第30話 拭えぬ違和感
「ここが頂上か」
山道を歩き続け、ようやく到達した場所。灰色の空が近くなったそこは、予想に反し美しい風景が広がっていた。
「一面雪景色ですね」
寒暁に来てから何度も見た銀世界。白く染まる風景は、どこも美しく思えていたけれど。雪花山の頂上は、今まで一番美しく感じる場所だった。
さて、どうしたものか。香織は一人息を吐く。彼女の予想では、ここは美しさとは無縁のはずだった。
というのも、頂上は瘴気の発生源と目されていたからだ。当然、おどろおどろしい光景が待っているだろうと考えていた。
ゆえにこそ、香織は驚きを隠せなかった。
静謐な空気を伴う雪景色。想定とは大きく異なる風景に、違和感があった。いっそ、薄寒さすら覚えるほどに。
「ここが瘴気の発生源……には見えないよね」
香織の気持ちを代弁するように、斗真が声を漏らす。
その言葉に、否定の声を上げる者はいなかった。皆同じ気持ちなのだろう。瘴気に覆われた光景を想定していただけに、茫然と雪景色を眺めている。
「予想外ではあったが、とりあえず調査を始めるか」
本居の言葉に、香織は静かに頷く。ここまで来たのは、寒暁の問題を解決するためだ。ひいては巡国全体のためにもなる。
美しいこの場所に何があるかはわからないが、気を抜かず調査をしなければ。
香織は一歩足を踏み出す。それに続き、皆が足を踏み出そうとしたときのことだ。
『勇士! 下がるのだ!』
突然上げられた制止の声に、香織は反射的に後ろへ下がる。
彼女と入れ替わるように千歳が前に出た。何かを警戒しているのか、牙を剝き出しにして唸っている。
「ねえ、何かあっ……」
千歳に紬が声をかけるも、最後まで音になることはなかった。突如として吹き出した瘴気のせいだ。
「な……!?」
「神子様、勇士様! お下がりを!」
唖然と声を上げる佐伯に、庇うように前に出る白銀。口こそ開かなかったものの、斗真も香織を守るように前へ出た。
紫色の霧が眼前に広がっていく。とめどなく溢れるそれは、次第に黒い塊へと変化していた。
その数、およそ10体。黒い塊は形を少しずつ変えていき、真っ黒な人型になる。まるで、影が実体を持ったかのようだ。
「これって……」
香織が思わずといったように声をこぼす。黒い塊には見覚えがあった。初めて千歳と会ったときに対峙したモノ、穢れである。形状こそ違うが、まず間違いないだろう。
瘴気が集まり、穢れになるのか。香織は小声でそう呟くと、拳銃を抜いた。
「斗真」
「まかせて」
香織の言葉に、斗真は手に炎を纏わせる。そのまま勢いよく振り抜くと、穢れに向かって炎の玉が放たれた。
中央に立つ3体に直撃する。衝撃のあまり部位が落ちていくも、瞬く間に元の形へと戻ってしまった。
「まあそうなるかー」
斗真がうんざりした声を上げる。その横をすり抜けるように、白銀が前へ躍り出た。一閃する刃は美しく、黒い人型を断ち切る。
しかし、予想通りというべきか、すぐにその身体は再生してしまった。
「やはり、通常の攻撃は効かないか」
「前回で分かっていたとはいえ、厄介だよなあ」
白銀の言葉に斗真が相槌を打つ。千歳のときもそうだったが、彼らの攻撃が穢れを消すことはなかった。一時的に退かせることはできても、消滅に至らないのである。
それならば、と香織は拳銃をかまえる。弾丸は全て抜かれており、込めるのは自身の霊力だ。
勇士が持つ浄化の力は、悪しきものを倒すことができると言われている。以前千歳を助けたときも、香織の放つ弾丸が決め手となった。
「斗真、援護お願いね」
「了解!」
香織の言葉に、斗真は明るく返事をする。彼は香織の射線を遮らぬよう、炎を舞わせた。
それを視界に収めつつ、香織は狙いを定める。
いくら拳銃を扱ったことがあるとはいえ、戦場で使用することは無かった。この世界に来てから日々鍛錬しているものの、未だ完璧とは言い難い。
的を撃つわけでもなければ、威嚇射撃でもない。確実に仕留めるというのは、かつて経験したことのないものだ。
「いきます!」
その声と共に、香織は引き金を引く。霊力の弾丸は真っ直ぐに中央の一体へ直撃した。
斗真たちの攻撃と異なり、撃たれた穢れはそのまま崩れ落ちていく。黒い塊は靄となり霧散した。再生する様子はない。
「消えた……」
ぽつりとこぼれた声は紬のものだ。その声に続くように、本居が口を開く。
「ふむ。やはり櫻井君の能力に頼らざるを得ないな。蔵内、白銀、お前たちは私と共に櫻井君の援護を。佐伯は神子様の護衛だ」
本居の指示に、全員が即座に返事をする。それに一つ頷くと、本居は香織に声をかけた。
「櫻井君には申し訳ないが、あと9体撃ち抜いて欲しい。こちらでも援護はするが、決定打を持つのは君だけだ。頼めるか?」
「もちろんです」
香織は即座に頷くと、再び照準を合わせた。とどめを刺せるのが自分しかいない以上、何が何でもやるしかないのだ。
「よろしい。では、行くぞ!」
本居の言葉と共に、皆が攻撃態勢に入る。こちらへ歩を進めていた穢れを、本居が切り捨てる。
不幸中の幸いと言うべきか、穢れの動きは鈍い。以前千歳を助けたときと異なり、腕を伸ばすということもないようだ。本居たちの攻撃で足止めできれば、余裕をもって仕留められるだろう。
香織は再度引き金を引く。弾丸は穢れの胸部を撃ち抜いた。人型を保つこともできず、靄となり霧散する。
喜びを露わにすることなく、彼女は次の獲物へ照準を定めた。
香織が狙撃するまで、前にいる三人が間を持たせる。刀で一刀両断する本居と白銀に、炎を叩きつける斗真。代わる代わるやって来る攻撃に、穢れの足取りは一層遅くなっていた。
進みたくとも、前にいる三人がそれを許さない。再生する間に他を狙い、再生すればまた攻撃する。その繰り返しに、否が応でも足を止めるしかなかった。
その流れを繰り返し、やっと最後の一体となった頃。香織はふと、あることを思い出す。
穢れを浄化の力で攻撃する。それはいい。千歳を救出するときにも使用した手だ。何も可笑しなことはない。
けれど、
「(何だろう、この違和感は)」
香織は言いようのない違和感に襲われていた。何に違和感を覚えているのかと言われると、返答に窮するけれど。彼女はどこか引っかかるものを感じていた。
目の前にいる最後の一体。それを撃ち抜けば解決するのか。
否、より正確に言うのならば、
拳銃を握る手に、嫌な震えが走る。自身の困惑を表すかのようなそれに、香織は頭を振った。
今は迷っている場合ではない。どちらにせよ、穢れを放置することはできないと、照準を合わせた。
違和感を飲み込み引き金を引く。放たれた弾丸は、逸れることなく穢れを撃ち抜いた。最後の一体が霧散していくのを確認する。
「良かった! これで終わりですね!」
佐伯の明るい声が響く。香織には返事をする余裕がなかった。
これで終わり、どうしてもそう思えなくて。
「香織ちゃん?」
斗真が振り返り、彼女に声をかける。彼は不思議そうに香織を見つめていた。
「ねえ、何か……」
可笑しくない? そう口にしようとしたときのこと。香織の目に飛び込んできたのは、明らかな異変だ。
「斗真!」
香織は声を上げると、拳銃をかまえる。それに気づいたのか、斗真も前へ向き直った。彼らの視線の先には、見覚えのある光景が広がっている。
「は?」
紬の困惑した声が聞こえる。無理もないだろう。倒したと思ったものが、また目の前にいるのだから。
目前に広がるのは、紫色の瘴気。それが再び集まり、黒い塊を作り上げていた。先ほど香織が撃ち抜いたのと同じ、人型の穢れである。
「おいおい、第二ラウンド開始ってこと?」
勘弁してくれ。そう吐き捨てる斗真の声は、わずかに焦りが浮かんでいる。
当然だ。悪しきものを倒す浄化の力、それでもって倒したはずなのに。何事もなかったかのように、また穢れが立ち塞がったのだから。
そしてもう一つ、厄介なことがある。
「明らかに数が増えているな」
本居が舌を打つ。彼の言うとおり、穢れの数は増加していた。先ほどは10体だったものが、今は30体ほどに数を増やしている。
香織の背に冷や汗が落ちる。この穢れを倒さなければならない、それは事実だけれど。
「……厄介だなあ」
千歳を助けたときとは
恋に殺された君たちへ ~蒸発した元彼に召喚された私、同時召喚されたJKと共に国を救います~ 宮苑翼 @Tsubasa_Watanabe
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