第四話 巨大龍災害の弐〝跛行する毒沼〟

 そして、ひと月後。

 ビール工場よりもさらに北。

 大陸の北限にして、帝國の一大鉱脈地帯。

 そこに、近づくもの全てを毒殺し、永久凍土さえも蝕む地獄があった。


 これこそが巨大龍災害の弐、移動性粘液毒物湖――〝跛行はこうする毒沼〟。


 面積にして300平方キロルメルトル。

 少なくない文化遺産や無形文化財を根こそぎ飲み込み。

 さらには、この地に暮らす少数民族や鉱脈を掘る工夫たち、除染に訪れた兵士たちすら瘴気によって殺し尽くした毒沼の正体。


 それは、膨大な龍の排泄物が寄り集まったものであった。


 龍排泄物は強い魔力を帯びており、スライムのような性質を獲得する。

 各地を這いずり回る毒素の塊は、無限に伸長し大地を覆い隠していく。

 近づく者は吹き上がる毒素によって死にいたった。


 それだけで十分厄介なのだが、おまけのようにこの毒沼には、奇っ怪な龍由来生物が生息している。

 管虫、長虫と呼ばれる全長15メルトルほどのワームだ。

 たとえ防毒を行っても、これらの危険に対処できなくてはどのみち待ち受けているのは死であった。


「もう一度訊ねるが、これまでの対応は全て炎に寄っていたのだな?」

「はっ。帝國の火砲を総動員した殲滅作戦では、毒沼は飛散するだけで再び結合、有意な結果は得られず。小規模に飛び散ったものを火炎放射によって焼却することでのみ、その進行を抑制しておりました」


 現場の担当官に質問すると、このような答えが返ってくる。

 古の文献でも、跛行する毒沼には衝撃を与えると四散し、増えるとある。

 下調べの通りであり、ゆえにひと月という期間は絶対に必要だった。


「まったく、緒戦だというのに私も後がない」

「そうなんですか?」

「同じものを見てきただろう、おまえは」


 横からひょっこりと顔を出したのはエンネアである。

 トレネダ帝國への龍災害対策の立案において、誠に遺憾ながら彼女の存在は必須であった。

 事実としてその頭脳は優秀極まりなく、意味不明な言動を除けば軍部や官僚達からの信頼も厚い。

 私のちゃちな肩書きなどより、人道支援へ勤しんだエンネア・シュネーヴァイスの名は、よほど各国へ轟いていたわけである。


 そう、これから行う跛行する毒沼封殺戦におけるかなめ

 移動式防壁も、彼女がいなければ、労働力を確保できなかっただろう。


「移動式防壁――あらかじめ車輪をつけた壁を無数に建造し、一挙に押し寄せて毒沼を囲む。その後帝國の強みである人海戦術で基礎を固め、完全に沼を閉じ込める」


 無論、これだけでは跛行する毒沼への遅滞戦術にしかならない。

 本領はここからだ。


「では、やってくれ」

「はっ! 放水部隊、加水開始!」


 指揮官の号令一下、帝國軍が作戦を始めた。

 移動防壁が即座に構築され、毒沼を他から隔離。

 さらにホースを装備した工作兵が、ポンプを起動し河川から膨大量の水を毒沼へと注入していく。

 一糸乱れぬ作戦行動は、さすがの練度だと感服する。


 だが、毒沼もされるがままではない。

 奇声を上げながら飛び出してきたワームたちが、防壁へと衝突を繰り返す。

 それらが暴れるたび毒素が舞い上がるため、兵士たちは防毒面を装着。

 私とエンネアもこれを装備する。

 ……エンネアに必要かどうかは不明だが、一応だ。


「よし、第二段階へ移行。有機物、糞尿ふんにょうの投入及び魔法使いに促成魔法の使用を打診」

「糞尿投下! 促成魔法の使用打診――許可! 実行します!」


 兵員たちは防壁の上へと駆け上がり、毒沼へとあるものを散布する。

 それは、人や家畜の糞尿であった。


「毒沼は元々巨大龍の排泄部です。そこに人の排泄物を混ぜる意味はあるのですか? 『ボールを使って宝くじの抽選! ただしボールの色は全部同じ』的なことになるのでは?」


 エンネアの言いたいことは解る。

 だが、私の見立てでは〝足りていない〟のだ。


 跛行する毒沼は、巨大龍災害の中でもここ、帝國の凍土でしか見られない災害だ。

 南方でも龍の排泄物は確認されたが、それは多大な毒素を土壌にまき散らしながら時間経過で無害化していった。

 では、何が違うのか。


 微生物が活動するための温度である。


「魔法使い全隊、周囲に温暖化魔法を発動。同時にビール加工用の促成魔法、これを改良したものを連続発動せよ」


 命令と同時に、魔法使いたちが魔力を行使。

 ブワリと汗が噴き出し、防寒着が苦痛に感じる。

 凍土が僅かに溶け出し、大気中に湯気が上がる。

 環境が変化するほど気温が上昇したのだ。

 無論、これは一過性のもの。やがて効果は消える。その前に、全てを片付ける!


「温度を上げることに、何の意味があるのです?」


 今日何度目かも解らない彼女の問い掛け。

 私はただ、アドバイザーとして答える。


「帝國の名産品であるビールがどのようにして作られるか、一緒に見学しただろう」


 麦汁を微生物が分解し、糖をアルコールに変えることでビールは造られる。


「これを、発酵と呼ぶ」


 発酵の際には熱が発生し、これによって耐性のない害のあるものは死んでいく。

 また、発酵自体が物体の分解と再構成の要素を持つため、同じように毒素が無毒化されることがある。

 東洋では毒魚の卵巣をこの方法で無毒化する術もあると聞く。


「なるほど。糞尿を有機材――微生物の餌にすること。そして微生物自体を跛行する毒沼に送り込むこと。それがヨナタンの狙いだったのですね」

「ああ。低温では、活動する菌類や微生物に限りがある。だが……もしも気温を上昇させれば?」


 翻って、それこそがこの地方でしか跛行する毒沼が見られない原因なのだ。

 寒すぎることで、分解されるほど微生物が活動しない。

 他国では、沼が増殖するよりも早く、微生物たちに食い散らかされてしまう。


「巨大龍災害は自然の摂理だと言ったな? ならばこちらも――自然現象を用いるまで」


 気温を魔法によって底上げし。

 魔力によるブーストで進行する発酵。

 これによって毒沼は急速に分解され、無害化。

 また、ワーム達もやがて温度差に耐えきれなくなる。


「いいや、温度だけではない」


 いまこの巨大な発酵壺の中では、莫大な量の酸素が微生物の活動によって消費されているのだ。

 酸素が食われ、発生するのは炭酸ガス。

 起きる現象は――即ち酸欠。

 いかに龍由来生物とはいえ、アンデッドでもないものが無酸素状態では生きられない。


「一戦目、私の勝ちだ」


 大きく息をつき、歩き出す。

 背後で地響きが鳴った。

 ワームが倒れ伏し、散布されていた毒素が薄まっていく。

 決着だ。


 次の現場へと向かうために移動を始めた私に、エンネアが駆け寄り。

 そうして、つぶやく。


「次の相手――深影龍しんえいりゅうに、物理は通じない。どうするつもりだ、ヨナタン・エングラー?」

「知れた事よ」


 不敵に笑う。

 恐怖を握りつぶし、必勝を期するために。


「物理以外で、戦うのだ」

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