第31話 6月20日 土曜日

 僕はアルバイトから帰ってきてすこし仮眠をした。

 土曜へと日づけが変わった今も玄関の式台で毛布に包まれながらうつらうつらしその人物がくるのを今か今かと待ち構えている。

 もっとも外が明るくなってからはこないはずだから、あと二、三時間のうちにうちにくるだろう。


 玄関先で短くタンタンタンと人が歩くような音が聞こえた。

 確実にこっちに近づいてきている。

 ポストのところでわずかだけどガタガタと音がした。

 DMが投函されるときに聞こえる音と同じ。

 いる……。


 いったいどんな人があの白い封筒をポストに入れていってるのか? 僕は毛布を投げ捨てて手元にある筒状の物を握りしめすぐに玄関のドアを半開きにした。

 手の中の物を横向きに変える。

 それは僕が母さんの見舞いに行った日ホームセンターで買ったものだ。

 玄関の隙間にそれを入れてスイッチをカチっと押す。


 ――きゃ。


 そんな声とともに――ばたん。とポストのふたが閉まる音がした。

 僕の前方は闇を打ち消すように煌々と光っている。

 そのばたん。は急に手を放したから勢いよくポストがしまった音だ。

 空が薄っすらと明るくなりかけているけど僕が手にしているこれ・・無しじゃそこにいる人の顔の判別は無理だ。

 

 僕は菊池さんが使っていたのと同じLED懐中電灯でその人影を照らした。

 ポストの中に白い封筒を入れていたのはうちの母さんと同じ歳くらいの見知らぬ女の人だった。

 その人も小さな懐中電灯を持っているけど今はスイッチをオフにしている。

 それもそうだろう。

 懐中電灯を点けながら僕の家に近づいてきたんじゃ誰かに気づかれてしまうかもしれない。

 

 「あの」

 

 僕は懐中電灯を持ったまま玄関ドアの隙間からおそるおそる声をかけた。

 もちろん玄関チェーンはしっかりとかけたままだ。

 LEDの光は強力でその女の人は自分の手でこの懐中電灯の明かりを遮っていた。

 

 そうだよな。

 僕も家の中で菊池さんと鉢合わせしたときはとても眩しかった。

 僕はLEDの懐中電灯を持っている腕の角度を変えその人の目がくらまないようにした。


 その女の人はまさか見つかるとはという感じで僕を見ている。

 あまりに驚いたからなのか声も出せずに驚きの表情で固まっていた。

 僕はLEDの懐中電灯をランタン型に変えて照明の範囲を広げた。

 その人はやっぱり逃げも隠れもしない。

 

 僕が急に懐中電灯で照らしたために驚きすぎて動けないだけかもしれないけれど。

 何秒か経ったときだった。

 その人はようやく動きはじめ両手を両膝より上の太ももにあて僕に一礼をした。

 上品で良い人そうだけどどことなく自分は正しいことはしていない・・・・・という表情が読みとれた。

 

 「どういう理由で毎日うちのポストにその封筒を入れてたんですか?」

 

 「私は紺野と申します。私はただ頼まれただけですので。本当に申し訳ありません」

 

 また深々と頭をさげた。

 頼まれた? もっともらしい言い訳だ。

 誰に頼まれたのか知らないけれど何の事情も知らずにこんな怪しいことを引き受けるわけないだろう。

 つまりは諸事情か。


 諸事情はやぱっり厄介な言葉なのかもしれない。

 ”コンノ”と名乗ったその人はすごく華奢で丁寧な人だったから僕の警戒心もしだいに薄れていった。

 

 「どういう理由で頼まれたんですか?」

 

 「それはもうすこしだけお待ちください。それに今までのお金はぜひお納めください」


 「そんなわけのわからないお金受けとれるわけないじゃないですか? しかもこんな夜中にポストに入れて行くお金ですよ? ただでさえうちの母さんは金銭がらみであんな」


 僕はそこでハッとして言葉をきった。

 この人に母さんのことを言う必要はないのについ売り言葉に買い言葉で言ってしまった。


 「お母様のことは大変申し訳ありません。さらにこんな気味の悪い行動をしたうえこんなことを申しあげるのもなんなんですが、あとすこしだけお待ちいただけないでしょうか?」


 その人はまた待ってほしいだけを懇願してきた。

 でも――お母様のことは大変申し訳ありません。ってどういうことだろう? 僕が言った金銭絡みという言葉に対する返答なら違う気がする。


 「ずいぶん一方的ですよね?」

 

 「すみません。警察に言うならそれはそれでもかまいません。勝手にポストに物を入れると不法侵入になるかもしれませんし」

 

 ”コンノ”という人がそう言ってまた頭をさげた。

 まるで僕のほうが何かの加害者みたいじゃないか。

 

 「わかりました。まだ・・警察には言いません」

 

 僕はとりあえずそれを受けれた。

 どれくらい待てばいいのかわからいけれどすこしだけ待つことにした。

 正直、警察に言ったところであのときと同じでどうにもならないと思っている。


 僕に実害はないし何より警察は民事不介入だ。

 そう本来警察は人の揉めごとになんて首を突っ込まない。

 

 ”コンノ”と名乗った人はさらにまた何度も頭を下げ歩き出した。

 そのままこっちを振り向くことなく街路灯だけの町中をひとり進んでいった。

 僕はただ黙ってそれを見送る。

 ポストの中の白い封筒は不用心だからいちおう家の中で保管する。

 

 

 すこし寝ようと思ったけれど気持ちが昂ってぜんぜん眠れなかった。

 あまりにも眠気がないから早朝のニュース見ることにした。

 芸能ニュースで偶然、今、秋山さんが追っているアイドル”Lude”の特集をやっていた。

 ああ、この人たちが秋山さんの御眼鏡に適ったグループか。

 

 秋山さんが応援してるなら近いうちに必ずデビューするだろう。

 それにあの娘もこのアイドルが好きだったな。

 アイドルの話題のあともいくつかのニュースを見てもう一回布団に入ることにした。

 

 布団の中でも不思議なくらい目が頭が冴えている。

 まるで半日くらい熟睡して起きたあとのようにすっきりとしていた。

 ようやくあの白い封筒を入れて行く人の正体がわかって安心したからかもしれない。


 母さんくらいの歳で華奢な女の人。

 そこまで怪しいというタイプの人ではない。

 でも”コンノ”? いったい誰なんだあの人は? ――お母様のことは大変申し訳ありません。って母さんを知ってる? それに母さんに対してそんな感情を抱く人物って? それってもしかして? 一緒に警察署につき添ってくれた菊池さんなら知ってるはずだ。

 


 いつの間にか寝落ちしていて気づけば昼の十二時ちょっと前だった。

 僕は早く確かめたいことがあるから菊池さんがちょうど昼休みになる時間帯を目がけ電話ボックスに向かった。

 もう菊池さんの電話番号は完全に暗記している。


 「もしもし。ああ拓海くん?」

 

 「はい、そうです。あの、菊池さんって母さんのときにいた担当刑事の名前って覚えてますか?」


 僕は母さんの状態を訊く前にまずその疑問を訊ねた。


 「えっと。どうしたの急に?」


 「ちょっと気になりまして」


 「そう」


 「それで覚えてますか?」


 「そりゃあ覚えてるよ」


 菊池さんにはすごく記憶に残っているようだった。


 「な、なんて名前ですか?」


 「梅木うめきさんだよ」


 「うめき。ですか?」


 うめき?


 「梅酒なんかの”梅”に樹木の”木”で梅木」


 「その漢字で梅木」


 梅木? ”コンノ”とはぜんぜん違う。

 じゃあって”コンノ”って誰なんだ? あのお金はなんなんだ? てっきりあの刑事の奥さんかなんかだと思ったのに。


 「そうですか……」


 母さんを騙した犯人? なわけがないし。

 でもグループの上層部は海外に逃げていてグループの実態さえ掴めていないはず。

 わからない。

 警察に連絡してみようか? でもこの状況じゃ何もすることがない。 


 ”コンノ”という人の言葉通りもうすこし待ってみるしかないか。

 僕はあの人がたしかに白い封筒に触れているところを見た。

 だからもっと大きな事件に発展したとしても封筒から”こんの”という人の指紋はとれる。


 事件になったらなったであの封筒を警察に提出すればいい。

 それに素人じゃ足跡がわからくても警察なら専用の方法で僕の家の前の足跡を調べられるはず。 

 あっ?! 

 ”コンノ”という人はうちまで徒歩できて帰りも歩いて帰っていった。

 だとしたらS町に住んでる人? あの人は意外と僕の家の近くに住んでいるのかもしれない。


 あるいはバスで行ける距離? でも夜中にバスは走っていない。

 タクシー? 可能性だけならすこし遠くに車やバイクのような乗り物を停めていることもあるか。

 あっ?! 

 その前に急に減った「三千八十円」と「二千九百四十円」のことを訊きぞびれた。


 「拓海くん? 拓海くん?」


 僕は通話中なのに考えごとをしていて菊池さんの話をきいていなかった。


 「すみません。ちょっと考えごとを」


 「そう。何かあったの?」


 「いや学校で詐欺の犯人が捕まったとかっていう話を聞いたんで。別の詐欺事件かもしれないですけれど」


 「拓海くんも知ってたんだ」


 「えっ?!」


 それってどういうことだろう?


 「でも捕まったのは掛け子、受け子、出し子の末端の何人かだよ。お母さんの事件との関連性は警察じゃないとわからないね」


 ああ、そういうことか。

 偶然、捕まった別件の犯人がいたんだ。

 トカゲの尻尾じゃ大した意味はないけれど。


 「へ~知りませんでした」


 「でも拓海くん今、犯人が捕まったっていう話を学校で聞いたって……」


 「えっと。聞くには聞いたんですけれど小耳に挟んだっていうニュアンスです。詳細までは知りませんでした」


 「なるほど」


 「菊池さんの話で今はじめて掛け子と受け子と出し子が捕まったっていう詳細を知りました」


 「そういうことだったんだ」


 「はい」


 今日は長く話しているからテレホンカードがどんどん減っていく。

 でも僕はもう新しいテレホンカードを使っているから残りの心配をしなくてもいい。

 一枚目のテレホンカードはもうすでに「0」になっていてとっくに使い切っていた。


 「それより菊池さん。休憩時間は大丈夫ですか?」


 「うん。これくらいはね」


 「すみません」


 菊池さんとの話を終えると電話機本体が青いグラデーションをピピーピピーピピーと吐き出した。

 現状を考えるとあの得体の知れない封筒をポストに入れらても僕の形勢はそこまで不利じゃない。

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