6月13日
第20話 6月13日 土曜日
今日は病院に行くからいつもより早く起きた。
ふつうならすぐに登校準備をはじめるけれど今日はパジャマ代わりのジャージで玄関に向かう。
こんな姿で外に出てしまえるのは休日の土曜日だからだ。
いつもと同じようにポストを開くと白い封筒は当然のようにある、ど?!
ど、どころじゃない。
白い封筒がふたつに増えてる。
どいうことだろう? 白い封筒が二通になっていた。
やっぱり誰かが意図的にうちのポストに封筒を入れていってるのか? ふたつ目の白い封筒を持ってみても一通目の封筒と同じで底に硬貨があるのがわかった。
昨日と同じようにただ封筒の口を折っただけの封筒の中を見てみる。
見た瞬間の
問題は枚数だ。
千円札が三枚に百円硬貨が五枚、それに十円硬貨が二枚。
三千五百二十円。
昨日とまったく同じ額が入っていた。
家の中に持っていくのも嫌だから、とりあえずまたポストに封筒を戻す。
僕は家に引き返しながらも気持ち悪さを感じる。
いったいなんなんだろう? 僕は心ここにあらあらずでひとり朝食のトーストを食べながらワイドショーを見る。
バターの味があまりしないからミルクティーで口の中の味を変えた。
今ではとくにめずらしくもなくなったネット犯罪の特集をやっていた。
学校の【コンピュータ室】で見た不正アクセスの事件だ。
――名簿が流出して、それが売買されてしまうことがあるということですか?
――はい。当然その危険性はあります。
大手の通販会社の名簿でさえ売り買いされるんじゃどうしようもない。
それでいながらいまだにうちにカタログを送ってくるなんてどういう神経をしてるんだろう? もっともそれをじっさいに送ってくる人のことではなく会社という組織が、だ。
もう、うちじゃカタログショッピングなんて娯楽は無理なんだよ。
まあ、たしかにその会社から漏洩した名簿が原因だったのかの証明はできない。
デジタルに疎い母さんは僕がネットショッピングする感覚でよくカタログショッピングをしていた。
不正アクセスや名簿の流出なんてそんなにめずらしくもないことだ。
あるときその通販会社の顧客名簿が流出したというニュースが流れた。
そう、
しばらくしてその大手の通販会社からお詫びという名目の封筒と一緒にカタログショッピングで使える「3000円商品券」が同封された郵便物が届いた。
母さんは大量生産された詫び状を読みながら大変そうと言っていた。
でも事件の重大さをあまり理解していなかった。
むしろ、ふっと湧いて出たお得な商品券を歓迎していたくらいだ。
そうれもそうだろう。
だって実害がないんだから。
逆にその商品券に小さな幸福さえ感じたかもしれない。
「ある日突然」そんな言葉がぴったりだ。
家のポストに投函されていたのは裁判所と弁護士を名乗るはがきだった。
未払い、督促、債権回収、個別指定番号そんな言葉が並ぶ官製はがき。
うちは母子家庭で僕は未成年だから母さんがうちの家長ということになる。
僕が学校にいるときにそんな郵便はがきが届いていたんだ。
母さんが折り返しの電話をしてしまったのは、そのはがきに書かれていた「03」からはじまるどこか。
僕がそのはがきの存在を知ったのはずいぶんあとのことだった。
母さんのような人はいわれるがままに動く絶好のカモだったんだと思う。
僕はその事件のあと一度だけ職員室で電話を借り菊池さんに電話をしたことがあった。
誰も何も言わないけれど視線が痛かった。
母さんがバカにされている気がしてその日から職員室で電話を借りるのをやめた。
嘲笑の対象は母さんだけだろうか? 息子である僕も一緒に笑われてるなんてのは被害者意識なのかもしれない。
そんな古典的な方法に騙される……いや、騙された被害者の息子。
じっさいに笑われてはいない。
僕らのようなデジタルネイティブ世代にとっては「古典」だけれど母さんのような世代にとってはまさに「最新」の詐欺。
二十四時間、三百六十五日いつでも支払いができるコンビニは便利だ。
母さんは「03」に指示されたとおり電子マネーやポイントカードをコンビニで買った。
そのカードがなんなのかさえわかっていなかったと思う。
「03」に指示されてはカードを買い、スクラッチくじのようにカードの裏面を削って十桁以上もあるアルファベットと数字の羅列を伝えつづけた。
最初は数万円からはじまりやがて要求額も増えカードの購入額は大きくなっていった。
「03」は購入するカードの種類を変え別の電子マネーも要求した。
母さんはS町にある三つのコンビニを不定期に巡りながらそれらのカードを買いつづけた。
支払い総額が百五十万にもなろうかというとき僕の通学路であるあの十字路のコンビニの店員さんが警察に通報してくれた。
いまだにどの店員さんが通報してくれたのかはわからない。
でも僕はあのコンビニに行くたび、ああ、その事件に気づいてくれた人がいたんだと救われた気持ちになる。
僕はあのコンビニに寄った帰りは心の中で必ずお礼を言うことにしている。
その影響で家の経済状況はひどいものになった。
新聞も辞めたしBSの有料チャンネルも辞めた。
家の電話もスマホも解約した。
とにかく生きる上で必要最低限な電気、水道、ガス以外の辞められるものすべてを辞めた。
ついでに僕は将来も
まあ、電話の解約については支払いがどうのこうのというのが理由ではないけれど。
母さんは警察に事情を訊かれていても頑なに口を閉ざした。
本人だって途中でうすうすは気づいていたと思う。
ただ思考が追いつかなかったり弁護士を名乗った人たちへの恐怖があったんだろう。
劇場型と呼ばれる詐欺集団の「03」にはたくさんの役割の人がいた。
複数人いやおそらくはそれ以上のグループだそうだ。
その協力者の末端の人が捕まったという話はきいたことがある。
いつだったかその詐欺グループと関係あるかないかわからないけど逮捕された人がいたはずだ。
もしも弁護士を名乗る人からの電話があった場合は最初に「フルネームと漢字」、「所属弁護士会」と「登録番号」を訊けばいいそうだ。
弁護士の多くはどこかの弁護士会に所属していて必ず司法試験を通過しているから絶対に「登録番号」は持っている。
新人だと「登録番号」をすぐに言えないこともあるそうだけれど「登録番号」さえ答えられないのならその時点で弁護士じゃない可能性が高い。
「フルネームと漢字」、「所属弁護士会」と「登録番号」がわかれば実在の弁護士かどうかを調べることもできる。
誰かわからないけれどあのコンビニの店員さんがいなかったら母さんはいまだに電子マネーやポイントカードを買いつづけていたかもしれない。
いや、うちにそこまでのお金はないか。
定期預金だけは解約の手続きが面倒でなんとか被害を免れていた。
本当にお金が底をついていたら母さんはどうなっていたんだろう? 今でさえあんなふうなのに……。
それからすぐだった。
家の固定電話でも僕のスマホでも家のチャイムでも音が鳴った瞬間にパニックを起こすようになったのは。
張り詰めていた緊張の糸が切れたんだろう。
僕は僕が持っていたスマホを母さんの目の前で壊した。
それはどこか悪を退治する感覚だった。
まったくの錯覚だけど。
それからスマホを解約してスマホを使うこともなくなった。
ないならないでなんとかなるから。
僕のスマホは今、机の引き出しの奥で眠っている。
液晶画面がヒビだらけでも時計の代わりにも使えなくもない。
でも、やっぱりスマホを持って歩くことを
母さんが心を病んでしまったのは……そういう理由だ。
その病気は目に見えない部分の怪我だからなかなか治りづらいみたいだった。
僕は食器類をシンクに持って行って水道の水でサッっと流してから洗い桶に入れた。
テレビのよくあるニュースを消し
◇
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます