第7話 子殺し

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 勇者様が旅立ってから2年。勇者様の快進撃は続き、魔王によって苦しめられてきた生活から解放される日が近いことを、人々が予感し始めていた頃だった。


 就寝前に食堂へ呼ばれた私は、こんな夜更けに赤ワインを楽しんでいる父に思わず眉を寄せた。しかし父が酒を飲み過ぎている理由は、簡単に予想がつくものだった。


「勇者殿が魔王領に到着したとのことだ。まもなくだな」


 シュウが、父に手紙を送ったらしい。手紙が前線からここまで届くまでに所要する時間を考えると、既に魔王と交戦している可能性が高い。最大の障害を排除出来たとあれば、当然魔王は世界中を支配しようと動き出すだろう。


 どうせ勝つしかないなら討伐してから報告すれば良いのに、彼はということだ。しかも褒美を貰えるわけでもないのに、わざわざ父に報告している。


 つまりこれは父に対してではなく、私に向けてのメッセージなのだ。


「では遂に……」


 ……いいよ、シュウ。私はもう、覚悟できてるから。


「ああ。魔王は倒され、世界に平和が戻ってくる」


「平和が……そうですか」


 確かに平和になるだろう。誰もが望む平和とは限らないだけで。


「明日から忙しくなりそうだな。どうだジュネ、お前も飲むか」


「結構です」


「どうした、どこか調子が悪いのか?は無さそうだが」


 無詠唱の〈分析アナライズ〉……父程の魔法使いなら、造作もないのだろうけども、相変わらず服を透視されたような不快感がある。この感覚だけは何度説明しても父には理解されなかった。あのハンク様でさえそうなのだから、魔法の便利さが人々の感性を歪めてきた気がして仕方がない。


 だからこそ、


「父上は、娘の体調をステータス画面で管理できることに疑問を抱いていないのですか?」


 私の質問に対して、父上は首をひねった。本当に、質問の意味が分からないようだった。


「別段普通のことではないか」


「勇者様が我が国に召喚された際に、魔法の存在とステータス画面に酷く驚いたご様子でした。つまりあのお方は、魔法とステータスが存在しない世界、さらには魔王がいない世界からやってきたのでしょう。このことは、


「……何が言いたい」


「魔王がいなくなった世界に、魔法が残っているとお思いですか?」


 今度は首をひねるどころではない。父上から激しい怒気と殺意が溢れ出していた。


「……あれは勇者様の冗談だったはずだ。まさかジュネ、お前は本気にしているのか?」


 父の手が、剣の鞘に添えられた。


「父上は魔法を何故使えるのか、ご存知ですか」


「当然だろう」


 魔法。それはステータスと共に突如世界にもたらされた奇跡。無から有を生み出すこの奇跡は、レベルさえ上げれば、MPというステータス値が無くなるまで誰でも使うことができる。


「――女神の祝福そのものだ。この程度は我が国の貴族なら誰もが知ってて当然の知識、いや常識だ。今更になって初等講義をやり直すつもりか」


「そう、女神の祝福。私もそう習いました。しかしそれはあくまで学者と教会の解釈です。魔法が使えるのは人間だけではありません。誰にも教わってないはずの魔物もまた使えます。おそらくは魔王も」


「それは女神の慈悲だ」


「その魔法が女神の祝福ではなく、魔王の恩恵だとしたら、どうしますか?ステータスという概念そのものが、魔王の呪いだとしたら?」


「の、呪いだと!?女神の祝福に対して、お前は異を唱えるというのか!」


「その解釈が間違っているのです。ステータス値は人を導く数値ではなく、人の未来を縛る鎖です。人には無限の可能性があるはずなのに、スキル適性という括りで人の将来を決めつけ、HPの大小で命の重さを決めつけています――」


 父上はガタリと音を立てて椅子から立ち上がると、私の首元へサーベルを当てた。首の血管を少し切り取ったらしく、生暖かい血が私の襟元を汚していく。


「なんという不信心、なんたる不敬者だ!!そのような娘に育てた覚えはないぞ!!」


「では父上。今の私のHPをご覧下さい」


 父上の目の中に激しい憤りと、隠しきれない戸惑いがあった。私が何を言いたいのか測り切れずにいる。


「残り25だ、それがどうした!」


「それでは、これはどうでしょうか」


 私は右手で、自分の左腕を思い切りつねり上げた。軽い内出血が起こったが、致命傷には程遠い自傷行為だ。


「1ダメージ……?」


「そうです。内出血が起こったことで、私のHPが減ったのです。そしてこれこそが、ステータスを呪いと評した理由です」


「なにっ!?」


「令嬢が自分の腕をつねり上げただけで……そしてそれを数十回繰り返すだけで絶命するのです。こんな世界のシステムが、私達への祝福であるはずがありません。人の命は、こんな数値で決められていいものではありません」


「お前の言っていることは詭弁だ!そんな馬鹿な真似をするなどと、女神が想定するはずがなかろう!普通に生きていれば、HPが0になるような真似などするはずがないのだ!!普通の人間ならな!!」


 首の刃が少し深く触れたからか、傷口から流れる血が少し増えた。そのせいで私のHPが少し減ってきたのだろうか、父の顔に少なくない動揺が広がり、震え始めている。


「父上。勇者様は神託が下る数日前に、女神からこう言われたようです。どうか――」






『――どうか、この世界を魔法とステータスの呪縛から解放してほしい。魔王が世界をコントロールするための<ステータスシステム>と、<魔法>という名で自然法則を歪めるツールを、彼を討ち滅ぼすことで消してほしい。あれは人の手には余るもの……女神は俺にそう言ったんだ』


『魔法とステータスは、魔王の産物……!?じゃあ、神託って!?』


『あれこそが魔王の力なんだ。魔法使い向きじゃない人間に魔法を授け、好戦的じゃない人間に戦士のスキル適性を予め与えることで、人間の成長限界を押し下げているんだよ。もしかしたら魔王から見て危険な人ほど、HPが低くなるようなもしているかもしれない』


『そんな……じゃあ、私のHPが伸びなかったのは』


『魔法とステータスが必要ない世の中を模索していたからかもしれない。魔王が望む世界の住民に相応しくないから』


『……全部、魔王の掌の上だったということなのね』


『ステータスで能力を誤認させ続ける限り、人間が魔王の想定通りに研鑽を積んだところで、魔王の脅威にはならない。神の介入でもない限り、魔王より強い存在パラメータは存在できないからね。ジュネ、君が感じてた強い違和感は、正しかったんだよ』


『待ってよ。……じゃあ、まさか魔王を倒したら――』






「馬鹿な……!?で、では本当に、魔王がいなくなれば……魔法が、ステータスが、世界から消える……!?女神がそれを望んだと言うのか!?嘘ではなかろうな!?」


「はい」


 この世の終わりかと思うほど、父の顔色は悪かった。この不快感は父が無意識に私を〈分析アナライズ〉し続けているからか、それとも首から流れ落ちた血が胸元を汚し始めたからか。


「そんなことになれば世界は終わりだ!!今すぐ勇者殿を止めなくては!!」


「無駄です。既に勇者様は魔王と交戦している頃のはず。今から妨害に向かったところで間に合いません。そして彼は絶対に勝ちます。腕が飛ぼうと、首を潰されようと、無尽蔵のHPがある限り彼は死なないのですから」


 ……本当は、私も彼について行きたかった。だけどHP30ぽっちの私が同行しても、彼の足を引っ張るだけだった。だから私はここに残って、父が勇者様の邪魔をしないよう監視を続けていたのだ。


「父上。ここに勇者様の意見を取り入れた、魔法喪失後の統治に向けた法律の草案と、魔法の代替案を用意しました。すぐに目を通してください。ただちに陛下へこれをご提案して判を仰ぎ、新たな世界の到来に備えるべきです」


 シュウにだけ命を賭けさせたりはしない。


 これが、私の戦いだ。


「……待て。お前達は……知っていたのか!?魔王を倒せば世界から魔法が消えること、やつが旅立つ前から知っていたのだろう!?」


「はい、知っていました。父上にもご説明したはずですが」


「知っていて何故止めなかったのだ!!」


「それが私と彼、そして女神の希望だからです。それに何度も申し上げました、魔法とステータスで管理された世界は間違っていると……そう、子供の頃から何度も言ってきたではありませんか!それらを必要としない領地にしてほしいと、勇者様も、そして私も訴えてきました!ずっと父上には言葉を尽くしてきました!」


 叫びと共に、傷口から血液が舞った。父が当てたサーベルは、私が思っていたよりも深く血管を傷つけたのかもしれない。この出血でどれほどのHPが削られたのかは、想像もつかない。


 <情報開示ステータス・オープン>をするのが怖かった。それでも私は叫び続けた。


「話を聞いてください父上!まだ間に合うはずです!」


「お前の言っていることは結果論に過ぎん!終わりだ……もうこの世界は終わりだ!お前達のせいで世界が終わるのだ!!」


「お願いします、父上!目を覚ましてください!人間は魔物でも、魔族でもないんです!たとえ魔法が使えなくても、シュウの世界に生きる人々のように、我々も逞しく生きていけます!火を消さずに残す方法も、水道の引き方も、風車の作り方も、私達は自分の力で学んできたはずではありませんか!今からでも遅くはありません、どうか――」


「理想論ばかり語るな!子供の戯言で統治が出来るか!お前は私に従って、優秀なステータスを持った子供を産めばそれでよかったのだ!何が勇者だ!!やつはやはり、下賤な平民に過ぎなかったということだ!!やつこそが世界の敵だ!!今すぐにでも討伐軍を編成することを、陛下へ進言しに行くぞ!!」




 それを聞いた直後、私の臓腑に力が宿った。腕に力がみなぎってくる。それはまさに蠟燭が燃え尽きる、最後の一瞬のようだった。


 首の傷から流れ続ける血の生暖かさが、全身を流れる穢れを証明するように思えた。


 ならば、どれだけ流れ出ても構うものかと腹を括った。


ですって……!?戯言の一言で片づけさせやしないわ!私はいつだって本気だった!<分析アナライズ>を安易にすべきではないと、何度でも、喉が枯れるほど言ってきた!あなたは自分の価値観だけを大事にして、娘が嫌がることを嬉々としてやってきたのよ!領民たちにもそれを強要して、可能性を潰してきたんじゃないの!!」


「分かった風な口を!屋敷からまともに出たことがない貴様に何がわかる!!」


「出さなかったのは貴方と魔王よ!!間もなく魔王は倒される!!この世界から魔法も、ステータスも、神託だって消え去るの!!いい加減に認めて、領主として来るべき未来を見据えなさいよ!!それが貴方の仕事のはずでしょう!!」




「父親に対して、その口の利き方はなんだあああ!!!」







 激怒した父親の剣が、私の身体を肩口から腰までを切り裂いた。






 1ダメージでは済まない衝撃によって、私の視界は暗くなって――










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