第4話 末路の予兆
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婚約者様との初顔合わせは、ジャンメール家の屋敷で行われた。理由は簡単。お互いに身分は同じだけど、相手の父親よりも私の父の方が、合計ステータス値でやや上回っていたから。
「やあ、ジュネ・ジャンメール嬢!はじめまして!リューブル伯爵家の長男、ハンク・リューブルと申します!」
ハンク様は……元気な人だった。そのせいかやや素朴な印象を与えつつも下品に見えないのは、彼の身だしなみと所作がしっかりしているからだろう。声がやたら大きい以外はマナーも完璧。貴族の中でも優等生、というより私なんかにはちょっともったいない人だと思った。
「……お初にお目にかかります。ジュネ・ジャンメールです。まずは自己紹介を――」
だけどその好印象は、一瞬にして崩れ去った。
「いえいえ、それには及びません!〈
「ッッ!!」
私の臓腑まで深々と、そして隅々まで魔力が染み渡るのを感じた。
服も、肉も、骨も暴かれていくようなおぞましさ。
それはあの日、父に秘密を暴かれた時以上の――
「ふむふむ、よくわかりました!さあ、ジュネ嬢も私を
頭が痛くなるほどの不快感が、強烈な吐き気と共に復活した。腹からこみ上げてきたものをゴクリという音を立てて飲み込み直したが、先方がそれをどう受け取ったかは分からない。少なくとも、肯定的にとらえているようだった。
本来なら、それは相手の人柄の良さを示すものだろう。貴族の中で言えば善い人に違いないのだ。でもその善意は、私にとって――。
「はっはっは!君は面白いな、ハンク君。ところで君の<
「なんと、無詠唱で
「そんな方法でMP消費低減していたのか!君は本当に素晴らしいな!もしや君こそが、5年前に転移してきたはずと噂される勇者様ではないのかな?」
「いやいやいや、ジャンメール伯もお上手ですね!もしそうなら、伯爵は勇者の義父上ということになりますよ!ハッハッハ!」
「…………っ!」
初顔合わせを終えた後、私は顔を青くしたまま居室へと戻り、激しく嘔吐した。腹に何も入って無いので、胃液や茶くらいしか出てこなかったが。
その背中には、逆に顔を赤くした使用人の手が添えられている。
「ジュネ、大丈夫か」
「……ええ。床を汚して、ごめんなさい」
「拭けばいいだけだよ。それよりなんなんだ、あの軽薄な男は!ジュネに断りもしないで、いきなり
本当にそのとおりだ。全くもって笑えない。
「落ち着いて。あれが貴族の普通なのよ。自己紹介の手間を省くことが、相手に対する心遣いだと信じられているの」
「なんだよそれ……!?馬鹿げてる!結婚ってのは、もっとお互いを大事にするもんじゃないのか!?」
全くの正論だわ。私も同感よ。
「違うわ、家同士を繋げるために結婚するの。大事にするのはお互いの家であって、結婚する当事者同士じゃないわ。むしろハンク様は、私を気遣ってくれてたでしょ。一般的に見れば、愛のある生活を送れる条件はそろっているわ」
「ジュネはそれでいいのかよ!?貴族の常識に従うって、そういうことなのかよ!」
良い訳がない……!
「……良いかどうかの問題じゃないわ。この世界では、より多くのスキルと、より高いステータスを持っていることが全てなの。そしてより高いステータスの男女が結婚して、より強い子供を残して、家を繁栄させていくことが、正義なのよ」
喉から飛び出そうになる本音を必死で飲み込み、努めて冷静に返したつもりだったけど、それが却って彼の怒りを高めてしまったらしい。彼は私の肩を優しく抱きつつ、しかし怒気を抑えることが出来ずにいた。
「ステータスがなんだってんだよ、馬鹿馬鹿しいッ!こんな数値が生きてく上で何の役に立つってんだッ!!こんな結婚は――」
その直後、扉の外に人の気配を感じた。まずい、私を心配した誰かが追ってきていたのか……!?
「言葉が過ぎるわよ、使用人風情がッ!!」
「ジュネ!?」
「ただの平民である貴方に、私の結婚に意見する権利は無いわ!身の程を弁えることね!!」
私の怒声を浴びた彼の顔は、私以上に青褪めていたかもしれない。それを見るのが辛くて、私は彼を無理やり抱き寄せて、その胸の中に自らの顔を埋めた。
出会ってから5年という月日は、彼の身体を私よりも遥かに大きくしていた。
「……扉の外に、誰かいるわ。侍女かもしれない」
「えっ?」
「この話を誰かに聞かれたら、貴方の立場が危うくなる。お願い、こらえて……!」
「ジュネ……」
胸板の温かさで溶かされた心が、堪えきれずに目から溢れ出していた。
「い……嫌よ……嫌に決まってるじゃない、あんなのと結婚なんて……!でも、どうしようもないの……!これが、この世界で結婚するってことなのよ……!」
血の滴るような声と流れ落ちた涙は、外に漏れることなく彼の胸の中に消えていった。
「……こんな世界、大っ嫌い……!」
世界の仕組みを、人間の手で曲げることなんて出来ない。ましてや人々の規範であらねばならない、貴族である私に出来るはずが無かった。私にできることなんて、世界の片隅で愚痴を吐き続けることだけだ。
悲壮感が強すぎて、私の意思と関係なく涙が流れ落ちていく。喉の痛みが強くなり、しゃくり上げることしかできなくなった。やはり私みたいな人間は、この世界のはみ出し者に過ぎないのだろうか。
「……なあ。俺がこの前、女神の声を聴いたって言ったら、どう思う?」
「……無意味な質問だわ」
「いいから、答えてくれよ」
「だから、なんなの?そんなこと、どうでもいいわよ……もう……どうだって……っ!」
「俺が、全部なんとかするよ。神託を受けて、ジュネがもう、泣かなくていいようにするから。だから――」
だから、俺の話を聞いてくれ。
そう言った彼は、無感動に、しかし私にも負けない大きな悲壮感とともに語りだした。
女神より託された任務と、世界の残酷な真実を。
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初顔合わせから数日後、私と彼は、城下町の教会で神託を受け入れた。私のスキル適性は、やっぱり【魔法使い】。神託を受けたと同時に、今まで知らなかった魔法やスキルが、次々と私のステータス画面に刻み込まれていく。訓練の成果によって他の貴族令嬢よりもレベルが少し高かったためか、習得したスキルの数とレア度は今日一番のものだった。
「よくここまでレベルを上げたな。偉いぞ、ジュネ」
父は満足そうに笑いながら私の事を褒めてくれた。……嬉しくなかったと言えば噓になるが、相変わらず
そして、彼の番がやってきた――
「こ、これは……!おお、女神よ……!貴女様は、我々を見放してはいなかったのですね……!」
「如何した、神託の使徒よ」
「頭を下げるのです、伯爵殿!陛下もです!!か、彼の者は……彼の者の適性は、【女神の勇者】です!!か、彼こそが、5年前に姿を見せなかった、伝説の勇者その人です!!き、奇跡が起こったのです!!」
使徒が叫ぶと同時に、シュウの体が虹色に輝きだした。全方位から無遠慮な
私はそれを、ただ後ろから見ているしかなかった。
「……今まで何も知らせずに雌伏を続けてきたこと、心からお詫びする。しかしまだ幼い身では戦いに臨めず、魔王に見つかるわけにもいかなかった。神託が下りるこの日まで、皆に正体を明かすわけにはいかなかったのだ。……女神から魔王を滅する力を賜る、この神託の日まで!!」
それはまるで、生まれた時からずっと勇者だったかのような威厳だった。彼は堂々と、大仰な仕草でステータスを周囲に
そこにはレベル5001、5万を超えるHPとMP、そして1万を超えるどころではない膨大な各ステータス値と、女神より与えられし伝説級スキルの数々が表示されていた。
その全ての値は、3桁までであればレベル1相当と誤認出来る数値だった。まさに神の御業、世界を救う奇跡の所業と言ってよかった。
だが私の目には、女神が彼を死地へ送り込むために仕込んだ、偽装工作の痕跡にしか映らなかった。
魔王を倒す役目を彼だけに押し付けた女神に、初めて怒りと憎しみを抱いた。
……彼を救ってあげられない自分の弱さを、呪った。
「は……!?ば、馬鹿な……!!あの凡庸な平民が……ジュネの使用人に過ぎないガキが、勇者だとおおお!?」
「しかと見よ!これまで女神は周囲の目を欺くため、ステータス表記を3桁に抑えていた!だが女神の力そのものをこの身に刻んだ今、もはや雌伏の必要は無い!!俺は――」
「…………シュウっ」
一瞬だけ、私と彼の目線が交わった。彼の瞳は5年前に出会った時と同じく揺れていて、不安でいっぱいのようにしか見えない。私たちが出会ったあの日、訳も分からずこの世界に落とされた時と、同じ弱い瞳だった。
あの日と同じ、優しい瞳だった。
「……俺は、この圧倒的なレベルとステータスを行使し、魔王を討滅して世界を救う!!もう二度と、魔法で戦う必要の無い世界を作り上げてみせる!!みんな、俺に力を貸してくれ!!」
割れんばかりの歓声が教会の中を渦巻き、教会の外からも地鳴りに等しい歓声が上がる。
私はこの期に及んでも、ただ涙を流すことしか、出来なかった。
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シュウが【女神の勇者】だと知ってからの父は、終始上機嫌だった。普段よりも2倍の酒を飲み、3倍の肉を食ってなお、シュウへの称賛と歓待を止めようとしない。魔王との戦いに終止符を打つ男を保護していたという事実もあるので、無理からぬことかもしれなかった。
「旦那様、一つ大事なお話がございます。どうかお耳をお貸しください」
「なんだね、シュウ君!?うわははは!!勇者殿から旦那様と呼ばれるのは、なんだかこそばゆい気分になるな!おお、それで話とは?」
そう、大事な話だった。そして同時に、この時にしか話すタイミングは無かった。もしもこの時に父が酒に酔っていなければ、もっと違う未来があったのだろうかと夢想することがある。
「魔王を倒したら、魔法が世界から無くなります」
それは、この世界の残酷な真実の一端だった。
「うん?どういう意味かな?」
「魔法とは、魔王が世界に授けた、元々は存在しない力です。ステータス値も同様です。女神の希望は、世界から魔法とステータスを無くし、元の世界に戻すことなのです。この件は既に陛下にはご報告してありますし、間もなく布告もされることでしょう。ジャンメール伯爵も、魔王討滅後の統治について今すぐ考えていただきたいのです」
――シュウが魔王討伐へ向かうに当たり、必要なものが2つあった。
1つは国王陛下の理解。しかし一番困難だったはずのこれは、一番最初にクリアできている。もちろん何度も説明を求められたようだったが、シュウが魔法無しで発展した世界からやってきたという事実と、女神の意思に反して勇者を滅ぼした後のリスクを考えれば、元々飲むしかない条件だった。それに魔法と引き換えに魔王と魔物を世界から消せるというのは、国王から見ても割の良い取引だった。
2つ目は、父への説得。いくら国王が魔王討滅後の世界について説いたところで、地方領主がそれに向けて準備しないことには意味がない。戦後の混乱を考えれば他の領主よりも早く、それも今すぐ準備してほしかった。過剰なほど魔法とステータスに頼り、娘の声に耳を傾けない父を説得できるのは、絶対的なステータスを持つ勇者以外に他なかった。
何度も想像したものだ。この時、父がシュウの話に少しでも耳を傾けてくれていたら、どれだけ幸せで明るい未来があったかと。しかし想像の世界でいくら明るい未来を描いたところで、現実がそれに追いつくことは無い。
「わっはははは!!勇者殿は冗談のレベルも高いな!!魔法は女神の加護であり、祝福そのもの!!魔王を倒した暁には魔物も静まり、全世界が女神の力によってより強く、大きく発展するに決まっているだろう!心配には及ばん、勇者殿は魔王討滅に専念すればそれで良いのだ!わーっはははは!!!」
まさにこの瞬間をもって、ジャンメール領の未来は決定したと言って良かった。
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