第36話 6月23日 火曜日

 菊池さんとの電話を終えた。

 電話ボックスの中でガラスの壁にもたれながらつぎの土曜日にコインランドリーの裏の駐車場に行くかどうか考えていたときだった。

 

 「わぁ!!」

 

 思わず振り返る。

 えっ?! 

 ど、どうして突然。

 僕のうしろに顔が現れた。

 電話ボックスのガラスに額をくっつけて僕を見ている。

 

 「あっと、えっと」

 

 僕はしどろもどろになったのを必死にごまかした。

 焦っているのは複合的な要因で心が散らかってしまったからだ。

 なんの心の準備もしてなかったところに急に会ってしまったこともそうだけど。

 何よりコインランドリーの駐車場であの現場を目撃してしまったこととか……。

 とにかく理由ならたくさんあった。

 

 でも、なんで電話ボックスのうしろから? ああ、そっか別の道を迂回してきたんだ。

 そう、この電話ボックスはコインランドリーからまっすぐ進んでL字になったところを右にぐるっと回っても着く。

 彼女なら僕がだいたいこの時間ここにいることはわかっていたはずだ。

 

 何を話せばいいだんろう。

 僕はとりあえず電話ボックスから出た。

 ドアが緩やかにばたんと閉まる。

 

 「えっと……」

 

 「助けてくれてありがとう」

 

 彼女は開口一番そう言った。

 なんのことだろう?

 

 「はっ、えっと、それってどういうこと?」

 

 「まさかボタン押しちゃうとはねぇ? 絶対に押しちゃだめだって言ってたくせに自分が押すのはいいんだ?」

 

 彼女は悪そうな顔をした。

 昨日のことか。

 でも、なんで知ってるんだろう? 誰かに見られてたのか? コインランドリーにいたあのスマホの客? それともあの男女のペア? あるいは梅木って警察が調べたのかもしれない。 

 大納言を訪ねてくるくらいだからその可能性はある。


 でも電話の発信場所がコインランドリーだとわかっていても僕がかけたことはわからないはず、だとは思うけどやっぱり警察ならそれもわかるのか? 指紋とか声とか? でも僕自身のデータがないと照合はできなよな。

 まあ、いっか僕がここで逮捕されるわけじゃないし。


 「ああいう場合なら押したっていいんだよ。というかああいうときのためにあの赤いボタンはあるんだから。きみが恐喝されてたわけで」

 

 しまったと思った。

 ”恐喝”じゃなくてもっと別の言いかたがあったかもしれない。 

 

 「恐喝かぁ。うん、まあそうだわな」

 

 また何かのアニメのキャラのように言った。

 

 「ごめん。自分でもすごくタイミングの悪いときに駐車場に行ったと思う」

 

 彼女は人差し指一本を手前に出した。

 

 「ジャストタイミングだよ。私がああなってるところをきみには見てもらいたかったからさ」

 

 「えっ?」

 

 ……ますます僕は混乱した。

 わざとあれを僕に見せるって? そういう趣味の人? まさかあれは「女子高生四人が男子高生の正義感を試してみる」ってライブ動画の撮影だったとか? の、わりには本物の警察沙汰になってしまったけど。

 

 「どうして?」

 

 この娘が何を考えているのかぜんぜんわからない。

 まあ義務じゃなかったけれど突然この電話ボックスにくるのを辞めたくらいだ。

 それに彼女があの”コンノ”という人に頼んだ白い封筒のこともいまだに謎のまま。

 

 「……ごめんなさい」

 

 ごめんなさい、か。

 それってどういう――ごめんさい。なのか? ポストにお金を入れるようなことをしてごめんさい? どうやって知ったかわからないけど詐欺にあって心を病み入院している母さんの境遇を知ってごめんなさい? 学校の帰りにわざわざ人通りのすくない公衆電話を選んで菊池さんに母さんの様子を確認してもらっている僕の秘密を知ってごめんなさい、か?

 

 僕が訊いた――どうして?にだっていくつもの意味があるのに……。

 ごめんなさいの一言じゃ何を伝えたいのかわからない。


 「単刀直入にいえばきみのお母さんをあんふうにしたのは私のお父さんだから。私はきみにどうされてもいいと思ってるよ」

 

 「はっ?!」

 

 何を言ってるんだ? 僕の母さんをあんなふうにしたのはきみの父親? だって母さんは詐欺の被害であんなふうに。

 でもお金をポストに入れつづけた理由がうちの母さんへの慰謝料というなら説明はつくけれど。

 

 「あのお金はどういうこと?」

 

 「私は知ってたよ。きみのこと。ずーと前から」

 

 すこしはぐらかされた気がした。

 

 「どうして?」

 

 「きっと運命とかだよね。残酷な」


 さっきとはまた別のアニメキャラか。 


 「運命って、そんな……」

 

 また曖昧にされた。

 

 「運命って抽象的だよね。まあ、ようするに縁みたいなもののこと。だって縁っていってもさ、良縁りょうえんもあれば悪縁あくえんもあるのに人って縁に良い意味を込めすぎじゃない?」

 

 たしかにそうだ。

 人がよくいう「縁」とはだいたい「良縁」のこと。

 ご縁がありますようにもそうだ。

 プラスの意味に使われる。

 誰も悪い「ご縁」なんて望まない。


 母さんと「03」の出会いだって結局は縁だ。

 完全な悪縁だけれど。


 「ってあんな額じゃ慰謝料にもならないよね?」


 やっぱり慰謝料? でも彼女の言う母さんへの慰謝料ってなんだんなんだ? この娘が母さんを騙していた張本人なんてことはないはずだし。

 なら彼女の父親が詐欺の主犯? それもない。

 だってあのグループの主犯はまだ捕まっていないし詐欺の拠点はほぼ都会で、S町からわずか南に三十キロのU町になんているわけがないんだ。

 

 おそらく「03」も首都近郊にいると思う。

 もちろん電話番号が「03」からはじまるからって必ずしも犯人が東京いるわけじゃない。


 もしかしてお父さんがどこかのコンビニの店長や店員だったとか? だったとしても僕が慰謝料を求めるわけがないのに。

 仮に彼女の父親がコンビニの店員だったとしてポイントカードや電子マネーを買ってる母さんが現在進行形で詐欺に遭っているなんて気づくのも難しい。

 

 気づかなくてたってコンビニの店員になんの落ち度もない。

 なぜだろう彼女の話はおかしいことだらけなのに不思議と怒りはなかった。

 それは昨日彼女が傷つけられている姿を目の当たりにしたからだろう。

 

 しかも秋山さんによって彼女の境遇をすこし知っていたのも大きい。

 何より僕は最初母さんが詐欺にあったときに思ってしまったんだ。

 母さんのことを恥ずかしいって。

 たしか同族嫌悪だったっけ? こんな時代なのにカタログショッピングなんて個人情報を売るようなことをして本当にリテラシーが低い。


 それがデジタル時代に育った僕の率直な感想だった。

 テレビであんなに騒がれているのにどこかで自業自得だと思った。

 騙された人がよく言う――まさか自分が?って言葉は母さんにそのまま当てはまった。

 そりゃあ騙されるよとも思った。


 僕自身もスマホを持っていたときはいつ自分もそういう被害に遭うかわからないと気を使っていたから。

 自分だけは騙されないなんて過度な自信もなかった。

 僕でさえこんなアンテナを張って生きていたのに母さんが詐欺に遭ったときは「だろうね」なんて思ってしまった。


 ――バカにしてたんでしょ。母さんのその言葉が今も心に刺さっている。

 

 日々アナログで生きていた母さんにだって僕に対して思うことがあったんだろう。

 でも僕だってずっと心配していたのにそれを聞き入れてもらえなかったことへの苛立ちだと思う。

 一方ではそう思いながらも僕のスマホ料金を払ってくれていた母さんにものすごく感謝をしている……。


 家に帰ったときは「ただいま」。

 食べ物を出されたときは「いただきます」

 他にも挨拶はきちんとしなさいというしつけ


 スマホの支払いだけじゃなく育ててくれたすべてに感謝してる。

 親子って難しいな。

 心配するがゆえのケンカなのかな? 母さんにも腹は立ったでも止めることができなかった自分にも腹が立った。

 さらに騙していたほうにはもっと腹が立つ。

 取り締まるほうにはもう何の期待もしていない。


 警察に行ったときの第一声を今もはっきりと覚えてる。

 ――お金は返ってこないと思ってね。だった。

 あの梅木という人の言葉だ。

 それで被害届を出すかどうかを訊かれた。

 

 そのときにいろいろな詐欺の手法や知識を学んだ。

 対応した警察にとってはそんな詐欺事件なんて何気ない日常のひとコマだ。

 僕が学校に行って授業を受けるくらいふつうのこと。

 その日も詐欺に遭ったふつうの市民が訪ねてきただけ。

 

 僕と母さんの非日常はあの担当刑事梅木の日常。

 警察とはそういう仕事なんだ。

 僕が味噌バターチャーシュー麺を運ぶのと同じ。

 大納言へのブロガーからの金銭要求だって現状、何にもできない。


 そう警察は困っている人には何もしない。

 人が死ぬよう事件じゃなきゃ何もしない。

 お金を盗られないうちは何もしない。

 盗られてからは動くけどそのあとにお金が全額返ってくることはない。

 騙されたほうが悪いんだから。

 勉強させてくれる人は正しいんだ。


 「さっき僕のことを前から知ってたって言ってたけどいつから知ってたの? 電話ボックスではじめて会ったときもすでに僕のこと知ってた?」

 

 「諸事情」

 

 「はっ?」

 

 心で思っていたのと口から出た言葉の音量が違っていた。

 諸事情は今ここで使うべき言葉じゃないよね? ここまできてまた何かを隠すのか? 彼女は身をすくめていた。

 驚かせてしまったかもしれない。

 

 結局この娘は何がしたいのかぜんぜんわからない。

 僕に対しての安い同情? それはお互い様だろう。

 ああ、僕はずいぶんと卑屈で嫌なやつになってるな。

 

 「これ」 

 

 彼女はこの期に及んでまだ白い封筒を僕に差し出してきた。

 

 「だからこれはなんのお金なの?」

 

 僕は彼女の手を振り払った。

 どことなくいつもより重い封筒が揺れた。

 

 彼女は無言のまま白い封筒をスクールバッグに戻し顔をつうむけたまま最初に出会ったときのように道の駅のほうに歩いていった。

 ケンカ別れのようになってしまった。 


 彼女がわざわざうしろの道から回ってまでこの電話ボックスにきたってことは何か言いたいことがあったはずなのに。

 僕がコインランドリーで警察に電話したことも知っていた。

 誰に訊いたんだろう? 見当もつかない。


 でも彼女が僕にあの駐車場の状況を見せたかった理由って? ――お母さんをあんふうにしたのは私のお父さんだから。

 それが答えなんだろうけど詳細がわからなさすぎる。 


 僕はもう一回電話ボックスに戻って受話器を上げテレホンカード入れた。

 もう暗記してしまった十一桁の番号を押す。

 すこしだけ間があって菊池さんが電話に出た。

 よかった。

 まだ仕事ははじまっていなかった。

 僕は明日、菊池さんに電話をかけられないかもしれないことを告げると菊池さんは快く了承してくれた。

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