6

「ひっ……」


 目覚めのけだるさの中、ぼんやりと、隣に横たわる男に顔を向けた瞬間、眼前で自分に向けられている見開いた双眸に、思わずユリは悲鳴を上げた。


「アベさん、黙って動かないのに目が開いてて、怖すぎです……びっくり、しましたよ……」

 思わず抗議の声を上げるユリの唇に、彼の唇が軽く触れる。


「ごめん。目を閉じると、全部、夢でしたってことに、なりそうで……」

「……もしかして、私が寝ている間、ずっと、見てたんですか」


 うん、と照れ臭そうに笑う男の様子に、ユリは言葉を失う。

 そんな彼女の頬に、微笑んだ男の指が、愛しげに触れる。


「まだ、信じられない。君の顔を見つめて、君に、触って、抱きしめて。……そんなことが、もう一度、許されるなんて……」


 彼のこれほど無防備な笑顔を見たのは初めてで、ユリの胸は甘く疼く。


「ずっと、触りたくて触りたくて、気が狂いそうだった……」


 ユリの肩口に鼻先を埋め、熱い吐息とともに男がつぶやく。

 ユリの胸はまた、甘い疼きでいっぱいになる。


「……これからはいつだって、好きに触って、良いんですよ」


 思わず男の頭を撫でてしまいながら、ユリはささやく。

 男の顔が上がり、二人は優しく、口づけた。



 コンコン。

 その時、の入り口の扉が軽く叩かれ、二人はさっと身を起こす。


「お二人さん。そろそろ、店じまいよ。身支度整えて、出てらっしゃい」


 いつもの朗らかな、店長の声。

 敵わないな。二人は顔を見合わせて苦笑いをする。



 表の店内には、夜明けの薄明かりが差し込んでいた。店長は、ずいぶん時間を潰してくれていたに違いない。ユリは身が縮こまる思いがする。


 その薄闇の空間には、かぐわしい香りが漂っている。


「今日は本物の、アイスティーよ」


 店長は、測り入れた茶葉にぐつぐつと沸き立つ熱湯を注ぐと、きっちりと蒸らし、それからゆっくりとかき混ぜる。そしてこれまたきっちりと計った氷に紅茶を注ぎ入れ、冷えたグラスに注ぎ分けた。


「……おいしい」


 一口、口にして、ユリは思わずつぶやいた。


「そう? やっぱり、味の安定のキモは、基本に忠実に、いつでもきちっと計量するってところよね。カクテルもお茶も、変わらないわ」


 店長はいつもの静かな笑顔で、二人を交互に見比べた。


「結局、あなたたち二人とも、普通の魔力使いになっちゃったわね。……どう、私の仕事、継ぐ気はない? ……表も、の仕事も」


 ユリと男は、顔を見合わせる。


「二人がかりなら、私一人分ぐらいの仕事は、こなせると思うわ」


 店長の、微笑む瞳の奥にちらりと見える不敵な光に、隣の男が身じろぎをする。彼の、隠しているつもりの負けず嫌いに火が付いたのが分かり、ユリは思わず微かに笑い声を漏らす。


「……何が、おかしいの」

「……ううん、別に」


 アイスティーのグラスにもう一度口を付けながら、ユリは思う。


 春の朝日と、アイスティー。

 この、ふくよかな幸福の味。

 きっと、私は一生、忘れない。

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夜と魔女とアイスティー 霞(@tera1012) @tera1012

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