第3話

 僕は指導室の前にいた。


 ここには、先生がいる。

 用事もないのに、ここを占拠してると噂になっていた。


 ドアをノックする。


「入れ」

 中から声がした。


 僕はドアを開ける。


 夕日の光が差し込んで、指導室はオレンジ色に染まっていた。


 先生は椅子をくるっと回転させる。

「なんだ」


 僕はもじもじとした。

 なかなか切り出せない。


 先生はじっとこっちを見て、待っていた。


「聞きたいことがあるんです。その……どうしてイクオのカバンを元に戻したんですか」


「カバン? 何の話だ?」

 先生はごまかした。


「僕、聞いたんです。たまたま、この部屋の前を通った時、イクオが先生にカバンを探して欲しいって言ってました」


 僕は嘘をついた。

 あの時、声は聞こえなかった。


「だから、どうした」


「僕、その後教室に行った時、イクオの机にカバンがないのを見たんです。でも、次の日になったらカバンは机にかかっていました」


「イクオが戻したんじゃないか」

「それは違います」


「どうして、そう言えるんだ」


「僕、見たんです。北校舎のひさしの上にカバンが置かれていて、先生がカバンを取るところ」

 僕はまた嘘をついた。


「そんなこともあったかな」


 先生はとぼけた。

 あれを忘れるわけがない。


「で、それがどうした? オレがイクオのカバンを戻しただけだろ?」

「いいえ、それだけじゃありません」


 僕はズボンを握った。


「先生はイクオを見たはずなんです。あの時、イクオは窓から落ちて、下にいたはずなんです」


 僕は自分の上履きを見ていた。

 先生の顔を直視できない。

 先生がどんな顔をしているのかもわからない。


「イクオはツツジの花壇にいたって聞きました……転落したって」

「そうだ。屋上から飛び降りたって話だ」


「違います。ツツジの花壇の上には、理科室があります。カバンが隠されていた場所です。イクオはカバンを取ろうとして落ちたんです」


 カバンを置く時、ひさしには届かなかった。

 僕より背の低いイクオが取ろうとしたら身を乗り出す必要がある。


 その時に落ちたんだ。


「先生がカバンを取ろうとした時……下を見た時。イクオは下にいたはずなんです」


 カバンを置く時、僕はツツジを見た。

 そのそばに、イクオは倒れていたはずなんだ。


 先生はそれを見た。


 僕はずっと下を向いていた。

 先生はどんな顔をしているだろう。


「筋は通ってるな。でも証拠がないぞ? 警察は子供の言うことなんて信じない」


「証拠ならあります」

 僕は勇気を振り絞って顔を上げる。


「理科室の窓の外にはイクオの指紋があるはずです。普通、手をつかない場所に指紋があれば警察の人も怪しいと思います」


 先生は少しだけ真顔になった。


「イクオが理科室から落ちたとわかれば、すぐにおかしいと思うはずなんです。だって、イクオは窓を開けたまま落ちたはずなんだ」


 窓の向こうに身を乗り出し、つま先立ちになるイクオが見える。

 つま先はどんどん浮いていく。


 最後は鉄棒の前回りをするように、するっと窓の向こうに消えた。

 窓は開いたまま、夕焼けを映している。


「あの日は夜に台風が来ました。窓を開けたままだったら理科室は水浸しになっているはずなんです。そうなっていないということはイクオが落ちた後に誰かが窓を閉めたんです」


 先生が腕を組む。


「ひさしの上にも痕跡があるはずです。カバンを置いたんだから、その形にホコリが払われているかもしれない。逆にカバンにはひさしのホコリがついているはずです」


 僕は大きく息を吸う。


「それに、イクオのカバンには先生の指紋がついています」


 先生は顔をピクリとさせた。

 このことを全部警察に言えば、先生は疑われる。


 でも僕の目的はそれじゃない。


「お前! 頭いいな!」

 先生は急に大きな声を出した。


 僕は驚いて、一歩下がる。

 先生は面白い物を見つけたみたいに、笑っていた。


 椅子から立ち上がって、こっちに近づいて来る。

 僕の前で立ち止まった。


 見上げると、僕の肩を何度も叩く。


「こんな少ない情報で、そこまで考えられるとはなあ」

 先生は僕の両肩をつかんだ。


「でも、それじゃダメだ」


 僕の目の前に先生の顔があった。

 息がかかる距離だった。


「お前が言ったとおり、あの日台風が来た。それなら、ひさしの上の痕跡ってのは雨で洗い流されてるんじゃないか?」


 はっとする。


 ひさしに痕跡がないなら、カバンのホコリは意味がなくなる。


「警察だって馬鹿じゃないんだ。その辺はちゃんと調べてる。いいか、大人はなそれっぽい答えがないと納得できないんだ。でもな、それっぽい答えがあれば、なんでも納得できちゃうんだ」


 先生はにんまりと笑う。


「台風が来た。たぶん痕跡はなくなってる。それなら、屋上から飛び降りたことにしよう。屋上に痕跡がないのは台風のせいだってな」


 僕は拳を握りしめた。


「理科室から落ちて窓が開けっぱなしになると言っても、用務員が閉めたと考えれば問題はない」


 大人はずるい。


「カバンにオレの指紋があるってのは、まあ担任だから、そういうこともあるだろ」


 全部そうやって理由をつけて、誤魔化そうとする。

 これじゃ先生から本当のことを聞き出せない。


「それと、オレの指紋があるなら、お前の指紋もあるだろ?」


 僕は口をきつく閉じた。


「イクオのカバンを隠したのはお前だろ? いじめに加担してたんだろ? イクオが死んだのはお前のせいだ」


 そんなこと先生に言われなくてもわかってる。


 僕は先生を睨んだ。


 秘密がバレるだろうなとは思ってた。

 できることなら、先生を騙して聞き出したかった。


 でも、それはできない。

 もう、正直に聞くしかない。


「どうして、先生はイクオを放っておいたんですか」


 先生がカバンを取った時、イクオは生きていたかもしれない。


「お前、面白いやつだな。そんなことが気になるのか?」

 先生は僕の肩から手を離して、席に戻った。


「どうしてだと思う?」

 先生は僕に聞いてきた。


「え?」

 聞かれると思ってなかったから、思わず声が出た。


「いや、オレもどうしてかよくわからないんだよなあ。めんどくさかったのかなあ」


 先生は頭をボリボリとかく。


「通報したりすると、その後大変そうじゃん? オレの責任にされるのも嫌だしさあ」


「そんな」

 力が抜けた。


 僕が聞きたかった答えはそれじゃない。


「じゃあ、先生は理由がないって言うんですか」

「だから、よくわからないんだよ。何度も聞くな」


「イクオを見殺しにしたかも知れないのに!」


「その原因を作ったヤツが言うな」


 僕は何も言えなくなる。

 確かに先生のことを言える立場じゃない。


「せめて」

 言葉が勝手に出てくる。


「せめて、バッグをゴミ箱に捨ててくれれば……そうすれば」


「さすがにオレも、そこまでひどくないぞ」

 先生は誤解している。


「ゴミ箱に捨ててくれれば、僕はイクオの家族に謝罪できたかもしれないのに!」


「は? どういうことだ?」


「僕がカバンを捨てたから、イクオは自殺したんだって言えるのに!」

 涙が出そうになるけど我慢する。


「ふ~ん。そんなふうに考えるんだな。お前、頭がいいくせに自分のこと全然わかってないな」


 意外なことを言われて、顔を上げる。


「お前はな、自分が許せないだけだ。オレがカバンをゴミ箱に捨てても、お前はイクオの家族に真相を話したりしない。賭けてもいい。これでもいろんな生徒を見てきたからな。わかるんだよ」


 先生はニヤニヤと笑う。


 僕は悔しかった。

 たぶん当たっている。


「オレたちは共犯者だな。いいか、このことはずっと黙ってろ。まあ、お前は誰にもしゃべらないだろうけどな」

 ははは、と笑いながら言う。


「帰ってよし」

 そう言うと、先生は椅子をぐるっと回して背中を向ける。


 一番聞きたかった答えは、あやふやなものだった。

 これ以上、尋ねても納得できる答えはもらえないと思う。


「失礼しました」

 指導室のドアを開けて、廊下に出る。


 振り返ると、指導室は夕焼けに染まっていた。

 僕はたぶん、この夕焼けを忘れることはない。




 先生の言うことは当たっていた。

 あれから私は誰にも秘密をしゃべっていない。


 卒業以来、先生には一度も会っていない。


 万が一にも会うような事態は避けた。

 だから、同窓会には一度も顔を出していない。


 風のうわさでは先生はまだ教師を続けているという。


 あの先生だ。

 イクオのことなど忘れているだろう。


 私は覚えている。


 あのときは大人の嘘が嫌いだった。

 警察のずさんな捜査も、先生のいいわけも。


 だから、私は刑事になった。


 取調室で大人の嘘を暴いている。


 私自身の嘘は暴かぬまま。



 了

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極夜をしのぐ 月井 忠 @TKTDS

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