第6話
「結構です」
一言言い放つと、場の空気が一気に張り詰めるような気配がした。あくまで気がした、というだけで、そんな微妙な空気感なんて私にはわからない。静かになった、というのが正しい。
しかしすぐにひまりが沈黙を破った。勢いよく手を挙げる。
「はーい! じゃあたしも今回パスでいい?」
「は? なんでだよ」
黙って成り行きを見ていたもう片方の男子が、突然口を挟んでくる。
こちらは短い黒髪であるが、制服のブレザーの下に指定外の私服を着込んでいる。
先ほどからじっと私に視線を送ってきていて、正直言って不快だ。
「わたし今月ちょっときついから」
「なんだよ金ないのかよ。いいよひまりのぶんはオレ出すからさ!」
「いやそういうのめんどいから大丈夫っす」
ひまりが手を突き出して拒否の姿勢。
が、向こうの顔色を見て取ったのかすぐに、
「や、ほらわたしが行かなくても、いるでしょ他にかわいい女子が」
「じゃいいわ、ひまりが行かないならオレもパス」
「は? 山下ふざけんなお前」
「いや翔が余計なこと言い出すからだろ」
今度は男子同士で言い合いになる。
しまいには短髪の方が私を睨んできた。負けじと睨み返す。
相手は一瞬たじろぐ気配を見せたが、やはり睨み返してくる。ひまりが慌てて間に手を差し込んできた。
「あ~はいはい! わかった行くから! 行けばいいんでしょもう~」
ひまりがなだめるように言って、場が収まる。
それで男子たちの機嫌が戻ったらしい。何事か言葉を交わしつつ、笑いながら教室を出ていった。
見届けたひまりが、背もたれに寄りかかって息を吐く。
「はぁ~あ、正直しんどいんだけどね~。あ、これ内緒ね?」
内緒も何も告げ口などするわけがない。
「でもさ、あんまりよくないと思うよ千尋も。そういう態度は」
いきなり下の名前で呼ばれて違和感があった。けれど今そこを突っ込んでも仕方ない。
「どうしてですか?」
「いやそりゃねえ? あんなふうに言ったらカドが立つし」
「そうですか? 曖昧な態度を見せるほうがよくないと思います」
きっぱり言い返すとひまりは黙った。下唇を突き出して変な顔をする。それは何のアピールか。急に文句をつけたくなった。
「そもそもあなたのせいですよね?」
「はい?」
「あなたがいなければ、私だって話しかけられなかったはずです」
「んー……そう? でも前から狙ってたみたいな感じで言ってたじゃん」
「狙ってた?」
「あーいやいや、言葉のアヤです」
ひまりはようやくパンの封を切って食べ始めた。
今度はやきそばのソースの匂い。おいしそうに頬張る。
「山下はとにかくさ、あっちのサトウには気をつけたほうがいいよー。佐藤翔。なんかいろんな子に手出してるとかって噂あるし。顔はまあまあって感じだけど、背高いしモテるって。あとサッカー部? 今は休んでるらしいけど結構うまいんだって」
すべてどうでもいい情報だと思った。
実害がありそうかという点では、山下という短髪の男子の視線が気になった。あれはどう見ても友好的とはいいがたい。警戒するとしたらそちらか。
ひまりはパンを口にしながら、ポケットから携帯電話を取り出した。
「ね、そういえば今日スマホ持ってきてる?」
この前言われたから、というわけではないが、一応持ってきてはいる。カバンの中に入っている。
「まあ、はい」
「よちよちえらいねー。じゃ、出して」
「なぜ」
「ほら、シャンプーの写真撮って送ってくれるって言ったじゃん。何使ってるか」
「言ってませんけど」
言ってない。彼女が勝手に一人で話をすすめただけだ。
「なんだよ頑固だなぁ~。ほら、机運ぶの手伝ってあげたでしょ~?」
それを言われるとぐうの音も出ない。その分の借りを返すまで、結局彼女には逆らえないということになる。
観念してスマホを取り出す。まではいいが、何をどうすればいいのか。固まっていると、すぐに貸して貸してとひまりに奪われた。すいすいと画面に指を這わせ出す。かなりの早業。見られて困るようなものはないと思うが、あまり勝手にいじくり回されるのも困る。
「はい、できた!」
ひまりはしばらくしてスマホを返してきた。
ホーム画面に見慣れないアイコンが増えている。眺めていると通知が飛んできた。うさぎのようなキャラクターのイラストが「よろしく」とお辞儀をしている。
どうやらアプリをダウンロードして、アカウントの交換も済ませてしまったらしい。
「じゃ、写真待ってるから。うっかりお風呂上がりの自撮り送っちゃったみたいなハプニングも期待」
意味のわからないことを言っている。
「別に写真撮らなくても、紙にメモして渡せばいいですよね」
「え~? ここまでして? ひねくれ女だな本当に~」
そんなふうに言われるのは心外だ。少しムッとしてみせるが、ひまりはさも楽しげに笑っている。すぐに毒気を抜かれてしまった。
「ひまり、小テストの勉強ちゃんとやったの? 油売ってる場合じゃないでしょう」
またしても机の前に誰か立ち止まった。
今度は女子生徒が一人、いや二人。一人は控えめに付き従っている。
「うわ、清奈(せいな)さんきちゃったよ」
「何よ、人を邪魔者みたいに」
前髪を薄く、後ろ髪を一箇所で結わえている。今風というのだろうか。
彼女のことは知っている。なぜならこのクラスの学級委員だから。新しいクラスになってすぐ、全員のアンケートを取って彼女が選ばれた。たしか高塚清奈という名前だった。
「またみんなの前で怒られても知らないわよ」
「や~あの先生なぁ~。わたし完全に目つけられてるんだよなぁ~」
私のことはそっちのけで話し込みだした。
左藤ひまりが近くにいるだけでめまぐるしい。入れ替わり立ち代わり人が寄り付いてくる。
さすがにまた付き合う気はない。私は弁当箱をカバンに戻すと、席を立ち上がった。
「あれ、どこ行くの千尋」
「……お手洗いです」
ひまりに聞かれたので仕方なく答えたが、どこに行くのも勝手だろう。
宣言どおり、私は教室を出て一度トイレへ。その後、教室には戻らずその足で図書室に向かった。
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