父と寿司屋で

結騎 了

#365日ショートショート 333

 喧騒の奥に、その人を見つけた。

「やあ、悟くん。待たせてしまったかな」

 頭をぽりぽりとかきながら、文雄さんは笑った。濃いほうれい線がにじむ。

「そんなことないです。僕もさっき来ました」

 嘘だ。本当は居ても立ってもいられず、30分前には来ていた。文雄さんとふたりで食事なんて、気持ちの整理が難しすぎる。

「ごめんね、学校帰りにわざわざ。でも、そうなる前に一度、男同士で会っておくべきかな、って」

 文雄さんに連れられて、近くの寿司屋に入った。回らない寿司。カウンターのショーケースには魚の切り身。意外にも二の腕の太い店主が、笑顔で出迎えてくれた。

 おしぼりで顔を拭き終えた文雄さんは、ビールとコーラを注文した。

「お互いの仕事の都合もあって、君のお母さんとの正式な日取りが遅れてしまって……。でもようやく決まったよ。来月の頭だ。これで、僕と君は晴れて親子になる」

 母はシングルマザーだった。女手ひとつで僕を高校まで行かせてくれた。そんな僕の目の前に、半年前に急に現れたのが、この文雄さんだった。


 ……お母さん、この人と結婚しようと思ってるの。


 母にあんな表情があるとは思わなかった。

「そういえば」

 僕は玉子を飲み込んでから話しかけた。美味い。

「若い頃、お母さんと付き合っていたらしいですね。元カレ、ってことですか」

 あまりに率直な質問だったか。文雄さんは若干むせつつも、ビールで寿司を流し込み、僕の目を見て答えた。

「実はそうなんだ。そうか、お母さんに聞いたんだね。学生時代、一時期だけ。僕らは付き合っていた。ほとんど一緒に暮らしていたかな」

 自分の母親が女だった時の話。好奇心が8割、妙な嫌悪感が2割。でも、母が女じゃなかったら僕はここに座っていない。

「どうして別れたんですか。そして、また……。今はどうして付き合ったんですか」

 じぃっ、と間を設けてから。文雄さんは微笑んだ。

「悟くんがお酒を飲めるようになったら、もっと詳しく話そうかな」

 まったく。こういうところでこの人は大人だ。子供が立ち入れないような壁を、やんわりと作って会話してくる。

 センスのいい腕時計も。ほのかに良い香りがする整髪剤も。素材が印象的なワイシャツも。なんだか細かいところが気になる文雄さん。顔つきも、体つきも。そして、数ヶ月前にこっそり拾って回収した毛髪も。

「こう言ってはなんだけど。悟くん。私は君の本当の父親にはなれないかもしれないが、それでも、懸命にやってみるよ。父親という立場を。最初は慣れないかもしれないけど、仲良くしてくれたら嬉しい」

 変に取り繕わない、素直な言葉だった。きっと本人は知らないのだろう。あるいは、母が女である前に親だったか。

 どちらにせよ。大切なのはこの後なのだ。過去はある意味、どうだっていい。

「よろしくお願いします。……お、お父さん」

 この一言を伝えるのが、今日の目標だった。

 きっと今頃、僕のほうれい線は濃くなっていると思う。

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