第12話

 篤は自然と目が覚めた。部屋の外からは家族の廊下を移動する音が聞こえる。篤は体を起こしベッドから降りて背筋を伸ばした。そして周りの迷惑なんて全く関係ないとばかりに叫んだ。

 「このゲーム最高!」

 篤は昨日のアップルパイの体験を改めて思い出した。作ったプレイワールドは篤の想像以上に本当の世界として存在していた。ゲーム内に現実の自分が投影されていることや、明里が出した紅茶を飲めることにいちいち感動をしていたが、それ以上の体験が待っていた。太陽が当たる場所にいれば暖かさを感じ、歩けば舗装された道、建物の中の大理石の廊下、森の中のあぜ道のそれぞれが異なる感触を足の裏に伝えた。そして何よりも驚いたのは呼吸が出来ることだ。走れば息があがる。箒で空を飛べば上手く呼吸ができない。緊張すれば深呼吸をする。現実世界での当たり前が、ゲーム内でも当たり前に成立する。篤はベッドの上に転がっているアップルパイを改めてみると、鳥肌が立っていることに気が付いた。

 トントン。不意に部屋の扉がノックされた。

 「朝から大きな声だして大丈夫?」扉の向こうから母親の声が聞こえてきた。

 「あぁん、大丈夫。気にしないで。」

 篤は母親が下に降りていく足音を確認してイスに腰掛けた。時計を見ると、針は七時三十分過ぎを指している。昨晩は一時過ぎにはベッドに横なった。あれだけアップルパイの世界で楽しんだと感じた割に、ゲームをプレイしている時間は短い。明里の言う通り自分の睡眠の質がやっぱり悪いんだなと篤は思った。


 

 「ああ、早くゲームしてぇ。」

 篤は夕焼けの橙色の光を浴びながらベッドの上で寝返りをうつ。興奮とともに起きた朝以降も、何度も再び眠りに落ちようと試みたが、予想通り一向に眠くならなかった。仕方なくいつものように漫画や動画を貪り、買い溜めたパンやお菓子でご飯は済ませて時間を潰した。しかし、どれもいつもより楽しめなかった。毎週欠かさず読んでいる漫画が今週はラストシーン突入という話であったが、興奮できなかった。推しているアイドルの番組を見ていても、明里の方が可愛く、会話が出来る分贅沢ということに気が付いてしまい途中で見るのを止めてしまった。引きこもりが他の人よりも持っている物は、自由に浪費できる時間である。しかし今の篤は眠気が襲ってきてくれる時間になるまで、その時間が早く消化されることを願っている。ぼーとしていても仕方ないと思った篤は、いつもはあまり見ないテレビ番組の動画配信サイトで何か面白いものはないかと探した。

 「あー、まさに冬って感じの番組や特集多いな。」と肘を机につけ、傾けた顔をこぶしで支えながらサイトを上から下へ流し見をしていく。冬の旬の食べ物、テーマパークの冬のショーや限定商品、クリスマスや年末年始に向けた商品の紹介など、篤には全く関係が無いが、世間一般の人には興味がそそられるものばかりである。更に下の方を眺めていると温泉の番組の特集があった。

 「温泉ね。そういえば、風呂使っていいかどうかの確認取ってなかったな。まぁ母さんに確認しても、父さんが何て言うか待って、って言われそうだよな。あー、おまけに洗濯物を洗うのを忘れていた。」

 篤は自分のベタついてまとまりがない髪を触った。昨日、明里にも少しは清潔な方が良いといわれたので、篤は仕方なくコインランドリーと風呂が一緒になっている銭湯や温泉施設が近くにないか探した。ちょうど昨日買い出しにいった全国チェーン店の裏側に銭湯とその隣にコインランドリーがあることが分かった。篤はレジ袋に洗濯物を詰め込み、しっかりと着込んで家を出た。夕方とはいえ日が落ちる寸前の暗さになっているからか、歩く度に冷たい空気が体全体に当たり篤を震えさせた。


 昨日と同じ道を辿り全国チェーン店のさらに一本道を進んだところに朝日の湯があった。

 「ああ、この銭湯。」

 篤は朝日の湯の入り口を見て、自分が小学生の頃何度か父親と来たことを思い出した。そのころよりもだいぶ綺麗にリフォームをされているが、入り口の看板や靴入れといった一部設備に関しては当時のままである。さっそく銭湯の入口を通って風呂に浸かろうと思ったが、洗濯物を洗うのにはある程度時間がかかるのを思い出し、先に隣に併設されているコインランドリーへ行った。学生時代に部活の遠征でよくコインランドリーを使っていた篤は、ブランクがあるとはいえ慣れた手つきで洗濯機を操作した。洗濯機には終了時間が四十分後と書かれている。

 「まぁ、店内見る限り、そこまで人の利用多いって感じではないから、終わっても洗濯ものを中から出される心配は無いか。」

 篤は年の為、持ってきていたレジ袋と店内にあった洗濯籠を、利用している洗濯機の前に置いてからコインランドリーを出た。そしてお目当ての銭湯へ入り一、二週間ぶりに体を綺麗にした。銭湯内はただ浴槽と洗い場しかなかった子供の時の記憶と全然違っており、いつの間にか岩盤浴やサウナが出来ていた。コインランドリーのガラガラの感じと比べると銭湯はかなり人気の施設になっているのか人が多い。篤は久しぶりに大勢の人の中にいる緊張と自分の不甲斐ない体に辟易しながら、湯につかり続けた。そのうち血流が良くなったからか、銭湯には自分と同じ体型の人が多いことに気が付いたからか、陽気に楽しめるようになっていった。

 風呂から上がり、コインランドリーに洗濯物を取りに行こうと思った篤であったが、浴室を出てすぐに食事処があることに気が付いてせっかくならば食事も済ませてしまおうと、そばと天ぷらのセットを頼んだ。

 「風呂で温まった後のそばは最高ですな。」と篤は周りに聞こえないように小さく呟いた。そしてとっさに思いついたとはいえ、洗濯物ついでに銭湯に入りご飯を食べて帰るという幸福をまた味わおう、と篤は心の中で決意した。


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君と眠らずに語りたい 宮古 宗 @miyako_shu

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