第37話 6月24日 水曜日

 僕はその日の放課後にあらためてコインランドリーの裏にある駐車場を訪れた。

 車が数台、停まっているけれど今日は閑散としていた。

 もっともふつうの駐車場とはこういうことだ。


 女の人が女の人を恐喝しているなんてのは非日常の事件。

 駐車場にきても彼女の手がかりを何ひとつ掴めずに引き返そうとしていたとき駐車場の真向かいに【紺野聡 明美】という表札のかかった大きな家を見つけた。


 漢字にはきちんと「こんのさとし」「こんのあけみ」とふりがなが振ってあった。

 この家があの”コンノ”「紺野明美こんのあけみ」って人の家なのか? たぶん間違いはないと思うけど。

 高校からもそんなに遠くない教員住宅の区画を抜けた数十メートル先にその家はあった。


 「紺野明美」って人も「山村澪」もこんな近くにいたのか? 僕の家からだってわずか五百メートルくらいのところだ。

 これくらいの距離なら真夜中でもうちにきてポストに封筒を入れていけるはずだ。

 訪ねない手はないと思った。


 僕は玄関まで行き一度心を落ち着かせてチャイムを鳴らした。

 甲高く――ピンポーンと鳴る。

 間違いだったら謝って帰ろう。

 家の奥のほうから――は~い。という声がした。


 あっ?! 

 あの「紺野明美」という人の声じゃない。

 間違ったかもしれない。 

 なぜならその声の主はもっと低くガラガラとした男の人の声だったからだ。


 引き戸の玄関を開き顔のぞかせたのは声とぴったりと合致っている年配の人だった。

 顔にしわはあるけど品のある感じの人だ。

 応対してくれたのは表札の「紺野明美」という人ではなく表札にある「紺野明美」という人の夫である「紺野聡」という可能性が高いと思った。

 

 それならここで結論を出すのはまだ早い。

 夫婦ならば無関係じゃないんだから。

 

 「どちらさまですか?」

 

 「あの、突然すみ」

 

 「ああ、きみかい?」

 

 僕がまだ、――すみ。までしか言ってないのにその人は僕を知ってるようだった。


 「えっと、僕のことを知ってるんですか?」

 

 「西川くんだろ? まあ、上がりなさい」

 

 三和土たたきの上でそう言われた。

 

 「は、はい、すみません。ではお邪魔します」

 

 躾どおりに挨拶をして僕は上がりまちに足をかけた。

 なんの警戒心も持たずに家の中に上がらせもらう。

 僕のことを知っているうえに名字が紺野。

 あの”コンノ”って人、「紺野明美」さんの夫でほぼ確定だろう。

 紺野さんはお茶を運んでくると僕が正座しているすごく高そうな大理石のテーブルの上にコトンと置いた。

 

 湯呑みだってデザインが凝っていて指に合わせたような凹みがあって持ちやすそうだ。

 僕の目線の先にはまたまた高価そうな籐椅子とういすがある。

 ただ見るからに小さくて「紺野明美」さんの物かもしれないと思った。

 

 「さあ、どうぞ」

 

 「あっ、はい、いただきます」

 

 言ったもののまだお茶には手をつけない。

 家の中も絵画や壺、骨董品やさまざまな装飾品でいっぱいだった。

 

 「あの澪さんは?」

 

 「今日は学習センターに行ってるよ」

 

 澪という名前を口にしても通じた。

 やっぱりここがあの”コンノ”という人の家で間違いない。

 ”コンノ”が「紺野明美」で夫が「紺野聡」。

 そして姪が「山村澪」だ。

 

 「学習センターってS町のですか?」

 

 「そう。澪はそこでボランティアをしてるんだよ」

 

 「ボランティア?」

 

 「ああ。まあいろいろ事情ある人たちの手伝いさ。澪自身もそういう事情だけどね」


 「あの澪さんは学校には通学ってないんですか? U町高校ですよね?」

 

 「今は休学中」

 

 「休学、ですか?」

 

 「そう」

 

 「どうしてですか?」


 いじめが原因だろうな。

 わかっていたのに口をついて出た。

 

 「澪に聞いてないのかい?」

 

 「はい」

 

 「だったら僕の口からは言えないな。うちのもなんか言ってなかったか?」

 

 うちの? ああ、奥さんのことか? 僕の家に白い封筒を入れていた”コンノ”イコール「紺野明美」って人だ。

 

 「えっと、うちのというのは紺野明美さん。澪さんの叔母さんのことですか?」

 

 「そう。うちのの弟が澪の父親なんだよ。まあ、僕からしても義理の弟ってことになるけど。あれはギャンブル好きの甲斐性なしでな」

 

 甲斐性なしって「紺野明美」って人も言ってたな。

 

 「それも澪さんに直接訊いてほしいと言われました」

 

 「そっか。澪は毎日シフト制のアルバイトをしてるんだ。忙しいときは土日もね。四時間働いてあとは学習センター。先にボランティアに行ってそのあとにアルバイトってパターンもある。予定はあの娘のリズムで臨機応変に変わる」

 

 四時間か。

 腑に落ちた、白い封筒に入っていた現金は三千五百二十円。

 それを時給換算すると八百八十円。

 S町の高校生のアルバイトの平均の時給もだいたいそれくらいの額だ。

 あの白い封筒の金額とぴったり合う。

 

 ということは彼女が毎日アルバイトで稼いだ額を叔母である紺野明美さんがそっくりそのまま僕の家のポストに入れていたということか。

 「紺野明美」さんがあの娘から預かった封筒を持って僕の家きたときに入っていたお金は土曜日に働いたぶんのだ。

 

 僕のように完全週休二日制で働いてるわけじゃないのか。

 そしてそのお金目当てにあの三人は彼女を恐喝していた。

 もっともあの三人はその前に彼女の財布を盗んでいるからそれを使って大納言で食事をしていたということだ。

 

 「あの澪さんのアルバイト先ってどこですか?」

 

 「ああコインランドリーの裏方だよ。そこのコインランドリーは会社うちがはじめたんだ」

 

 そうだ、最近、S町でも飲食店やなんかをはじめる人も多い。

 

 「なるほど」

 

 そこのコインランドリーは紺野さんが経営してるんだ。 

 たしかコインランドリーを経営してるのは町外れの建設会社の人。

 

 じゃあ紺野さんは建設会社の社長さん? 家の大きさとか骨董品の雰囲気とかまさにそんな感じだけど。

 会社は町外れにあっても家は町中にあったんだ。

 でもここで問題なのは彼女がどうして叔母さんに毎日、四時間ぶんの給料を僕の家のポストに入れるように頼んだのか、だ。

 

 僕と彼女のあいだで何かそうなるような契機きっかけってあったっけ? えーと……僕の家のポストに白い封筒が入るようになった前日を思い出すんだ。

 そう、あの日彼女は僕の名前を知ったんだ? でも前から僕を知っていたと言っていた。


 僕が母さんの子どもだと知ったからか? だからアルバイトのお金をぜんぶ僕に渡そうと考えた。

 だとしても彼女がそこまでして僕の母さんのために日当を使う理由はなんだろう。

 

 「きみが警察を呼んでくれたんだね。ありがとう」

 

 僕が考えごとをしていると紺野さんは僕の耳を疑うようなことを言った。

 

 「えっ? ど、どうしてそれを?」

 

 「ああ、コインランドリーの中の監視カメラさ」

 

 なるほど納得した。

 こんな時代だ。

 洗濯物を盗んでいく人だっているかもしれない。

 コインランドリーを自由に開放なんてできないか。


 それにコインランドリーを経営してるのが紺野さんならそのカメラの映像を確認するのも紺野さんだ。

 だから彼女は僕がコインランドリーの公衆電話で警察に電話したことを知ってたんだ。

 ようやく謎が解けた。

 

 「というか、あのあと澪さんはどうなったんですか?」

 

 「あの女の子たちは警察に連れていかれて警察署で事情を訊かれたみたいだよ」

 

 「そのあとはどうなったんですか?」

 

 「まあ、未成年でもあるし。澪自身も被害届は出さないっていうし。厳重注意で終わり。対応してくれた、ええーと、そう梅木さんって警察のかたも人一倍動いてくれてね」

 

 「そうですか」

 

 大納言で秋山さんが言ってたな梅木って警察の人は金融犯罪の担当だって。

 恐喝もその犯罪に含まれるのか? そんな人一倍動いてくれるならうちの母さんのときももっとやってくれたら良かったのに。

 まあ警察にとってはその日、起こったひとつの小さな詐欺事件だ。

 

 「それにあの三人の中には止むに止まれない事情の娘もいてね。まあ、諸事情ってやつだね」

 

 彼女の「諸事情」はこの人の口癖が移ったのかもしれない。 

 

 「そうですか。わかりました。やっぱり澪さんに直接会って訊きます」

 

 「ああ、そうしてくれるとありがたい」

 

 「はい。その前に澪さんにひとつ伝言をお願いしてもよろしいでしょうか?」

 

 「うん。かまわないよ」

 

 「明日、学校が終わったあとに学習センターに行くのでそこで待っていてほしいと……」

 

 「わかった。ちゃんと伝えておくよ」

 

 「お願いします。あっ、ちなみに澪さんのアルバイトのシフトは?」

 

 「そこは調整するから心配しないで」

 

 「わかりました。お願いします」

 

 僕は喉が乾いてきたので湯飲みを手にとった。

 やっぱり手にぴったりフィットして持ちやすい。

 そのままぬるくなってしまったお茶を飲んでからお礼を言って紺野さんの家を出た。

 今日、僕は電話ボックスに寄らず昨日、菊池さんに言った通り電話をしなかった。

 


 家ですこし休憩してからアルバイトに行った。

 大将に明日のアルバイトは休みにしてもらうように言った。

 秋山さんもブログ効果が薄れてきているから休んでもいいと言ってくれた。

 秋山さんは――気にしない、気にしない。といって一口で食べられるイチゴチョコをくれた。

 優しいな。


 そんなことを思いながら秋山さんとなにげない話をする。

 Ludeの動きが活発化してきて全国展開している大手ドラグストアでタイアップキャンペーンをやるらしいし。

 Ludeでいちばん人気の「漣」という人のドラマデビューも決まったみたいだ。


 今日の秋山さんはとくに上機嫌でLudeのデビューも近いかもしれない。

 僕は仕込み中の大将に視線を移した。

 ……大将ならきっとブログどうのこうの関係なく店が忙しくても僕に休みをくれただろうな。

 そのぶん午前中にきているアルバイトの人にサポートに入ってもらうらしいけれど。


 「拓海。人は助け合いだ」


 大将の言葉に僕はまた救われた。

 秋山さんにも、だ。

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