは動機だよ。女性の身で騎士を目指そうなんて、普通なら考えつかないだろう?」

「そんなの決まっているじゃない。男より強くなりたいからよ」


 グレンダは即断でもっともらしい回答を選ぶ。

 日頃から自分よりひと回り以上大きな図体を稽古場で投げ飛ばしている自分のそんな言葉を、アクセルもエリックも決して疑わないだろうと踏んだのだ。



 もちろん、強靭な心身は切実に欲しかった。

 男より強くなりたいし、どこかの騎士団長にでも成り上がって、グレンダが女だからとこれまで見下してきた連中を高みで笑ってやりたいという些細な意趣返しも、まったく目論んでいないわけではない。

 しかしそれらは建前だ。グレンダは機関長の目に留まる前から、ずっと願い続けてきたことがある。

 その悲願を誰かに明かしたことは、物心ついてから一度もなかったけれど。


(今はまだ、黙っていておかないと)


 黄昏を全身に浴びる三人へ、忙しなく駆け寄ってきたのは教官の男だ。


「グレンダ訓練生。──機関長がお呼びだ」

「了解」


 すぐにグレンダが敬礼すると、教官は敬礼を返すなり来た道をやはり忙しなく駆け戻っていく。


「噂をすればだ。良かったなグレンダ」


 教官の背中が遠ざかってからエリックが口を開けば、グレンダは肩を軽くすくめる。


「どうかしら。卒業と同時にあなたはお役御免です、なんて追い出されたりして」

「きみでも冗談なんて言うんだね。大丈夫さ。万一でも副首席がそんな仕打ちを受けたら、それこそ僕が教官たちに抗議してあげるよ」


 頼もしい首席の励ましに、グレンダはくすりと微笑んだ。


 そうして玄関を振り返ることもなく、二人の同期に背中を見送られながらグレンダは機長室へと向かったのであった。



♰ ♰ ♰ ♰ ♰



 中央本館機長室。

 両足を揃えて扉の前に立ち、グレンダは二回軽く扉を突いた。


「入りなさい」


 しわがれた声が遠くに聞こえて、取っ手をひねればすぐに声の主が視界に入ってくる。

 グレンダの到着をずっと待っていたかのように、高い姿勢で書斎の椅子に腰掛けている老人こそ『雛鳥の寝床エッグストック』機関長、ハルワルド・ヴァレンタインだった。


「訓練生グレンダ、ここに参上いたしました」


 書斎でハルワルドと向かい合い敬礼するグレンダ。

 ハルワルドは椅子から立ち上がりながら、机にあらかじめ用意してあった茶封筒を拾う。


「きみの来期からの配属が決まった」

「拝見します」


 グレンダは茶封筒を受け取るなり、藤の花ヒースし止めを丁寧に剥がす。封筒には公爵からの通達書が入っていた。

 文面の中でもひときわ目立っていた単語を見つけ、グレンダは思わず声に出して読んでしまった。


「……ボムゥル領」

「ご領主から直々に指名があった。可能な限り早く屋敷に住んでもらいたいとのご意向もたまわっている。明日のうちに出発できるよう支度しておきなさい」


 感情を極力顔に出さないよう努めるも、グレンダは内心がっかりしていた。



 ボムゥル領はクロンブラッドから大きく離れた、北西湾部の小さな領土だ。

 一応は公子が領主を務めているはずだが、本来であれば公子が請け負う土地には騎士団が編成されるところを、どういう事情なのかは知らないが、領主が自ら騎士団を持つことを拒み続けているらしい。

 言ってしまえば辺境の地。騎士になるのは今からだというのに、なんらかの不手際で左遷を食らったような気分だ。


 ただひとつ気になったのは、公爵や学校がこの決定を下したわけではなく、領主自らグレンダを専属騎士として指名したという話である。

 騎士団もないのにわざわざ騎士を呼び寄せるとはいったいどういう了見なのか。ボムゥル領ともそこの領主とも、なんら所縁ゆかりはないはずだけれど。



(……いえ。やはり女であることを『海を翔ける鳥ペンギンナイト』や他の騎士団から煙たがられただけか。きっとハルワルド教官が気の利いた方便を考えてくださったのね)


 文面を見つめたままグレンダが考えを巡らせている間に、ハルワルドはしっかりした足取りでグレンダへと歩み寄ってくる。

 グレンダの落ちかけた肩に手を添えると、ハルワルドは毅然とした様子で問いを投げた。


「グレンダ訓練生。騎士道とはなんたるか申してみよ」

「公国ならびに己が主君へ無償の愛をもって尽くすこと。そこが戦場いくさばであろうとも常に騎士の矜持を忘れぬこと。なによりも主君への忠誠と心身を守ることにございます」


 グレンダは顔を上げ、間髪入れずに答えた。

 答えに満足したハルワルドが、力強くうなずいてから言葉を続ける。


「その道を徹尾てつび貫くことができる騎士であると、ご領主に見込まれたからきみは選ばれたのだ」


 その言葉にグレンダははっとした。

 まったくもってハルワルドの言う通りだ。もし彼の話が本当だったなら、少なくともかの辺境では自分の腕を正当に評価されたということじゃないか。


「光栄でございます」


 グレンダは心底から声を上げた。そして深々と頭を下げる。


「機関長──いえ、ハルワルド教官。五年間たいへんお世話になりました」


 ハルワルドはそのつむじを見下ろし、わずかに頬を緩めた。かつて孤児院で出会った時とも似た、自分の孫を慈しんでいるような微笑みである。



「達者でなグレンダ。今後の活躍に期待する。さすれば私は、きみという優秀な教え子を持てた幸運を生涯かけて誇りに思うことだろう」


 機長室を去る間際にかけられたハルワルドからの激励の言葉を胸に、グレンダは力強い一歩を踏みしめる。


 そうだ……私は晴れて一人前の騎士になったのだ。

 たとえどんな新天の地であろうとも、騎士たるもの、ただ粛々と与えられた任をこなすのみ。

 これは他でもない私自身が選んだ道だ。思いのほか首都から遠いところへ飛ばされてしまったけれど、私が叶えたい望みのほうは、その道程でゆっくりと腰を据えて果たせば良いのだから。



 かくして、グレンダは『雛鳥の寝床エッグストック』で初めての女性騎士となったのである。

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