第5話
左藤ひまりはそれなりに人気者らしい。
クラスでも目立つタイプ。よく人の集まりに顔を出して、男女問わずコミュニケーションを取っている。聞こえてくる笑い声に彼女の名前が混じることもある。
彼女が「わたしのこと知らない?」と聞いてきた理由が、今になって何となくわかった。
しかしこれはあくまで私の主観によるものだ。本人から聞き出したわけでもなく、誰かからの伝聞でもない。ここ数日、遠巻きに観察することで得られた情報を継ぎ合わせたもの。
ふだんの彼女がどうであろうと、いずれにせよ私には関係のないことだ。
クラスでの立ち位置がどうとか、交友関係がどうとか。それは間違いない。
けれど私は、気づけば彼女の姿を目で追うようになっていた。あくまで相手に気づかれないよう、こっそりと。
もちろんそんなことをするにも理由がある。
この前の、教室でのこと。いきさつはどうあれ、彼女に借りを作ってしまったのは事実だ。
私はどうにかして、その借りを返さなければならない。そのためには情報が必要だ。私は彼女とクラスメイトであること以外、なんの接点もない。彼女のことを知らなさすぎる。
私は焦っていた。落書きの問題こそ解決したが、あれからずっと気持ちが落ち着かない。あの日のこと、思い出すたびに思考が乱れる。傷をさらに彫りつけるなどという行為は、思慮に欠いていたと言わざるを得ない。そして何より、そのことで彼女に弱みを握られたようで、ずっと気分が晴れない。
授業合間の休み時間。
トイレから教室に戻ってきたタイミングで、私は数人の女子とすれ違った。廊下を話しながら歩いている。
「よっ」
すれ違いざまそのうちの一人が、元気よく手を上げた。左藤ひまりだった。
私はとっさに目をそらした。そして気づかなかったふりをして素通りをした。まさか声をかけられるとは思わなかった。どう反応すればいいのかわからなかった。
だけどそんなことで、また何か一つマイナスを背負った気がした。
昼食は基本的に自分の席で食べる。
もちろん一人だ。誰と会話することもない。
食事は簡単に済ませる。自分で作ったお弁当を持ってきたり。もしくは登校途中のコンビニでパンを買ったり。
食べ終えたらいつも学習室か図書室に向かう。
わざわざやかましい教室にいる必要性を感じない。
その日も早々に昼食を終えて、弁当箱を片付けようとしたときだった。
「あのーお隣、いいですか?」
隣から声がした。
振り向くと、左藤ひまりが立ったまま顔を覗き込むように腰をかがめた。紙パックの飲み物と、袋に入ったパンを手にしている。購買で買ってきたものらしい。
「私の席じゃないので、私に聞かないでください」
隣は空席だった。隣の男子生徒は、昼休みが始まるなりどこかに消えた。
ひまりは「すいません、お借りします」などと一人で小芝居をすると、勝手に隣の席の椅子を引き出して座った。そして勝手に私の机の上に飲み物とパンを置く。
「あれ、ご飯は?」
「もう食べ終わりました」
「はやっ。てかさ、いっつも一人で食べてるの?」
「そうですけど」
「まじか。やばい一人だよ一人、とかってないの?」
「別に。特に実害がないですから。害があるなら対応を考えますけど」
「なんかロボットみたいだね君」
へへへ、と笑いながらひまりはパックにストローを突き刺す。
一度口をつけて離すと、かすかに紅茶の香りが漂った。
「なんかこの前とイメージ違うね。もうちょっと熱い人なのかと思ったけど」
「熱い?」
「だって、必死な顔でさ。彫刻刀持って」
急にかっと頬が熱くなる。
もっとも触れられたくない部分だった。的確に急所をえぐってくる。頭の中を見透かされているのかと思った。
気づけば私は柄にもなく取り乱して、声を荒らげていた。
「だ、だからそれはっ……」
「お、珍しいとこにいるじゃ~ん」
私の声は遮られた。
机の前で、二人組の男子生徒が立ち止まった。クラスメイトのようだが、私の知り合いでもなんでもない。声をかけられたのは私ではなく、隣のひまりだ。
そのはずだが、やけに視線を感じる。二人のうちの片割れが、じろじろと私の顔を見てくる。
もう一人の背の高い男子がひまりに声をかけた。
「お前、武内さんに変なちょっかい出してんなよ」
「え? 翔知り合いなの?」
男子生徒の口から私の名前が出て少し驚く。私はこの男子のことを知らない。もちろん会話したこともない。
真ん中で分けた髪は不自然に茶色い。ブレザーの前を全開。ネクタイを緩めている。
「知ってる知ってる。武内さんってめちゃめちゃ頭いいってさ。学年でも片手で数えるぐらいだって。先生が言ってた」
「まじ?」
ひまりが目を丸めて私を見た。
この学校ではテストの成績の張り出しなどは一切されない。私自身、誰かとテストの点数を共有するようなこともない。彼が特別教師と仲がいいということなのかもしれないが、ずいぶん情報管理がずさんである。
「俺のリストに入ってるからね、こっそり」
「何のリストよ怖いわ」
「前から気になってたってことよ。どんな人なんだろうって」
私のことをそっちのけで二人で会話をする。
かと思えば急に翔と呼ばれた男子が、私を見た。
「ひまりと仲いいんだったらさ、どう? 今度のカラオケ一緒に」
一同の視線が集まるのを感じる。
どうやら私に聞いているらしい。私はためらうことなく答えた。
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