6月26日

第41話 6月26日 金曜日

 僕は信号が青に変わったタイミングで十字路の横断歩道を小走りで渡った。

 そこからまた「ブランデンタルクリニック」のところまで走る。


 信号で右に曲がってから調剤薬局の前を素通りしてさらに加速し飛び込むように電話ボックスに入った。

 たまたま通りかかったSUVの運転手がそんな僕のことを見ていたようで口元が――おっ。となったのがわかった。


 いつもより、一、二分は早く着いたと思う。

 僕は電話ボックスで彼女がくるのを待つ。


 今日の彼女は堂々と前からやってきた。

 さすがにこの電話ボックスにも慣れたようでドアをサッと開いた。

 最初に逢ったときは電話ボックスの周りを一周グルっと回ってドアを開けようとしてたっけ? 彼女は昨日のことがまるで嘘のように涼やかだった。

 

 「はい。これ」

 

 僕が昨日あれだけ言ったのに彼女はまた白い封筒を出してきた。

 

 「だからもういらないって」

 

 「早とちりはいかんよ」

 

 今日は大企業の偉い人みたいだ。

 そう言われたらからには封筒の中身だけでも確認しないと。


 封筒を振ってみると小銭が動く感覚はあまりなかった。

 それでも封筒の底でサッと移動したものがある。


 指で挟んでみると硬貨の感触だ。

 封筒の中をあらためて見てみる。

 あっ、中には百円玉一枚と五十円玉一枚、それに十円玉一枚が入っていた。

 

 「何これ?」

 

 「マウントレーニアのバニラモカ代。買った値段より多かったら。ちょっとラッキーだね?」

 

 コンビニだとすこし高くつくから僕は「2円」のラッキーだった。

 

 「ああ、昨日のマウントレーニアのバニラモカ代か。でも、きみがもらっておくって言ったのに。それに僕もきみにおごってもらったことあるし」

 

 「じゃあ返金かえしてくれるの?」

 

 「いいよ」

 

 「ならばきみに二千五百二十円を請求する」

 

 彼女は手のひらを上に向けて犬のお手のようにしてきた。

 

 「高っ?! 何その額?」

 

 「ねえ。近いうちに私と一緒にU町までつきあってくれない?」

 

 「えっ、まあ、いいけど」

 

 U町は彼女が住んでた町だ。

 それに彼女が通っていたU町の公立高校もある。

 U町はS町との振興局を跨ぐけどここから南に約三十キロのところでS町からU町に行くならバスに乗って、あっ?!

 

 「そっか。その往復のバスの料金か。わかった。いいよ。二千五百二十円払うよ」

 

 「ありがとう。じゃあ私もきみに二千五百二十円を返金する」

 

 「うん。わかった」

 

 これでプラスマイナスゼロ。

 結局はバス代は自分持ちってことだ。

 まあ、ラッキーなマウントレーニア代はもらっておこうか。

 また、いつかきみにマウントレーニアのバニラモカを買ってあげればいいと思った。


 昨日、僕はマウントレーニアじゃなくマウントレーニアのバニラモカを選んだ。

 たぶんふつうのマウントレーニアよりもバニラモカのほうが好きなんだろうなって思ったから。

 これってお歳暮のやりとりみたいだ。

 母さんもお世話になった人によくあげてたっけ。


 「じゃあ。これは預かっておくよ」

 

 僕はその白い封筒を自分のスクールバッグにしまった。

 

 「そういえばうちのポストに入っていた白い封筒の中身がすくないときがあったんだけどどうして?」

 

 「ああ、あれね」

 

 「たしかポストに白い封筒が投函されるようなって三日目だったはず」

 

 「一緒にボランティアしてる佐藤さんにバス代を貸したから。ちょうど雨に降られてさ。両替も大変だったんだよ」

 

 「ああ、そういうこと」

 

 いつも三千五百二十円入っていた白い封筒の中身が四百四十円すくない三千八十円だったのはそういう理由だったんだ。

 しかも両替したから五十円玉一枚と十円玉三枚じゃなく、十円玉が八枚か。

 ポストに三千八十円が入っていた日の前日はちょうど雨の酷かった日で大納言に折り畳み傘を持って行ったからよく覚えている。

 納得だ。

 

 「じゃあ五日目のは?」

 

 「あの日は学習センターで困ってたおばあちゃんにタクシー代を貸したから」

 

 「ああ、タクシー代か」

 

 あの日はいつもよりも五百八十円すくなくて二千九百四十円だった。

 あの日も百円玉が九枚だった。


 本当なら五百円玉一枚に百円玉四枚でもいいのに。

 あのときも両替したからか。

 そして五百八十円という差額はタクシーの運賃だったんだ。

 僕は道の駅で何度も初乗り「580円」という文字を見ていたのに気づかなかった。

 

 「ここで重要なお知らせ」

 

 彼女は人差し指を一本ピンと上げた。

 

 「な、何?」

 

 じゃっかん胸がドキドキする。

 

 「二十三日の火曜日。きみに手を振り払われたときじつは封筒の中に四千五百四十円が入ってたんだよ」

 

 「えっ、と、いやあのときは。ごめん」

 

 「まあ、許すよ」

 

 「ありがとう」

 

 今思い返してもちょっと酷いことをしてしまったと思う。

 

 「うん。諸事情あるしね」

 

 その諸事情はもう諸事情じゃないよ。

 だって話の内容を知ってるんだから。

 諸事情にこんな使いかたもあるかのって勉強になった。

 

 「じゃあその佐藤さんて人とどこかのおばあさんに貸したお金を返してもらって。三千五百二十円に四百四十円と五百八十円をたして四千五百四十円にしたってこと?」

 

 「そうそう。小銭合わせはなかなか大変だよね~」

 

 小銭を合わせるか……ん、合う? ずれ? なんか変な感覚。


 「そうとは知らずに。僕も悪かったって思ってる」

 

 「ドラマだよね。手をばちーんって」

 

 「つい反射で。あのまた話が変わるんだけど。今日もスマホを持ってたらもう一回見せてくれない?」


 僕はなんでこんなことを訊いたんだろう。

 

 「お父さんの名簿?」

 

 「そう」

 

 「今日は持ってきてないよ。昨日はさすがにいろいろ訊かれるだろうなって思って持って行っただけだもん。私もぜんぶ話さないとって思ってたし。でもあれを持ち歩くのはあんまり気分がいいもんじゃないよね……」

 

 「そっか。でもなんできみのスマホにあんな名簿とかの画像があったの?」

 

 「あれはお父さんが逮捕されたあとに家にあったものを私がデジカメで撮ったから、昨日はそのSDカードをスマホに入れて持ってきたの」


 そこで僕はさらに不思議な感覚に陥った。

 なんだろうこの気持ちは? 昨日彼女に見せてもらった画像が思い浮かんできた。

 何かが潜在的に引っかかってる。

 

 「そっか。今度、もう一回あの画像を見せてくれない?」


 また、あの画像を見れば何かがわかるかもしれないと思った。

 

 「わかったよ。きみが言うなら見せないわけにはいかないよね」

 

 

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