王子は妹を選んだので

山吹弓美

王子は妹を選んだので

「そなたとの婚約を破棄し、新たにそなたの妹を婚約者とする」


 自身の婚約者であるはずの第三王子にそう宣言されて、侯爵家の長女たる令嬢はあらと首を傾げた。

 彼の誕生日と婚約を祝うはずのパーティでの、この宣言。

 第三王子の隣には侯爵家次女、即ち令嬢の実妹が朗らかに、それでいてどこか暗い笑みを浮かべて寄り添っている。彼女が纏うドレスには第三王子の色がふんだんにあしらわれており、彼からの贈り物であろうことは誰の目にも明らかだ。


「あなたも、それでよろしいの?」


「はい!」


 念のためにそう尋ねてみた姉に、妹は大きく頷いて答える。どこか幼子のような仕草は、貴族の娘としては少々はしたないと客人たちの表情を歪めさせた。


「私はお姉さまと違って、殿下と心を通い合わせております。侯爵家の次女として、殿下の妃には申し分ないはずですわ!」


「そう」


 そうして大声で言い放ったその言葉の意味を、その場にいるほぼ全員が訝しげな顔をして受け止めた。

 第三王子。上に二人いる兄王子たちは第一王子が立太子を済ませており、第二王子はその補佐として公爵家との縁組を進めている。

 王太子の補佐役としてもほぼ必要がなくなったこの王子は侯爵家へ婿として入り、当主となる長女の配偶者となるはずであった。

 故に、第三王子の配偶者は『王子の妃』とはならない。そのことを当事者始め、この場にいる貴族たちは理解しているはずなのだ。

 ……第三王子は忘れているのか、妹令嬢は知らないのか。

 いずれにせよ、このような場での発言を姉令嬢は、素直に受け入れることとする。王家の籍を外れる予定だったとは言え、未だ第三王子である者の発言だ。配下たる侯爵家の後継者として、拒否することはしない。


「委細、承知いたしました。父への報告がございますので、御前失礼いたします」


「待て」


 小さくため息をついて軽く膝を折り、姉令嬢はこの場を去ろうとした。それを、苛ついたような王子の声が引き止める。


「そなた、自身の妹に対し言葉や力で虐待を加えたであろう? それについて、謝罪すべきであろうが!」


 続けて吐かれた言葉に、彼らに向き直った姉令嬢はわずかに眉をひそめた。何しろ、全く心当たりがない。


「はて。わたくしには何のことか、分かりかねますが」


「なんてことをおっしゃるのですか、お姉さま!」


「黙れ! 実の妹を罵倒し、暴力を振るうなど!」


「なぜ、わたくしが妹に対しそのようなことをせねばならないのですか? 今日この場で会ったのが、一年ぶりだと言うのに」


 どうやら妹が、訳の分からないことを第三王子に吹き込んだらしい。それを朧気ながらに理解しつつ、姉令嬢は事実を端的に紡いだ。


「わたくし、領地で父の補佐をしておりましたもの。侯爵家の後継者として」


「だ、だがお前、先々月は城に来て母上と、俺と一緒に茶を飲んだではないか!」


「先々月は王妃殿下よりお誘いがありましたので王都に来ておりますが、そのときは王宮に宿泊いたしましたので妹とは会っておりません。殿下とお茶をいただきましてすぐ、仕事がございましたので領地に戻りました」


「は?」


 きっぱりと答えてのけた姉令嬢に、目を見張る第三王子。婚約者の動向すら、この王子は掴んでいなかったと見える。


「お姉さま、田舎に引っ込んでらしたのですか」


「侯爵家の生活と財政を支えてくれる領地です。あなたとお母さまが王都で暮らす、そのお金がどこから出ているか知らないの?」


 そうして妹の惚けた発言にもさくりと返してから、姉は口元を隠す扇の裏で小さくため息をついた。


「殿下も、ご列席の皆様もご存知のことかと思いますが、我が侯爵家には男子がおりません。現当主の子供は、わたくしと妹の二人だけでございます」


 そうして彼女が紡ぎ始めたのは、侯爵家の事情。無論、この場にいる貴族や王族は周知の事実である、はずだ。


「長女であるわたくしは領地にて、後継者としての教育を幼い頃より受けております。その上で婿を迎え、侯爵家を継ぐこととなっておりますわ」


 国王陛下よりそうお許しを頂いております。そう付け加えて姉令嬢は、第三王子と妹令嬢にちらりと視線を向けた。そこに、温度はまったくない。


「本来であれば、殿下が侯爵家の婿として迎えられるはずでしたが……そういうことならば、致し方ありませんわね。国王陛下、及び父に報告申し上げなければなりませんので、ここで失礼いたします」


 膝を折り、淑女として完璧な礼をしてみせて姉令嬢は、その場を辞した。二人を祝う、言葉を置いて。


「殿下と我が妹に良き未来が訪れますことを、遠く侯爵家領よりお祈りしております。御領地がお決まりになりましたならば、妹への祝いをお贈りしますのでどうぞご連絡くださいませね。では」


「……え?」


「……お、お姉さま?」


 自身の背を見送りながら王子と妹がぽかんとしていることを、姉は知らない。

 第三王子が、侯爵家の娘と結ばれれば自分が侯爵家の当主になるのだ、と思い込んでいたことも。

 妹令嬢が、王子に選ばれた自分こそが侯爵家の後を継ぐのだ、と思い込んでいたことも。

 だから。


「それにしても殿下、どこの御領地を賜ることになるのでしょうか? 領主としてやっていけるかどうか、あの子も領主夫人として殿下を支えていけるのかしら? ……まあ、わたくしにはもう関係のないことですわね」


 本気で姉令嬢は、自身の妹と彼女を妻に迎える第三王子のことを、ほんの少しだけ案じていた。




 なお。


「儂が許した、即ち王命たる婚約を勝手に破棄したこの馬鹿者めが。貴様には王も家の当主も、それどころか辺境地の代官ですら似合わぬわ」


 報告を受けた国王陛下は、青筋を立てながら第三王子の王族籍剥奪の書類を速攻でしたためた。ぽん、と玉璽を押して手続きをさっくり完了させ、そして命じる。


「望んだ娘との婚姻は許す。子を作ることは許さぬ、処置をした上で天領の隅っこの家に住むが良い」


 むがむが、猿轡を噛ませた王子と妹令嬢にその言葉を叩きつけ、国王は手をひらひらさせた。彼の命令は、この後即座に実行されたようである。


 姉令嬢は新たに選ばれた良家の婿を迎え、侯爵家を盛り立てたとのことだが。

 元王子と妹令嬢のその後は、風のうわさにすらならなかった。

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