第3話 大人になるなら
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「どあー!疲れたー!全くあのおっさん、人をなんだと思ってるんだ!あれは鬼だ、鬼!」
私の部屋に入って早々、使用人見習いは私のベッドに倒れ込んでいた。彼と過ごしてまだ一年しか経っていないが、二人だけの秘密を共有しているからか、変な仲間意識みたいなものがある。それが、お互いから遠慮を奪っていた。
「おっさんじゃなくて、先生でしょ。ていうか、私のベッドを汗臭くしたら怒るわよ?」
「ジュネまで俺を不潔扱いするの!?しっかり水浴びしたから汚くないって!ていうかジュネと二人きりの時くらい素顔でいさせてくれよ!くそー訓練の締めにカッツバルゲルで素振り650回とか、冗談じゃないよったくー!絶対明日筋肉痛だよ!いつか演習でボコボコにしてやる!」
他の誰にも見せない、少年そのものの彼の姿に、私の中にあった憂慮が少しずつ薄れていった。眼の前にいる彼は、世界から見ればレベル1001を超える怪物なのかもしれない。やろうと思えば、いつでも私を害することができるのかもしれない。
でも、そんなの関係ない。やっぱりシュウは、シュウのままだ。何度も喧嘩して、仲直りして、時に肩を貸しあった友達じゃないか。今まで大丈夫だったんだ、きっとこれからも大丈夫。
それに――
『……セルジュ。そんな危険な彼に、どうして貴方は稽古をつけてくれているの?
『そうですね……私も何故そうしないのか、自分でもよくわかりません。ただ……』
『……ただ?』
『やつがもう少し可愛い性格をしていれば、ここまで本気で色々教えたりはしなかった気がします。生意気なガキですが、男として友人を持つとするならば、意外とああいうのが一番よかったりするのですよ』
――ステータスに縛られた彼の心を動かしたシュウが、力を悪事に使うことはない。なんの根拠も無かったけども、そう信じてみたいと思った。
「ねえ。シュウは大人になったら、どうしたいの?」
「え、何だよ急に?……うーん……大人になる前には、元の世界に帰りたいかな。親父と母さんも心配してるだろうし」
……そっか。それは、そうだよね。
「でも、こっちでの生活も楽しいんだよな。ジュネもいるし、おっさんもああ見えて結構面白いしさ。だから、もしこっちで大人になるんだったら……その……」
「……大人になるなら?」
彼はちょっとだけ恥ずかしそうにしながら、頭を掻いていた。
「す、好きな女の子と、ずっと一緒に暮らせたらいいかなって……変かな……?」
それはもったいぶる割には、平凡な夢だった。というより彼のそれは夢ではなく、人生設計といってよいものだった。
同じ年代の子供とは思えない妙に現実的なプランに、私はついつい笑ってしまった。
「……ぷっふふふ!あっははは!なによそれ、普通の家庭を築きたいってこと?男の子なのに、意外と夢がないのねー」
この時、心の底からホッとしたのを覚えている。当時は何に対しての安堵かわからなかったけど、今ならなんとなく分かる気がする。
「ふ、普通でいいんだよ、普通で!どうせ俺は頑張ってもレベル1のままだし!身の丈に合った生活ってやつで良かったりするの!」
私はきっと、怖かったんだ。もちろん、彼のレベルにではない。
「ぷ!?ふ、ふふふ!ねぇ、その言い草、セルジュの影響を受けてるんじゃない?」
「お、おっさんの影響を受けている!?この俺が!?ま、まさか、いやでも……あ……!〜〜〜っ!つ、疲れた!俺はもう寝る!おやすみ!」
「は!?ちょっと、そこ私のベッドよ!使用人のくせにご主人様のものを使うんじゃないわよ!おい、こら!起きろーー!!」
彼がずっと遠いところに行ってしまわないかって、すごく不安だったんだ。
――そして、さらに年月は流れた。
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それから3年。私とシュウが15歳を迎えた日に、転機は訪れた。貴族令嬢なら避けては通れない通過儀礼……婚約の顔合わせである。
「まさかジュネと結婚したい人が現れるなんてなー」
この頃のシュウと私はすっかり親友というか、ちょっとした悪友のような関係になっていた。お互いに皮肉を言い合って、お互いに気持ちよく嗤い合う、そんな奇妙な関係に。
使用人修行の方も、一年前にギリギリ合格を貰えている。そんな彼は皮肉を言いつつも、お茶を淹れる手を止めていなかった。
「趣味が良いのか悪いのか」
「趣味が悪いとしたら、勝手に婚約を決めた両家の父ね。先方は私じゃなくても、ジャンメール家と結婚出来ればそれでいいのよ」
「なんだよそれ。じゃあジュネに妹かお姉さんがいたら、そっちでもいいってことか?」
「家同士のパイプが繋がるならね」
ただしお目当ては家の土地や富ではない。もっと高尚で、崇高で、かつ下らないものだ。
「それが貴族の常識ってやつよ。あちらとこちらでレベルとステータスも釣り合うし、身分も同格なの。ま、悪くない条件ってとこね」
そんな下らないもので、世の中がうまく回ってしまうのだから面白い。伊達に何百年もそれで歴史を刻んできた訳ではないということだわ。
「ふーん……悪くない条件、か」
「何よ?言いたいことがあるなら、はっきり言いなさいよ」
「ジュネが婚約を受け入れているのが意外でさ。魔法とステータスは否定するのに、貴族の常識は受け入れるんだなと思って」
胸の何処かで痛みが走った。彼の指摘は、私が幼かった頃なら絶対に認めないことだったから。
だけど15歳にもなれば、少しずつ現実を受け入れるしかなくなってくる。個人的に魔法とステータスを嫌っていたとしても、それと家の存続を天秤に掛けた時に、どちらを優先すべきかなんて論ずるべくもない。
論ずるべくもないと思ってしまうくらいには、私も世界を認め始めてしまっていた。一人で反骨し続けることに、疲れ始めていた。
「ジュネも大人になったって訳か」
彼の声には感情が乗ってなかった。淡々と事実確認をしているだけに聞こえる。それが妙に腹立たしく、そして不安にさせた。
「……貴方こそ、さっさと結婚相手を見つけなさいよ。平民でも貴族の使用人なら割と高給取りなんだし、引く手あまたじゃない」
「俺はまだ良いんだよ、好きな子と一緒になれればそれで」
「あっそ、子供の頃の夢を大事にしてるみたいで結構だわ。で、その好きな子はどこにいるのかしらね?未だ私はお目にかかったことがないけど?」
「探せばどこかにいるよ、きっと」
「なにそれ」
シュウの口ぶりは軽い。いつもの軽口、いつものジョークにしか聞こえなかった。だけどこの時は、私の方が少しおかしかったのかもしれない。
「……それで?慣習に従わない場合はどうするのよ」
「どういう意味だよ」
「いいから貴方の考えを聞かせて。私にどうしてほしいのかしら?」
当時は自然体のまま喋っていたけど、言っていることは意図不明だった。今思い返しても、何故こんなことを口走ったのかは分からない。
ただ、この時はそれを聞きたくて仕方が無かったのだと思う。それはきっと、私と彼が、同じ答えを持っていたから。お互いに同じ答えを持っていることを、確認したくて仕方が無かったからだ。
「……」
「…………っ」
心臓の音がうるさいと感じたのも、その日が初めてだった。
……見つめ合ったと表現するにはあまりに短く、それでも充分以上に重苦しい時間を破ったのは、彼の方だった。
「俺の世界じゃ、お見合いする方が珍しくなってたんだよな。お互いに好きな人同士で結婚してたよ。両親もそうだった」
いつも通りの優しい声。だけど、私の質問にはちゃんと答えてはくれなかった。
「恋愛結婚ってこと?別に禁止はされてないし、平民同士ならよくあるわね。貴族では珍しいとは思うけど」
ううん、それが答えだった。
「そっか、珍しいのか」
それが、当時の私たちに出せる、精いっぱいの答えだった。
「ええ」
それ以降、私と彼がこの話題に触れることは無かった。私の胸に残されたのは、寂しいような、苦しいような、表現しがたい居心地の悪さ。今すぐこの場から逃げ出して、身分も何もかも捨てて自由になりたいと、喉を掻きむしりたくなるほど息苦しくなっていた。
何故か、早く結婚して楽になりたいとは、思わなかった。
「……そういえば貴方も神託を受けるのよね?15歳になったら、異国からの平民でも強制参加だったはずよ」
「神託って、スキル適性を調べてもらうやつだっけ。気が進まないなぁ……どうせレベル1ってだけで周りに笑われるんだろうし、サボろうと思ってたんだけど」
「情けないわね、もっと堂々としてなさいよ。いっそ教会のど真ん中で、奇跡のレベル1爆誕!史上最強のレベル1にして最弱の15歳!!とでも叫んでやればいいじゃない、ダメ元で。私も隣に付き添ってあげるからさ」
「お嬢様。それはダメ元ではなく、ただのダメです。お考え直しください」
「……急に使用人モードに入らないでよ。恥ずかしくなるでしょ」
いつもの軽口。いつもの嗤い合い。なのにどうして、こんなに息苦しくて、辛くて、切ない気分になるのだろう。どうしてこんなにも、彼を離さないでいたいと思うのだろう。モヤモヤとした胸の内と、まともに纏まらない頭の中が、不安という形を取りながら増大していくのを感じていた。
「神託……か。気が進まないな……」
もしかしたら、彼とのお別れがすぐ近くまでやってきていることを、私自身予感していたからかもしれない。
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