第3話 6月8日 月曜日③

 最初はぜんぜん使いかたがわからなかった。

 でも、もう慣れたものだ、と我ながら思う。

 スクールバッグはリュックのように背負えば、この狭い空間でもなんとかなるし。


 緑色の受話器を手にとりそのまま耳に当てて、テレホンカードを入れると電話機本体がそれをとり込んでいく。

 電話機の左中央に赤い数字が残りの度数を表示している。

 僕が見ている数字は「12」。

 単純に「1」で十円ぶんの通話ができる。


 僕が持っているテレホンカードだと百二十円ぶんの通話が可能ということになる。

 両手が自由に使えるように首と左肩のあいだに受話器を挟む。 

 ここからがすこしだけ面倒だけれど制服の内ポケットから生徒手帳をだして白紙のメモ欄に書いてある十一桁の番号を押していく。


 スマホやタブレットのように指先でパパパっとスピーディーにボタンを押しても相手には繋がらない。

 アナログとはそういうものだ。

 数字のボタンを押すとぷちんという感触とともにちょっとした反発かえりがある。

 それをもってして初めてひとつ数字のボタンが押されたということになる。

 

 この感覚は慣れるしかない。

 まずは「0」から。

 こんなふうに公衆電話に詳しくなろうとしていなければ九州は「09」だとか日本の市外局番に詳しくなることもなかったはずだ。

 デジタルの世界で市外局番なんて関係ないか。


 スマホケータイはだいたい「090」か「080」か「070」ではじまるんだから。

 それにスマホならスマホ本体に電話帳があって話したい相手の名前をタップするだけで自動で繋いでくれる。

 とまあ、そんなことを思いながら僕は生徒手帳に書いてあった十桁の番号を押し終えた。


 ぶち、ぶつ、ぶちん、そんな音のあとにプルルルと呼び出し音がなる。

 

 「もしもし。拓海くんかい?」

 

 あとはスマホと同じでふつうに会話すればいい。

 

 「はい。そうです。今日はどうでしょうか?」

 

 「そうだね。今日はちょっと……だね」

 

 「そうですか……」

 

 「あっ、いやあね、そこまでじゃないんだ。ほらムラがあるっていう感じでさ」

 

 「わかりました。いつもすみません」

 

 「いやいや。いいんだよ」

 

 「じゃあ、失礼します」

 

 「うん」

 

 僕は静かに受話器をおいた。

 電話機はどこかのヒーローが緊急時に鳴らすタイマーのようにピピーピピーピピーとテレホンカードを吐きだした。


 「0」を押せばどこにだって繋がる。

 「03」からはじまる番号なら東京。

 今じゃ「とうきょうゼロサン」なんてひとつの単語のようになっていて「03」という番号なら必然的に東京からの電話だとわかる。

 

 「03」にはどんな人だっている。

 ときには繋がってはいけない場所にも繋がってしまう。

 僕は電話ボックスのドアを引き大人ひとりが入れば一杯になってしまうガラス張り入れ物からでた。


 今、車道を通り過ぎていった車の運転手が僕を見たような気がした。

 が、それは気のせいだろう。

 たぶんその運転手が見ていたのは息せき切らせてこっちに向かってきた女子高生だと思う。


 その娘は僕の目の前に立ったまままだ肩で息をしている。

 あまり芸能には詳しくないけれど声優アイドルにこんな雰囲気の娘がいたな。

 よっぽど急いでいたんだろう、そんな雰囲気が溢れている。

 ただ、ここで立ち止まってどこにいくんだろう?


 だって僕のうしろにあるのは誰もいない電話ボックスと線路さえもない廃線の無人の駅。

 まさかとは思うけど、そんな駅に用事があるわけじゃないだろう。

 窓に貼ってある時刻表のステッカーだってスクラッチくじを削ったようにギザギザに欠けている。

 誰も手入れをしてないのは一目瞭然だ。

 この一画だけなら心霊スポットといっても過言じゃない。


 「すみません。それいいですか?」

 

 「えっ?」

 

 そ、それ? とは?

 

 「なんのこと?」

 

 「その電話です」

 

 ああ、なるほど電話ボックスの中にある公衆電話のことか。

 正直、S町にいる高校生でこの電話ボックスを使うのは僕だけだと思っていた。

 でもその制服はS町にある高校の制服じゃない。

 見慣れない制服だけどどこの高校だろう?


 「えっ、ああ、うん、どうぞ」

 

 僕自身が電話ボックスの入り口にいて彼女の進行方向を塞いでいたみたいだった。

 邪魔だったな。

 僕はさっと横にずれた。

 

 その娘は急用とばかりに電話ボックスに近づいていくと扉の右側を手で押した。

 電話ボックスの扉はぴくりとも動かない。

 そのあとも同じ場所を何度か強く押していた。

 

 けれど、やっと諦めたようで僕から見て電話ボックスの右側面みぎそくめんに移動していった。

 ひとりうなずきながら、そのガラスを押している。

 うーん、と唸りながらまだ側面のガラスに触れていた。

 いや、そっちも開かないけど、と心の中で思う。


 それはどこからどう見ても一枚ガラスだし。

 これは本気でやっているのだろうか? つぎは電話ボックスの真後ろに回り込んで、また扉を一生懸命に押している。

 

 順番通りに巡ってきて今度は僕から見て左側面のガラスを押しはじめた。 

 僕はいまだにそれを黙って見ている。

 なぜなら「現役女子高生が全力で電話ボックスから電話をかけてみた」なんてふうなライブ動画の撮影中かもしれない。

 ただの脇役でしかない僕が映り込んでしまうと放送事故で撮り直しになってしまう。


 ただ彼女はスマホを持っていない。

 でもこんな場合はすこし離れた場所から友達が撮影しているはずだ。

 今のスマホの機種なら望遠での動画撮影だってできるだろう。

 スマホじゃないにしろ撮影用の機材は用意してきているはずだ。

 

 その娘は電話ボックスの正面に戻ってきて――なるほど。とつぶやいた。

 何がなるほどなんだろう? ああ、さすがにもうオープニングの撮れ高は充分か? ついに電話ボックスに入って電話をかける気になったか。

 

 「おっ、と」

 

 その娘からそんな声がもれた、僕を見て、ああこれね。といわんばかりの顔をした。

 ようやく電話ボックスの正面ドアの左側にあるすこしだけ飛び出ている取っ手に気づいたようだ。

 そっか、僕の体の陰になって見えなかったのか。

 申し訳なく思う。

 彼女はおもむろに取っ手を掴んで奥に押すと電話ボックス全体ががつんと音を立てた。


 うん、まだ撮影中だ。

 その娘はまたう~ん。と唸っている。

 すぐに、はぁと息を吐き、また奥に向かって扉を押した。

 

 ここの電話ボックスのドアは折り畳み式ドアで取っ手部分を掴んで奥に押すと同時に右に引くことで開くようになっている。

 たぶんふつうの電話ボックスなら取っ手を掴んで右に引くだけで開くんだろうけどなにせここは古い電話ボックスで建付けも悪い。

 

 僕も最初はこの電話ボックスに入るときに手こずった。

 でも知人にこの電話ボックスの癖を教えてもらって以来、問題なく出入りできている。

 

 「あの、ここの鍵持ってますか? さっき中に入ってましたよね?」

 

 「えっ?」

 

 

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