第40話 6月25日 木曜日③

 「ぜんぶ話すよ。私は犯罪者・・・こどもだから」

 

 彼女は何もかも諦めた笑顔をした。

 笑ってないのに”笑った表情”を無理やり顔の上に乗せた。

 彼女はたぶん僕の質問のひとつにでも答えればあとは芋づる式ですべてを話さないといけないことをわかっていたんだ。

 でも、だからって僕もここで引き下がるわけにはいかない。

 

 「お父さんってむかしっから適当な人でね。お母さんもそんなお父さんに愛想をつかせて私が小さいころに出ていったの。だからお父さんの妹の明美叔母さんが私の保護者代わりみたいなものでさ」


 紺野明美さんの兄が彼女の父親なら紺野さんの兄もまた犯罪者、か。

 

 「そんな人がネットの世界に出入りなんてしちゃいけなかったんだよね? お父さんはネットを万能の世界みたいに思っててさ」

 

 なんだろう。

 真逆な境遇のはずなのにリテラシーの低さがうちの母さんと重なった。

 

 「軽作業で月に五十万円の高額求人仕事を信じきって……」

 

 「まさかそれに応募してしまった?」

 

 「そう。私のスマホを使ってね。今はもうスマホ自体解約してるけど」

 

 さっきのスマホ、だから。

 スマホ自体を解約していても中に残っているファイルは見ることができる。

 Wi-Fiに繋げばネットもできるし。

 似てる、きみと僕はなんだか表と裏、白と黒みたいだ。

 

 「その仕事っていうのが不正請求のはがきの投函の仕事だった?」

 

 あの梅木って警察が詐欺グループの仕組みやなんかを僕に事細かく教えてくれたから詐欺グループの末端が高額の求人に釣られた一般人が多いことを知っている。

 

 「そう。そのとおり」

 

 「それでお父さんが捕まった?」

 

 「U町より南のO市で現金を受けとりに行って現行犯逮捕。そういう役もやらされてたみたいで」

 

 受けとり役って「受け子」か。

 直接とりに行くんだから詐欺グループの役割の中でもいちばん逮捕の可能性が高い。 

 ……僕が最初、彼女と逢ったときにテレホンカードを使い切った話をしたことがあった。 


 ――いらないとやっぱり捨てるしかないんだよね? だっていらないんだもんね?


 あの彼女の言葉は詐欺グループに使い捨てにされたお父さんのことだったのかもしれない。

 未来が瓦礫がれきで埋まってしまったのは僕だけじゃないんだ。

 

 今の僕には誰ひとり学校に友達なんていない。

 あの事件のあとみんなと距離ができて浮いてしまった。

 みんなが悪いわけじゃないんだ。

 僕に接する方法がわからなくなったみたいなんだ。

 僕だってそうだ。

 クラスイップスみたいになって今までどうやって学生生活を送っていたのかがわからなくなった。


 それに現役の高校生がスマホを持ってないっていうのは文明がひとつもふたつも遅れたくらいの差が出る。

 電脳で繋がっていない僕はクラスにいないに等しい。

 僕はみんなとの係わりをどんどん失っていった。

 僕は社会の流れに遅れてしまったんだ。


 この娘は「山村澪」はどんな思いをしながらあの電話ボックスで無邪気に笑っていたんだろう? この状況でわかることは彼女の父親は詐欺グループの末端で雑用をやらされた挙句に「受け子」として現行犯逮捕されたってことだ。


 秋山さんの言っていた――わけありっていうのはその財布を盗られちゃった娘のほうで。という話とも一致する。

 でも、でもだ。


 「親がしたことで子どもの未来が閉ざされていいわけがないんだよ」

 

 よくわからないけれど同情していた。

 たぶん今の僕らには親がどうのこうのなんてどうでもよかったんだと思う。

 ただ、そんなものの犠牲になった僕と彼女は同じだから。

 

 僕は僕の自身の進路が閉ざされてしまった悔しさをずっと押し殺してきた。

 彼女も同じなんだ。

 彼女も彼女の自由と選択肢を父親に奪わてしまった。

 

 「ううん。閉ざされて当然なんだよ」

 

 「違う。親と子どもは別なんだって」

 

 彼女はぶんぶんと首を振っている。

 

 「違わない。どんなにそういうふうに言ってくれても。親と子は一蓮托生」

 

 彼女は何度も何度も首を振って否定する。

 ……たぶん僕が言っているのはきれいごとなんだと思う。

 

 「形だけの言葉。親は親で子は子で別々なんてぜんぶ嘘だよ。だってお父さんが逮捕された翌日にはもう誰も私と話してくれないんだから。親と子は絶対に切り離せないの」

 

 電話ボックスできみが言っていた――誰かと話せるっていいね。

 あれは電話の向こうの誰かじゃなく僕との会話はなしだった? 話し相手を失ってしまったから? やっぱりきみと僕は同じだ。

 僕の元からもみんないなくなってしまった。


 「私はもうこの世界にいないんじゃないかって思えた。誰にも見えてないんじゃないかって」


 僕には見えていた。

 あの日たしかに電話ボックスに走ってきた女の娘がいた。


 「見えてるよ。あのとき車道を通って行った車の運転手だってきみを見ていた」

 

 「……香奈江かなえちゃんたちには私は見えてたの」

 

 な、なんだ……友達がいたのか……。

 あっ、いや、きっと違う。 

 

 「かなえちゃん?ってあの三人組の誰かのこと?」

 

 「そう。あの中でいちばん背の高い娘」

 

 背の高い娘って――泥棒が泥棒されたって文句言えねーよな?って言っていた娘だ。

 

 「だからって。されるがままにならなくても……」

 

 「香奈江ちゃんも正しいの。だってうちのお父さんは香奈江ちゃんのお父さんにも投資の話をしてお金を取ってたんだから。それで香奈江ちゃんの弟は第一志望の高校を諦めちゃったんだよ」

 

 「……」

 

 僕はわかっていなかった。

 詐欺をする人は一種類のみだけで行動していると思っていた。

 彼女のお父さんは複数の案件にも手を出していたんだ。

 軽作業で月に五十万円の高額求人をやっていても他にも軽作業で月に三十万円の高額求人があればそれにも応募してしまう。


 振り込め詐欺の他にも投資詐欺までやってたんだ。

 たぶん主導してるのは同じグループだろうけど。

 もっとも彼女のお父さんにその自覚はなかっただろうな。


 「その成れの果てが今の私って感じかな……」

 

 彼女の目からはもう鱗なんて落ちない。

 ただ涙が零れ落ちていた。

 

 ――澪ちゃーん。

 

 彼女を呼ぶ声が学習センターの中から聞こえた。

 もうボランティアの時間なのかもしれない。

 辺りで鳴いている虫の声が僕を現実に引き戻した。

 彼女はパパっとすぐに涙を拭くと洟声はなごえで――はーい。と返した。

 

 「明日また電話ボックスに行くから待ってて。こんな私と話なんてしたくないならこなくてもいいけど」

 

 彼女はさっと立ち上がった。

 

 「絶対に行くよ」

 

 自ら進んであの三人にいじめられることを選んだのも彼女の贖罪だったんだ。

 紺野聡さんの言っていた――あの三人の中には止むに止まれないって諸事情もあってね。

 それは”かなえ”という娘のことだったんだ。


 山村澪かのじょは父親にどれだけのものを奪われたんだろう。

 彼女は立ち上がったあとまたすぐにしゃがんでマウントレーニアを底のカップごと持ち上げた。

 

 「これ。やっぱりもらうね」

 

 「うん。そのために買ったんだから」

 

 彼女はストローを挿してまるで洟声を消すためだけのようにマウントレーニアを飲んだ。

 でも両目が赤いのはわかる。

 彼女は足早に学習センターに戻って行った。

 

 僕が今日きみと逢う場所を電話ボックスじゃなくて学習センターに選んだのは、いつもきみがどんなふうにしているか知りたかったからなんだ。


 きみがそのボランティアをやっている本当の理由って”無償の優しさを”求めてなんじゃないの? 与える側にもなれるし受けとる側にもなれるから。

 そんな思いは言葉になることなく心の底に沈んでいった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る