第8話

 雑貨屋を出ると、ひまりは私を振り返った。


「さて、もうここに用はなし……あ、行きたいところあったら言って?」


 特にない。この建物自体、一人ではめったに来ない場所だ。

 そう告げると、ひまりはそのまま百貨店を出た。他に寄りたい店があるという。


 自転車置き場を素通りして、駅前の通りを歩く。こころなしか彼女の足取りは軽くなっていた。

 並んで歩きながら夕方の混雑に飲まれる。よその学校の制服を着た生徒と何度もすれ違った。

 男子生徒の集団が横を通り過ぎると、


「千尋ってさ、正直あんまり隣歩きたくないタイプだよね」

「さよなら。帰ります」

「ちがうちがう! 悪い意味じゃなくて!」


 悪い意味でなくてなんだというのか。

 睨むとひまりは慌てた口ぶりで、


「いや、こっちが気後れするっていうか……比べられるとねえ?」


 私の顔に向かって同意を求めてくる。

 いまいち意図がわからず黙って見つめ返すと、


「スタイルいいよね~。それ、足の長さバグってない?」


 ひまりは身をかがめて膝下を覗き込むようにしてくる。露骨な仕草。

 そうは言うが自覚はない、というかこうやって誰かと身体的特徴の話をすることがない。

 なんとなくスカートを手で押さえると、今度は胸元を指さしてきて、

 

「それ何カップ?」


 無視する。答える義理はない。

 ひまりはすぐ「冗談だよ~」と笑うが何が冗談だというのか。

 お返しに彼女の全身に視線を走らせる。そういう自分も均整の取れた体つきをしている、と思う。足は程よく肉づきながらも、よく引き締まっている。なにかスポーツでもしているのか。


「……そんな、卑下するほどですか?」

「え? どういう意味?」

「周りは、そんなに他人のことなんて気にしてないと思います」


 首を傾げられたので別のことを言った。私はどうして慌てて言い直したのか。


「そんなことないでしょ、美少女見かけたらガン見するでしょ~……あ、ここね」


 ひまりが軒下を指さす。看板にはCD・DVD・本と書いてある。

 自動ドアをくぐって入店。こぢんまりとしたリサイクルショップのようだ。初めて来る。


 ひまりは勝手知ったる足取りで、奥にある棚に取り付いた。棚にはぎっしりとCDが隙間なく詰められている。ひまりが目を細めてCDの吟味を始める隣で、私は手持ち無沙汰にそのさまを眺める。


「今どきCDですか?」

「言うねえ今どきっぽくない人が。なんだかんだでCDがいいのよ。一曲だけ買うとかは邪道だね」

「何探してるんですか?」

「メタル」

「めたる?」

「メタルは最強の音楽」


 なんだかよくわからない。

 大特価洋楽、とPOPのついた棚と、じっとにらめっこをしている。ひまりはその中の一枚を引き出して「ほらこういうの」と見せてきた。おどろおどろしい風景画のようなジャケット。さっぱりわからない。

 しばらくしてひまりは「ダメだ、今日は不作だ」と言って探すのをやめた。なにやら安いCDを探すという行為自体が楽しいらしい。


「CD貸してあげるよ今度。ひまりちゃんおすすめパック」

「いえ、結構です」

「ふだん音楽とか聞かないの?」

「うーん、あんまり……」

「ていうか趣味は?」

「趣味は……読書とか、映画鑑賞とか」

「で、出た~無趣味なやつの筆頭」


 ひまりはけらけらと笑って店内を闊歩し始める。

 人を笑うが自分だってたいがいだろう。ひまりのあとについて、コミックや書籍が並ぶ棚にやってくる。


「読書ってどんなの読む? 最近読んだの何?」

「梟の城を読みました」

「知らんなあ。じゃあ映画は何見た?」

「蜘蛛巣城を見ました」

「いや知らんし。……何? タイトル城で縛ってる?」

「いえ……たまたまですけど」


 言われてみるとそうだ。けれど本当にたまたま。

 早くに亡くなった父が残していったものの中から、ランダムに選んだだけ。

 

「あ、そうそう本といえば」


 思いついたように立ち止まったひまりが、カバンの中から一冊の本を取り出した。

 そのまま手渡してくる。


「これ貸してあげる」 

「いや、結構……」

「騙されたと思って読んでみ? 面白いから」


 無理やり押し付けられた。茶色い紙のカバーがかけてあり、表紙はわからない。中をめくろうとすると、「ちょだめ! 家で読んで家で!」とカバンにしまわされた。

 

 結局何も買わずに店を出た。通りは相変わらず人の往来が激しい。スーツ姿のサラリーマンも増えてきた。

 私とひまりは駐輪場に戻った。自転車が増えている。茶色い髪をした男性が近くに自転車を止めた。自転車の鍵を外す私に、じろじろと視線を送ってきて不快だった。


「え~あっちの方から来てるの? 遠くない?」


 お互い自転車にまたがって、家どこなの? という話になる。

 私の家は学校から片道4~50分。遠いけれども自転車で行けない距離ではない。

 聞くところによるとひまりの家は、私の家と学校のちょうど中間地点にあるらしい。

 

「でも方角一緒じゃーん。これから一緒に帰れるね」


 ひまりは自転車を漕ぎながら笑った。

 しかし私は誰かと一緒に帰る、というようなことをしたことがない。

 このペースだと、家まで片道一時間を越えてしまうのではないかと思う。

 

 ひまりはまた途中で寄り道をした。

 少しだけ遊具の置いてある閑散とした公園だった。


「付き合ってもらったから、おごり。どれがいい?」

 

 入り口に並んでいる自動販売機の前で、彼女は私を振り返った。

 別に喉は渇いていなかったが、断ると長引きそうだったので温かいコーヒーを選んだ。

 小さな缶を手に、近くのベンチに座る。


「コーヒーとか渋いね~やっぱ」


 ひまりがすぐ隣に腰掛けてくる。

 そういう彼女は何も持っていない。自分は飲まないらしい。

 一瞬このまま蓋を開けずに持ち帰ろうかと思ったが、ひまりは私が飲むのを待っている。

おごり、と言われるのは初めてだ。今飲まないと、なんとなく無礼に当たるような気がした。


 結局開けて、ゆっくりと缶を口に傾ける。いつも飲んでいるコーヒーには遠く及ばないが、新鮮な感じがした。こんな風に外で飲むのだって初めてかもしれない。

 ほっと一息つく。公園の奥から小さな子供のはしゃぐ声がしたが、周りに人影はなかった。

 夕日が傾いて白いベンチが朱に染まった。冷たい風が吹いて、ひまりが肩をすくめた。


「あれ、なんか急に寒くなってきた。4月ってこんな寒いっけ?」


 両手を合わせて膝の間にはさんだ。みっともない。

 見かねた私は、コーヒーの缶を差し出して言った。

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