第18話 6月11日 木曜日
今日、彼女は電話ボックスにいなかった。
そしてこなかった。
現在の時刻でもう四時を過ぎている。
今までの彼女ならだいたいこれくらいの時間にはもう電話を終えていた。
どこか別の電話ボックスを見つけたんだろうか? たった三日だけど変わった娘だった。
それに彼女が知りたがっていた「110」から「119」までの電話番号はすでに教えてるから約束は果たしている。
僕はまたいつものように緑色の受話器を手に十一桁の番号を押していく。
プルルと呼び出し音がして三コール目で菊池さんがでた。
「ああ、拓海くん」
「はい。今日はどうでしょうか?」
「うん。安定してたみたいだよ」
「そうですか」
「命に係わることじゃないとはいえ安定ってきくやっぱり安心だよね」
「はい」
僕のテレホンカードの残量は「8」になった。
でも一昨日、新しいテレホンカードを買ったから安心だ。
ストックがあるとゆとりがもてる。
貯金もそういうことだろう。
今日は母さん調子がいいみたいで良かった。
でも気になったのはあの娘のことだ。
また明日の「明日」に未来形の「トゥモロー」はなく「じゃあね」くらいの意味だったのかもしれない。
あれは「約束」じゃなかった。
でも「111」に電話するのは約束じゃないのかな? いったん家に戻って必要のない郵便物をダイニングテーブルに置き私服に着替えアルバイトに行く。
◇
昨日も一昨日もいた女子三人組が店いちばんの人気メニュー、味噌バターチャーシュー麺を奥座敷で食べていた。
ほかにも見かけないお客がたくさんいてコの字型のカウンター席はぜんぶ埋まっている。
「このラーメンがヤバい。(このヤバ)」は本当に人気のグルメブログなんだな。
湯気が出てきそうなくらい鮮明な写真の記事で紹介されていた味噌バターチャーシュー麺が飛ぶように
文章もやっぱり上手くて「シズル感」を使った表現のチャーシューはすぐにでも食べたくなる。
ブログの下にはきちんと数種類の拡散用SNSアイコンがあるからすでにたくさんの人に拡散されてると思う。
記事を読み終えたあとにワンクリックでその記事たちは見知らぬ誰かのもとへ拡がっていく。
この拡がりが良いほうに拡がればみんなの役に立つけれど真逆の結果になってしまうことだってある。
今日の大納言はなんとなくだけど観光にきているような
買い物袋やお土産の入ったビニール袋が僕にそう感じさせた。
あくまでそんな気がしただけだけだけど。
今日はこのあともどんどん人がやってきそうだ。
――はい?
大将は左手で固定電話の子機を持ち利き手の右腕で中華鍋を振っていた。
――えっ?
中華鍋からのジュージュワーという音とともに香ばしい匂いが店内に漂っている。
パラパラの炒飯が魚の群れのように宙を舞う。
相乗効果で注文も増えそうだ。
材料足りるかな?
この時間なのに秋山さんのほかにヘルプでパートの人がふたりきていた。
大将がさきを見越して呼んだんだろう。
おお、すでに野菜とチャーシューの未開封ダンボールがある。
追加で注文したということはあとで麺も運ばれてくるかもしれない。
「いや。うちはそういうのいいからさ」
大将はそのまま電話を切ってしまった。
何かのセールスか勧誘の電話かな? 国もいい加減そういう不特定多数にかける電話を制限してくれないかな。
詐欺の温床にもなってるわけだし。
信じられないことだけれどむかしは電話ボックスに個人宅の電話番号が載った分厚い電話帳が置いてあったらしい。
今の時代じゃ考えられない。
今なら電話ボックスから盗まれて転売。
あるいはフリマ行きだ。
僕は店の入り口に置いてあるお客が「
公衆電話がある壁近辺にはタクシー会社の電話番号、バスの時刻表それに『時給 高校生880円』『時給 一般930円』と赤いペンで大きく囲んだパート募集の貼り紙まである。
新規のお客の中にその掲示物をめずらしそうにスマホで撮っている人もいた。
旅行の記念というわけではなさそうだ。
都会の店にはこんな貼り紙はないのかもしれない。
あるいは「
店を出てすぐの対面の歩道にはバス停もあるし。
僕は昨日の晴れやかな心とはまるで逆の気持ちで食器を洗っていた。
マウントレーニアのふたがコースターになるってこと教えてなかったな。
知ってるかな? 僕は何を思ってるんだろう。
大納言の裏口に人影が見えた。
別のパート人がその対応をしに向かった。
ああ、麺の配達か。
大納言の裏口に麺の箱がどすんどすんと積み重なっていく。
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