一章 翠眼の女騎士と辺境領主
卒業前夜(1)
時は、グレンダがまだ一人前の騎士ではなかった頃までさかのぼる。
『
ノウド公国首都クロンブラッドにある、唯一の騎士学校。
訓練生として長らく研鑽を積んできたグレンダは、先日十八歳を迎え、とうとう騎士学校からの卒業も翌日に控えていた。
「やっとグレンダの地獄稽古から解放されると思ったのに……」
昼下がりの稽古場で、木製剣を構えたまま嘆く男。
グレンダと対峙していたのは同期のエリック・アルドだ。
「今日でおしまいでしょう? 騎士たるもの、
「本当に最後だ。あとでもう一回とか言われても絶対受けないから、なっ!」
涼しい顔で木製剣を構えているグレンダへ、エリックは強い一歩目を踏み込む。
反動を付けながら両腕で大きく振りかぶったエリックの剣先は、腰をよじらせたグレンダの肩をかすめていく。
「いでっ!!」
グレンダに背中を鋭く突かれ、潰れた爬虫類みたいな声を漏らす。
そのまま床へ伏しても追撃の手を緩めようとしないグレンダに、エリックはたまらず木製剣を手放した。
「いててっ、痛い痛い。降参、降参だってば!」
尻もち付いたエリックが両手をひらひら舞わせているのを、グレンダは冬場の外気にも劣らぬ冷えた目で見下ろした。
「降参が早過ぎるわ。剣の振りは遅いくせに」
「お前がはえーんだよ!」
エリックは足元で転がっている木製剣をあごで示しながら、
「そもそも俺が実戦で使うのは、これよりずっと重くて大振りだっての」
しかめ面で不平を垂れる。
グレンダはいつも細身の剣を愛用している。振りや突きの速さにはもとから自信を持っていたのだ。
♰ ♰ ♰ ♰ ♰
そんな二人の消化試合に割り込んでくる、別の騎士の姿があった。
「じゃあ、真剣ならグレンダに勝てる?」
稽古場の扉を開き、悠々とした足取りで二人に近付く金髪碧眼の男。
今期の訓練生ではグレンダを抑えての首席卒業が決まっている、アクセル・へリッグだ。
「騎士が真剣勝負のあとで言い訳するなよ、エリック」
アクセルが爽やかな笑顔を浮かべたまま壁に立てかけてあった木製剣の一本を持ち上げ、
「グレンダ。……僕とも
青く澄んだ目の色を以って誘いをかけると、グレンダも表情ひとつ変えないまま挑発を返した。
「別に構わないけれど、今日は私が勝つわよ。明日からの寝覚めが悪くなっても良いの?」
「冗談。僕に勝てた試しがないだろう?」
「……剣を交える前に言い切るなんて大した自信ね」
今度は片眉をわずかに動かしたグレンダが、下ろしていた剣先をアクセルのこめかみに向ける。
「せっかちな騎士様は貴婦人から信用していただけないんじゃない? なんでしたらその勝負、あなたとエリック、二人がかりでも私は謹んでお受けしますけれど」
わざと敬語を使ってみると、アクセルは急に顔色を変えた。ぱちぱちと何度かまばたきしてから、木製剣を床へ叩きつけるように落とす。
「ふ……二人がかり、だって?」
「なに? 別に良いじゃない。同じ騎士なのだから、相手が女だからって遠慮することは──」
「まさかきみから、三人で
それなりの広さがある稽古場で、途端に声を張ればアクセルの叫びは部屋中にこだまする。
「普段はあれほど慎ましいきみが今日は随分と張り切ってくれるねグレンダ! そんなに激しい
「……アクセル。
「なんだいエリック。まさかとは思うがきみ、グレンダからのせっかくのお誘いを無下にするのかい?」
立ち上がってきたエリックに肩を押さえつけられても、アクセルは無駄に腰をうねらせ続けている。
「阿呆か。そっちの
「え〜そうかい? 僕はやぶさかじゃないかも……」
「だから
グレンダは眉をひそめたまま立ち尽くしていた。二人の会話に悲しんだり腹を立てているというよりも、そもそも話の筋が掴めていないので呆然とするしかないといった様子である。
「あなたたち。……なに訳のわからないことを言っているの?」
グレンダのその言葉で、すぐにアクセルは腰の揺れを止めた。いたって真面目な顔をしているグレンダを見て、あちゃあ、と自分でも分の悪さを理解する。
「……エリック。確かに駄目みたいだな。僕たち二人揃って脈なしだ」
「脈もなにも通じてすらいねえよ。やっぱりグレンダにこの手の話は不毛だ」
「それ以上私抜きで話進めたら、本当に真剣を持ってくるわよ」
「いや、止めだ止めだ! 俺らが悪かったって」
「そうだね。止めようか。グレンダ、今のやりとりはどうか忘れて欲しい」
突然平謝りをはじめるアクセルとエリックだったが、グレンダはまだ木製剣を手放そうとはしない。
「あら。……本当に止めて良いの?」
グレンダはここで初めてアクセルへ笑いかける。
彼女自身も騎士であるがゆえの、誇り高く勝気な、剣への情熱にあふれた笑顔。
「私に負けて帰るのでしょう、今日は?」
アクセルはもう一度まばたきすると、次は心底から嬉しそうに顔色を明るくさせた。木製剣を拾い上げ、構えながら笑顔を返す。
「ああもちろん! 剣の相手ならいつでも受けて立つさ──負けないけどね」
エリックが二人の試合を取り仕切り、手刀で開戦の狼煙をあげる。
刹那、稽古場では二本の木枝が激しくぶつかり合う音がした。
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