第7話

 授業が終わると、誰と言葉をかわすこともなく私は教室をあとにした。一人廊下を行く足取りは重かった。私は依然として焦りを感じていた。

 私が見る限り、左藤ひまりは特に問題という問題を抱えているようには見えなかった。それどころか順風満帆。友人も多く、クラスメイトとの関係も良好のようだ。

 

 そんな彼女に対し借りを返すとは、具体的に一体何を、どうやって?

 仮に何か問題があったとして、私ができることなんてたかが知れている。もしかすると彼女は、私よりもずっと上の、別の次元にいるのかもしれなかった。そう思うと、劣等感のようなものを感じずにはいられなかった。


 駐輪場へやってくる。自分の自転車に取り付き、鍵を取り外す。

 ハンドルを握って引き出そうとすると、不意に何者かに脇腹をつつかれた。


「ひゃっ」


 変な声が漏れて、背筋が伸びる。何事かと振り返ると、


「んふふ、今かわいい声出たね。油断してた?」


 左藤ひまりだった。うれしそうに笑っている。なにがおかしいのか。

 またも頬がかっと熱くなるのを感じる。いやこれは頭に血が上っているのだ。私は無言でひまりを睨みつけた。しかし向こうは全く意に介していないようで、


「帰り? 早いね」

「そっちこそ」

「うん、話に捕まるとめんどいから逃げてきた」


 ひまりは手元を探りながら言う。カバンから自転車の鍵を取り出した。

 彼女の自転車はすぐ近くに止まっていた。カゴにカバンを突っ込んで、ハンドルを手前に引き出す。

 ひまりはサドルにまたがると、

 

「あ、そうだ。ねえちょっと駅前行かない? 一緒に」


 突然誘いかけてきた。

 断るのは簡単だったが、そうするのはなんだか負けた気がする。逃げた気がする。

 かわいい声出たね、なんてコケにされて、さっきまでの迷いが吹き飛んでいた。

 受けて立ってやろう。間近で彼女を観察する絶好のチャンスだ。

 

「……いいですけど」

「えっ、まじ? ほんと?」

「本当です」

「え、まじに本気で? 絶対断ると思った」


 また言動を読まれている。けれどひまりは困ったような顔をした。

 結果として裏をかいて、一つ返してやった気分。

 それぞれ自転車に乗って、校門を出た。道がひらけてくると、ひまりは並走して話しかけてくる。授業が眠かったとか、明日の体育がどうとか、無理に話すことでもない内容。


 十五分ほどで駅前に到着した。駐輪場は線をはみ出して自転車がごちゃごちゃしている。その端っこに自分たちの自転車を付ける。タイヤに鍵を取り付けたひまりは、一度周りを見渡した。なぜか少し迷っているようだった。


「んーまずは向こうかな」


 通りをぐるりと回って、駅の中の百貨店に入っていく。私はひまりの後を黙ってついていく。何回かエスカレーターを上がってやってきたのは、ファンシーな雑貨屋。

 ひまりはまっすぐ文房具の置いてあるコーナーに向かった。棚の前で立ち止まり、難しい顔をしている。私は尋ねる。


「何を探してるんですか?」

「筆箱失くしちゃってさ。買おうと思って」


 返答はそれだけだった。

 不審に思って再度尋ねる。


「失くしたって、どこで?」

「わかんない。いつの間にかなかった」

「いつまではあったんですか?」


 ひまりは私の顔を見た。じっと見つめてくる。かと思えばニヤリと笑って、


「急にグイグイくるねぇ? それよりもっとわたしに関して知りたいことないの? 趣味とか好きな食べ物とか好みのタイプとか」


 茶化してきたのでそっぽを向く。ひまりは独り言のように続けた。


「安いやつでいいかな。なくしたときのショックでかいし。ケースはいいとしても、中のシャーペンとかまでなくなるのがねぇ」


 冗談混じりに言うが、場合によってはそうも楽観視はできないと思う。

 筆箱は毎日……というか毎時間使うものだ。早々なくさないのでは思う。いや、使うからこそなくすのか。なくした経験がないのでわからない。


 そんなことを考えながら、なんとなしに一緒になって棚を眺める。

 いくつもぶら下がっている中に、一つだけ50%OFFの値札の付いたペンケースを見つけた。ピンクのシンプルなデザイン。他のものと比べても、特段見劣りはしない。


「これ、どうですか。半額みたいですけど」

「え、これ半額? まじ? いいじゃん! 全然いい感じじゃん!」


 ひまりは嬉々としてペンケースを手に取る。

 他に何本かペンを見繕って、そのままレジに持っていった。お会計をして戻ってくる。


「へへ、思ったより安くすんだ。ありがとね」


 笑顔で礼を言われて、私は反応に困った。

 この場合なんと返すべきなのか。どういたしまして? 気にしないで? どちらもなにか違う。

 結局私は、曖昧に頷いただけだった。

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