【短編】新訳 猿蟹合戦

お茶の間ぽんこ

新訳 猿蟹合戦

 最近気になる人がいる。


 私は会社で働くごく一般的なOLだ。周りは昭和然とした古臭いスケベ上司や年の近い同僚と言えば嫌味ったらしい女社員ばかりで出会いなんてありはしない。


 ありきたりな理由だが友人からマッチングアプリを勧められて始めたところ、ヨウという男性とメッセージを交わすことになった。


 彼はとてもマメに連絡を返してくれた。男の人と関わることが少なかった私の男性に対する承認欲求が満たされていく心地だった。私は生まれてこの方、恋をする機会などなかったので今まで味わったことのない充実感に浸った。



 ヨウと喫茶店に行った。バンドマンをしているらしい。年甲斐もなく売れないソングを懲りずに出していると自嘲気味に語ったが、私は「大きな夢に向かって諦めずにつき進めるあなたは素敵よ」と言うと照れた様子を隠すように珈琲を飲んでみせた。それが可愛らしくも素敵に映えた。


◇ 

 

 相手は猿飛さるとびという苗字らしい。自分の苗字が蟹元かにもとだったので何だか猿蟹合戦を思い出してお互い思わず吹き出してしまった。ヨウとはそんなどうでも良い他愛のない話ができる。他にも何人かと会ってみたけれどヨウといるのが一番快適だ。この前のデートで少し高価なレストランの会計のときに、財布に少ししか入ってないことをヨウは気遣ってくれて「いいよ。その代わりまた次会うときは多めに払ってね」と大人しやかに微笑んで二人分の会計を払ってくれた。ヨウはとても良い人だ。

 

 

 ヨウに捨てられた。彼との間に子どもができた。


 彼にお腹の中に赤ちゃんがいると伝えると「そんなの中絶しろ。責任は取らんぞ」とあまりにも無責任な言葉を返してきた。


 どうするべきなのだろう。今ここに私の中に宿った命を簡単に殺してしまっていいのだろうか。いや、私にはできない。


 あれからヨウとは一切連絡を取ることができない。普段は私の家で一緒に過ごしていたので彼の住んでいる住所など分かりっこない。


 自分の親に頼ろうと思っても私の父母は既に他界している。この子を一人で育てる必要があるのだ。


 女手一つで育てられるものだろうか。でも世間でもシングルマザーって存在するよね。


 私はこのお腹の子を一人で育てることにした。



 柿見健太かきみけんたにゴールデンウィークの連休に別荘に来ないかと誘われた。


 柿見くんは同じ軽音サークルの後輩だ。彼は進んで雑用などを引き受けるような尽くしたがり屋で色んなことに突っ込んでいく子だ。なにかと構ってほしいオーラが出した、尻尾をブンブン振っている子犬みたいで、とにかく皆から愛されるようなキャラクターである。私もそんな柿見くんのことを好いていたし、正直に言うとちょっぴり彼氏彼女の関係になりたいと思っている。そう意識しているからか、それとも彼がその気があってアプローチをしてくるからか分からないが、よく私に話しかけてくれる。今回のお誘いもその延長線上みたいなくだりだ。


 もしかしたら柿見くんと二人きりのデートかな?っと淡い希望を抱いてみたが、よく一緒にバンドを組んでいて仲が良い佐藤栗子さとうくりこ臼井聡うすいさとし高蜂進たかばちすすむの三人も来るとのことだ。ちょっと残念。


◇ 


 ゴールデンウィーク初日、朝早くに東京から出ているフェリーでどこか分からない離島に向かい、そこから乗り継ぎで柿見くんの家が所有するクルーザーに乗り換えた。クルーザーの運転は柿見くんのお家の使用人(?)だった。別荘があるとか言っている時点で思っていたけれど、柿見くんのお家ってものすごくお金持ちじゃないの。


「柿見くんってすごいお金持ちなんだね」


 私は、海を眺める彼に話しかけた。


「お金持ち、そうですね。もとはすごく貧乏だったんですけど、ある日とてもお金持ちになったっていうか」


「そんな急にお金持ちになるものなの? 宝くじに当たったとか?」


「いえ、なんというか…僕、実は幼い頃に母を病気で亡くしたんですよ。母には身寄りがなかったので、孤児になって、そこで拾ってくれた方が富豪の方で。とても良くしてくれて感謝しかないです」


 そう語る彼の目は寂しそうで、どこに焦点を当てればいいか分からない広大な海原を当てもなく眺めていた。


 とんでもないことを聞いてしまった。まさか柿見くんにそんな過去があるとは知らなかった。


 どうフォローすればいいのか。


「おうおう、お二人さん海を見て何をたそがれているんだい」


 私たち二人の肩を後ろから抱き寄せるように臼井が割り込んできた。


 私と柿見くんの身体が触れ合う。もういきなり急接近。


「ちょ、ちょっと!」


 私は頬を真っ赤に染めて臼井の手を押しのけた。


「いやぁ~、健太と明美が仲睦まじくしているから俺が物理的に距離を縮めてやろうと思ってな」


 臼井は私の慌てっぷりに、大きな身体を折り曲げながら腹を抱えてゲラゲラ笑った。


 その笑い声を聞きつけて栗子と高蜂もやってくる。


 栗子は私の耳元で「勢いに乗って抱きついちゃえば良かったのに」と小声で囁いた。


 私は冗談じゃないわよ、と彼女に言い返して顔を手で仰ぎながら反対側のデッキに一人になった。私は栗子みたいにパリピじゃないんだから。


◇ 


 クルーザーに乗って一時間ほどで小島に着いた。島は木々が生い茂っていたが、桟橋から丘へと続く道が整備されていた。丘の上に別荘があり、そこから見える景色は何にも邪魔されない一面に広がる純色で彩られた海模様と淡いスカイブルーが一望できた。


「すごくきれい」私はそんな景色に圧倒されて思わず呟いた。


「君が言うとロマンチックじゃなくなるな。小学生が言う感想みたいだ」


 そうチクチク言葉を言うのは高蜂だ。彼は嫌味ったらしいが何だか憎めない。


「じゃああなたはこの景色を見てなんて思ったのよ」私は言い返した。


「違う違う。論点がずれてる。感想の重みというのは発言者によって変わるということを言いたかったのさ」


高蜂は小馬鹿にしたような嘲笑をしながらヤレヤレと言いたげに肩をすくめた。ヤレヤレと言いたいのはこっちの方だ。


「まあまあ皆さん、別荘に食事が用意されているので少し遅いですがお昼ごはんにしませんか?」柿見くんが宥めるように提案してきた。


「さんせーっ!」栗子はすっかりお腹が空いたようで声高々に言った。


 そうして私たちは食卓の方に向かった。



 気が付くと机の上に突っ伏して寝てしまっていた。今日は朝早かったから疲れがたまっていたのかしら。


 ちゃんと寝室に行って寝よう。メイクを落とさないとね。


 私は伸びをしようと手を上にあげようとした。しかし腕がいうことをきかなかった。


 そういえば体が絞めつけたように痛い。そんなに疲れていたのかな。


 自分の体に目をやると、私は麻縄でギチギチに縛られていた。


「目を覚ました?」


 冷徹な声が前方から聞こえた。


 顔を向けるとよく見慣れた四人の姿が机を挟んで立っていた。


「え、どういうこと?」


 私は事態を把握できなかった。


「ありのままの状況で言うと、君は縄に縛られているね」高蜂が当たり前の事実を口にした。


「そんなことは分かってるわ」


「じゃあ君は僕たちしかいない島の柿見くんの別荘で拘束されている」高蜂が機械的に応える。


「ふざけないで! なんで私が縛られているのよ」


「もー、そんな取り乱さないでよ明美。リラックスリラックス」栗子が深呼吸してみせた。


「何か心当たりないかい?」柿見くんは私の対面の席に座って見つめてくる。


「心当たりって…。何かのドッキリ?」


「要領を得ないようだね。君の名前は?」


「名前って…。私はよ」


「君のお父さんの名前は?」


だけど?」


は知っているかい?」


「そんなの知らないわ」


「とぼけるんだね。よし粛清だ」


 柿見くんは臼井に指示を出すと、臼井は私を締めつけている縄を引っ張って強制的に立たせた。


「来い」


「ちょっと、痛いわよ。どこに連れていくの」


「お風呂さ」


「何を言っているの」


 私は外に連れ出された。そこには周りを石で囲んで轟々と燃えた火の上にドラム缶があった。


 先が見えないほどに熱を帯びた湯気が空へと舞い上がっていた。


「よし入れ」


「冗談でしょ。こんなのに入ったら火傷どころか死んでしまうわ」


「そっか自分で入れないんだわ。皆で入れてあげよー!」栗子が嬉々とした顔でそう提案して四人は私を持ち上げ、熱湯の中にぶち込まれた。


 アツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイ!


「あ、ああ、あつい!」


「そりゃ当たり前だろ。お前のために薪をくべたんだから」高蜂が当然のように言う。


 私が必死に外に出ようとするが臼井が大きな手で押さえつける。


「うわ、押さえつける側も熱いわ」臼井は手をすぐに離した。


 その隙を逃さず私は身をよじりドラム缶を這い上がるように外へ出た。


 外へ出ると地面に思いきり叩きつけられたが、もう熱さで全身に痛みを感じて何も考えることができない。


 私は地面を右へ左へ転がり続けた。熱すぎる。


「きゃはは。芋虫みたい!」栗子が私の様子を見て大爆笑する。甲高い声が鬱陶しい。


「これは拷問としては失敗だな」高蜂が呟く。こいつは何を言っているんだ。


 こいつらは頭が狂っている。なぜ私を痛めつけるのか。


 私は不器用ながらもヨロヨロと立ち上がって森の中に逃げようとした。


 その瞬間、足に立ち上がれないほどの強烈な痛みを感じた。


 何かがふくらはぎに刺さったらしい。骨が何かに当たった感触がする。


 ふくらはぎを見ると包丁が刺さっていた。


 高蜂がその包丁を勢いよく引き抜く。


 イタイイタイイタイイタイイタイイタイ!


 私は言葉として聞き取れない悲鳴を上げた。


 それに呼応するように彼らの笑い声が轟いた。


「な、なんで私がこんな目に…」


 私は顔をくしゃくしゃにした。


「本当に何も知らないようだね。まぁそんなことは関係ないけどね」柿見は答える。


「ね、ねえ。私はあなたたちに何をしたの…?」


「正確には、君のお父さんが柿見くん…いや猿飛くんのお母さんにしたことさ」高蜂が言った。


「さ、猿飛…?」


「そう。僕の旧姓は猿飛さ。猿飛健太。君のクソ親父はお母さんを孕ませるだけ孕ましておいてお母さんを捨てたんだ。これはその復讐さ」


「そ、そんなこと…私は知らないわ! それに私に何も関係ないじゃない」


「君が知っているかどうかなんてどうでもいいさ。目的はあのクソ親父の大切なモノを奪うことだからね。僕は大切なお母さんを失った。だからアイツにもその痛みを思い知らせたいんだ。僕は柿見という養父に拾われた。彼は復讐心に駆られている孤児を拾ってはその復讐劇を楽しむような富豪でね。この別荘はその舞台ってわけさ」


「で、でもこの三人はあなたとは何にも関係ないんじゃ…」


「彼らも実は柿見の養子さ。復讐したい相手がいるもんだから、僕の復讐が終わったら今度は僕がその復讐の手助けをするんだ。大義名分を得て復讐するのはそりゃもう楽しいことでさ」


「あなたたち…どうかしているわ!」


「何とでも言えばいいさ。はあ、楽しかった。臼井さん、あれを頂戴」


 臼井は猿飛に一メートル程度の大型ハンマーを手渡した。


 私は恐怖でもう自分がどんな顔をしているか分からなかった。


「一発で殺せないと思うから、先に謝っておくね。ごめん」


 猿飛は私の頭の上に立ち、大きく金属塊を振り上げ、そして私の顔面に落とした。

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