第39話 6月25日 木曜日②

 彼女は僕を見つけると小さく手を振った。

 僕も小走りで彼女に駆け寄って行く。

 

 「正直いるかどうか半信半疑だった」

 

 「伯父さんに伝言きいたから、さ」

 

 「うん。一昨日は電話ボックスでの話が中途半端になっちゃったし……」

 

 「だよね」

 

 「学校、休んでたんだ?」

 

 「諸事情でね」

 

 僕は諸事情でいいと思った。

 

 「そっか」

 

 「うん」

 

 「あのこれ」

 

 「なに?」


 僕はまだ冷えたままのマウントレーニアのバニラモカをスクールバッグからとって彼女に差しだした。

 

 「どうしてマウントレーニア?」

 

 そう訊かれたけど僕は何も言わずにマウントレーニアの上蓋をとった。

 

 「これってコースターになるの知ってた?」

 

 「えっ?! うそ、知らなかったー」

 

 驚いてくれた。

 なんだか僕の手柄のように思えた。

 僕は上蓋の上にマウントレーニアのカップ本体を置いてまた彼女に差し出した。

 

 「すごーい。ぴったりはまってる」

 

 彼女の好奇心が勝ったのか彼女はカップに右手を添えて左の手のひらでマウントレーニアを持っている。

 

 「でしょ」

 

 「目から鱗」

 

 それは目から鱗が落ちるはずだよ。

 SNSなら拡散したくなるかもしれない。

 

 「ひとつだけ知りたいんだ。きみのお父さんがうちの母さんをあんなふうにしたっていう意味を。それだけ訊ければあとは何も訊かないから」

 

 僕は卑怯なことをした。

 和んでいる空気を利用して内容の重さを中和させた。

 

 「……」

 

 彼女は何も答えなかった。

 

 「それさえも教えてくれないの?」

 

 「ついてきて」

 

 僕は彼女に促されるまま学習センターの端の小さな階段ところまで行った。

 彼女はふいにその階段の四段目に座るとマウントレーニアをコースターごとコンクリートの上に置いた。

 僕も六段ある階段のうちの二段目の彼女を見上げる位置に座った。

 

 「ねえ。畑で芋って堀ったこある?」

 

 「えっ?」

 

 はぐらかされた。

 でも彼女の顔はそんな感じじゃないな。

 本当にその話題に疑問があったという感じだった。

 僕が重くした空気だ。

 彼女の話に乗ってみよう。

 

 「保育園のときに、い」

 

 僕がまだ言い終わってないときだった。

 

 「芋堀り遠足でしょ?!」

 

 「そうだよ」

 

 「あのときって芋いくつ穫れた?」

 

 「忘れたけど。ひとつじゃないかな」

 

 「私もそうだった気がする……」

 

 「それで何が言いたいの?」

 

 「まあ、芋がひとつならいいか。じゃあひとつだけ発表します。きみのお母さんに裁判所を名乗るはがきを送ったのは私のお父さんなの」


 「……」

 

 言葉を失うとはこのことだ。

 詐欺の主犯じゃないけれど詐欺グループの末端のひとりだったんだ。

 彼女は自分のスクールバッグからすこし古い型の白いスマホを出した。


 スマホ、持ってたんだ。

 まあ、彼女の口から直接スマホを持ってないと聞いたことはない。

 ふつうは持ってるか。

 公衆電話を使っていたから僕が勝手に彼女はスマホを持っていないと思い込んでいただけだ。

 じっさいのところスマホを持ってない高校生を探すほうが難しいよな。

 今は、小学生だって簡単なスマホくらい持ってるし。

 

 彼女はすでに電源が入っている液晶画面をタップしてある画像を僕の目の前に掲げた。

 画像の中には僕の家の住所や母さんのことが書かれた名簿があった。

 家族構成には「西川拓海」と僕の名前もある。

 それに「母子家庭は稼げないけど狙いやすい」という注意書きまであった。

 

 彼女は画像をスライドさせていく。

 でもスマホの画像を整理していないせいか彼女と彼女の父親の写真も混在していた。

 この人、いや、こいつが母さんを騙した……。

 パチンコ屋の開店イベントなんかの写真もある。

 「紺野聡」さんが言ってたギャンブル好きの甲斐性なし。


 他にも画像の中には裁判所や弁護士をかたって金銭を要求するはがきがあった。

 彼女は自分の父親が詐欺グループに加担していて僕の母さんを騙した証拠を見せるためにわざわざ今日スマホを持ってきたんだ。

 これは昨日僕が「紺野聡」さんに彼女への伝言を残した時点で僕に見せようと決心したんだろう。


 彼女が前から僕を知っていたというのは本当だったんだ。

 でも、それは僕の名前だけ・・を知っていた。

 だからあの日、僕が電話ボックスで――東西南北の西に難しくないほうの川。拓海は手偏に石と海で西川拓海。と名乗ったとき自分スマホの画像にあった「西川拓海」が目の前にいる僕だと気づいたんだ。


 あのときすこし様子がおかしくなったように感じたのはそういうことか。

 S町に住む「西川拓海」という名前だけを知っていたのに実物が目の前いたんだからそうなるのも無理はないか。

 それも自分の父親が詐欺で騙した人の息子だ。


 彼女はその事実に気づいたから叔母である紺野明美さんに翌日から僕の家のポストにあの白い封筒を入れるように頼んだんだ。

 叔母の紺野明美さんだって断れない理由があった。

 むしろ進んであの封筒を投函していたかもしれない。


 「山村澪」の父親であるとともに「紺野明美」の弟がしたことで僕の母さんは金を騙しとられて心を病んで入院したんだから。

 あんな夜中に毎日毎日、他人の家のポストに現金を入れて行くなんて並大抵のことじゃない。

 それができるとしたら良心呵責みたいなものだ。

 

 紺野明美さんにもそれをしなきゃいけない理由があった。

 彼女がいじめられていた理由もぜんぶ父親の犯罪のことだ。

 これでぜんぶ繋がった。

 

 「……じゃあ、きみのお父さんがうちにあんなはがきを送らなきゃうちの母さんもあんなふうにならなかったってこと?」

 

 「私はひとつだけ答えたよ」

 

 でも彼女は遮るように言った。

 

 「そんな。ふざけるな」

 

 心では冷静だったはずなのに内側と外側が違うようになった。

 たしかに僕はひつしか質問しないと言った。

 

 「わ」

 

 彼女はそう言うと、――かってるよ。とか細く答えた。

 また昨日のケンカ別れのようになる前に冷静さをとり戻そうと努める。

 

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