ねぇ君、これは僕のすべて

@Pai_duai_

浮雲

 から地上をような、そんな人生を送ってきた。世間一般では私のことを「浮いてる」とか言うんだろう⸺実際、そう言われてきた。


 落ちこぼれ主人公が異世界転生して最強勇者になる話より、一目惚れした女の子を引き取って理想通りの妻にするべく男があれこれ奮闘する純文学が好きだった。AKBも嵐も少女時代もKARAも青春の外側を通り過ぎるだけの通行人でしかなく、いつだって隣にはボン・ジョヴィやマイケル・ジャクソンやアクセル・ローズが居た。


 浮きたくて浮いてるわけじゃない。私からしてみれば周囲まわりが沈んでいただけ。みんな揃いも揃って重たいいかりを腰にくくりつけられて、「読んで当然の空気」だとか「最近の若者なら知ってて当然」とかいう不可視の常識に、どっかりと、腰を下ろしているみたいだった。

 小中高の十二年間、クラスに馴染めたことは一度も無かった。学年一人気のある桜ちゃんとその取り巻きは、私にとっては液晶画面の向こうのフィクションみたいなものだった。私のポジションは常に「クラスの不思議ちゃんA」だったけれど、私はそこに居心地の良さを覚えていた。周囲から数歩分距離を置かれるこの領域は、私が私でいるための安全区域だったから。


 他の皆が好きな物は自分も好きにならないといけない、好きになるのが当然、普通。周りが好きだから自分も好き。周りが「右」と言ったから「右」⸺十二年間のうちに変な子レッテルを何枚も貼られた私が言うのも何だが、それこそ変だと思う。周りの意見なんて知ったことか。好きなものを好きでいて何が悪い。興味がなくて何が悪い。転生したらスライムになっていた人より、朝目覚めたら一匹の巨大な毒虫になっていた人が好きで何が悪い。


 ⸺やっぱり悪いのかな。周りの人と同じものを同じように好きでいる方が生きやすいのかな。

 数え切れないほど悩んで、流行りのアイドルを追ってみたりもした。話題の曲も聞いてみた。甘酸っぱい恋を歌っていたが私にはやっぱりこない。「生まれてきた意味はもう君なんだよ」よりも「愛という字書いてみてはふるえてたあの頃」の方が心揺さぶられるし、関白宣言には涙してしまう。そもそも私の脳はどうやら若者用に作られていないらしかった。


 生まれ育った家庭環境はごく普通だった。共働きの両親・姉・兄・私それと猫。子供の頃には父方の祖母も同居していたが、小学生の頃に母と大喧嘩をして父方の叔父の家に引き取られていった。今は隣町の老人ホームで暮らしている。パーキンソン病を患っていると小耳に挟んだことがあった。

 工場長を定年退職した父は朝から酒を飲むようになり⸺もともと酒好きな人だったけれど⸺しかし退職金だけで食いつなげるだけの余裕は無いので、退職後すぐに近所のスーパーに夜間勤務を始めた。だが今まで昼間にバリバリ働いていた六十歳の男が突然の昼夜逆転生活にすぐ適応できるわけもなく、日を追うごとに彼の体には疲労がありありと刻まれていった。

 夜間の職を辞め別の職場の昼勤務を始めたが、上手くいかずひと月も経たず辞めた。が起きたのはまた新たな工場で働き始めて間もない頃だった。

 ちょうどその頃の私は、高卒と同時に働き始めた某製薬企業の工場で人間関係を苦に心を病み休職していた。言わずもがな、私は就職してもなお「浮いていた」。

 鬱病と対人恐怖症を克服すべく、福岡を拠点に活動している絵かきのコミュニティに毎週末通っていた私は、その日も出かけようと支度をしていた。どういう因果か、なぜだかこの日に限って私は寝坊していたのである。

 母はとっくに仕事に出ており、家には父と私のみ。父は昨晩のあまりのパンプキンシチューを温め直している最中だった。

「洗濯物干してくる」

「うん」

 これが私と父の、最後のまともな会話だった。


 洗濯かごから濡れた衣服を引っ張り出してはハンガーにかけていく。その日は雲が多く、陽光など雲間からちらちらと覗くばかりだった。かごの半分ほどを干し終えたとき、ふいに耳に届くものがあった。それは低い唸り声のようなもので、どこかから微かに聴こえていた。家の近くには犬を飼っている家が何軒かある。おおよそあのお家の太郎ちゃんだろうとか、あっちの小春ちゃんだろうとか、そんなことを考えながらジーンズを干す。

 しかしながら唸り声は続く。止んだかと思えばまたすぐに始まり、と思えば止む。聞きながら、私は次第にそれが近所からではなく家の中から聞こえてくることに気付いた。

 さっと血の気が引いた。

 洗濯物をほっぽって、庭に面する勝手口から慌てて家に飛び込む。台所ではパンプキンシチューが火にかかったままでブスブスと焦げ臭い気泡を作っては割り、作っては割っていた。

 リビングには録画していたなんでも鑑定団が流れていて、ちょうど「三万円!」と高らかに告げていたところだった。それを鑑賞していたであろう父は、絨毯の上、弾丸に臥したかのように横になって、妙に赤らんだ唇の隙間からあの唸り声を泡立った唾液と共に吐いていた。禿頭は蛸のように真っ赤に染まり、霧吹きで水をしたたか浴びせられたのかというほどにぐっしょり濡れている。片方の瞼は本人の意志とは無関係に引き攣ってぶるぶる震えている。ものまね芸人がセロハンテープで顔のあちこちを引っ張ってみたりするが、あれとそっくりな顔つき⸺唯一違うのは、こっちは「笑えない」という点である。


 私はこのショッキングな光景を目にしたその瞬間、父の酒乱ぶりと、高血圧と、それから十年近く前に彼が軽い脳梗塞で入院したことを思い起こした。そして納得し、自分でも怖いくらい冷静に、固定電話から救急車を呼んだ。まるで目の前に予め台本を用意されていたかのように、淀み無く、つらつらと説明した。救急隊とのやりとりが終わってすぐ今度は母の職場に電話をかけて事態を説明した。徒歩二分もかからない場所にある勤め先から彼女が血相変えて帰宅してきたとき、父は担架に載せられて玄関扉をくぐっていくところだった。


 右脳の脳動脈瘤破裂。左半身はもう絶対に動きませんと医者が言う。私は未だ冷静を保ったまま「そうですか」と頷く。母と、病院の近くの住まいから駆けつけた姉は黙っている⸺姉が結婚を機に実家を出たのはほんの数ヶ月前のことだった。


 入院生活が始まった矢先にコロナが流行り始め、すぐさま面会謝絶となった。母と二人、唐突に一変した日常にてんやわんやしながらも必死に支え合って二人暮らしを続けた。

 しばらくして父の転院が決まった。リハビリに特化した病院で、私と母は「せめて残る左半身が滑らかに動いてくれるようになれば」と一縷の望みをかけていた。

 しかしそれは一週間で潰えた。父の胆管にて息を潜めていた胆石が、寝たきりの入院生活による筋力低下を原因の一つとして悪事を働いたのだ。父はまた元の病院に蜻蛉返りする羽目になった⸺私と母が、父の病気平癒の願掛けのために県内のとある寺へ参拝しに行った日のことだった。

 胆石を解決する手術は、父の体力の問題やコロナのこともあって流れてしまった。結果「様子見」という形になり、今度は家から目と鼻の先にある老人ホームに移ることとなった。老人ホーム。父はまだ六十代前半である。

 それからまた少しして、今度は姉が実家へ蜻蛉返りしてきた。「旦那と離婚するつもりでいるから帰る」と母のスマホにメッセージを一つ送って⸺これは私と母が二人暮らしにちょうど良い三合炊きの炊飯器を新調した帰り道でのことだった。


 呪われている。私はあまりにも周囲に呪われている。回復傾向にあった鬱病はぶり返したし、生来の聴覚過敏は精神不調により悪化した。あの職場。にたにたした粘っこい瞳で私を見ては嗤うお局たちが犇めくあの職場に戻れるだけの精神的余暇は無かった。私は上司に話をして退職届に判を捺した。

 二週間ごとの通院で貰う薬はどれもこれも体に合わず、とくに睡眠薬は猛烈な吐き気に襲われた。深夜目を覚ましてトイレに駆け込み嘔吐する度に思い出すのは、仕出し弁当が四分の一も喉を通らず、必死になって食べた少量の米さえトイレで吐き戻していた日々。胃が受け付けず、食べたいという欲さえ沸き起こらない。しかし何かエネルギーを得ていなければ働けない。胃液で荒れた食道にエナジードリンクを二本流し込んで職務に戻るあの毎日。私の私物を隠し直接的な罵詈雑言を浴びせ、時には身体に関わる事柄を嗤いながら指摘してきたあの女たち。母とそう変わりない年代の女たち。

 私は、家庭がこのような環境になりながらも変わらず勤勉に働き、父の保健衛生をできうる限り支え続ける母を心から尊敬していた。それ故に、より一層、彼女らを軽蔑した。


 母は今年還暦を迎える。足腰が少しずつ弱くなっていっている。姉は間もなく再婚する。私はパチンコ店の換金所で働き始めて三年目になる。一方の父は⸺杜撰な管理体制の老人ホームからので退所し、無事に自宅復帰をした父は、緩やかに壊れていく。最近は自分が失禁したかさえわかっていない。もう十年近く昔に他界した親戚に「昨日会った」と言う。夜中ふっと目を覚ましたかと思えば「○○社(父が工場長だった当時、実際に関わりのあった企業)の専務と約束があるからスーツを出してきてくれ」と母に言う。彼は六十七歳である。


 私は今日も浮いている。世間一般からずれている。嫉妬と敬慕を以て世界を俯瞰している。自分以外の皆が当たり前に歩いていく「普通」の道が羨ましい。副作用のため飲まずに溜め込んでいた大量の睡眠薬を昨年末の大掃除で捨てたことを今更後悔している。

 母を残したくない。今はそれが私を宙に留める唯一の錨である。私は母のおかげで、浮いたままで済んでいる。

 あと数ヶ月で春になる。桜吹雪に攫われるような儚い人間になりたかった。きっと今年も、春霞の空を浮き続けるのだろう。

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