断章 誇りも驕りも投げ捨てて

大陸一の剣士は、面白いことが好きだった

 女に不自由をせず。

 女にも不自由をさせない。

 ルドガー・ハイネマン、つまるところ〝俺〟の生き様はこうだ。


 人生は一度きり。

 ならば、面白く華々しいほうがいいに決まっている。

 親父殿のように外敵との戦いに明け暮れることも悪くないだろうが、どうせならば世界を見て回りたい。

 少なくとも、若き日の俺はそうだった。


 若気の至りというやつは多い。過去というのはどれほど切り捨てても、アンデッドの如く甦ってくるものだ。

 女に不自由をさせたことはないと断言できる。

 金も名誉も欲望も、確かに与えてきただろう。

 しかし、愛情を注いでいたかと言えば、いささかばかり口ごもることになる。


 人は俺を、女とみれば誰彼構わずに口説き落とす軟派な男だと噂する。

 これは事実であり、事実ではない。


 後にも先にもルドガー・ハイネマンが心底愛した女は、この世にただ一人だけなのだから。


「……あいつに関わった人間は、みんな変わっちまう。おかしくなるし、真っ当になってしまう。それは、俺も例外ではない」


 ゆえに、思う。

 確かに掴んだ手のひらから、砂の如く希望がこぼれ落ちていく感覚を、彼女は味わわせるのだと。

 喪失感を、失うことの恐怖を、否応なく突きつけてくるのだと。


「…………」


 らしくもない感傷に支配され、俺は葡萄酒をたらふく飲む。

 思い返すのは、黄金時代のこと。

 若き日の自分たち。


 血気盛んだった俺は、学園で魔法剣を学んだあと、そのまま諸国漫遊の旅に出た。

 ちょうどあの怖がり――ヨナタンのことだ――が、学業に邁進まいしんし魔導国へと留学していた頃だ。

 腕試しにモンスターや野党を狩る日々の中、奇妙な噂が舞い込んできた。

 山が動いたという話だ。

 そして、この話は僅かな時間のあと、世界を揺るがす大事件へと発展した。


 巨大龍の襲来だった。


 これにいち早く応じたのは、俺でもヨナタンでもない。

 むしろ俺たちはボンクラだったと言える。

 真っ先に命を賭けたのは……エンネアだった。


 エンネア・シュネーヴァイス。

 白銀の髪に、月光の瞳を持つ麗しき乙女。

 泣き虫で、笑うのが好きで、だからこそほうっておけないただの女。


 それが、巨大龍に一人立ち向かった。

 無論、俺のように武力ではない。

 あいつは、龍から人々を逃がそうとしたのだ。


おごるなよ。幸せってのは、分を弁えることだ」


 心なく、俺はそう告げた。

 無理をしてなど欲しくはなかったのだ。


 他人を優先する。馬鹿げた行為だと笑いたくなるが、俺には笑えなかった。

 あれが、どれほど命を投げ出して行動したか、知ってしまったのだ。

 巨大龍災害の被災地へと誰より速くおもむき、二次災害があると解っていながら救命行為を為す。


 人々を避難させ。

 避難民の仮住まいや食料、生活必需品の数々を、私財すらなげうって用立てる。

 そうだ、馬鹿なのだ。

 だが、あいつはただの馬鹿者ではない。

 行動力の化身は、己の限界を悟れば即座に互助会を組織した。


 被災者たちは互いに助け合い、糊口ここうしのぐ。

 エンネアは常に走り続けた。

 その姿に胸を打たれた人間は多かったのだろう。

 パトロンが、一人、二人とつき、やがては被災者たちを助くる巨大な組織へと変貌していった。

 その中にはヨナタンの姿もあり、俺の姿もあった。

 エンネアをしたうものが、各地から集っていた。

 誰も彼も馬鹿どもだが、愛すべき馬鹿たちだった。


 組織の運営をヨナタンはやりきり、俺は龍から発生するバケモノどもを片っ端から切り捨てる。

 勇往邁進ゆうおうまいしん

 エンネア・シュネーヴァイスはなお走る。


 ……だが、あいつは苦悩と無縁だったわけではない。

 間に合わず、目の前で息を引き取る被害者を見て、エンネアは涙した。

 遺族と抱き合って、わんわん泣きわめいた。


 そのくせ、翌日には目元を赤くしたまま陣頭指揮を執り、立ち上がって、また誰かを助けるのだ。

 馬鹿だ。

 度し難い阿呆なのだ。

 だからこそ、俺はあいつに泣いて欲しくはなかった。

 生まれて初めて、そんな感情を抱いた。


 涙を止めるために剣を握り、俺は無謀にも巨大龍へと挑み、幾度も返り討ちに遭って、ヨナタンの策で逃げ延び、生き恥をさらし。

 また挑みかかろうとしたところを、あいつに抱き止められた。


「もういいのです。もう、いいのですよ、ルドガー。充分、解りましたから。『ダンスの相手を隠された仮面舞踏会、ただしパートナーだけが巨人!』みたいな」


 意味のわからないたとえを、あいつは好んだ。

 泣きじゃくりながら、そんなことを言った。

 俺は、自分のエゴを恥じた。

 ここで自分が死ぬことで、結局止められない涙があることを思い知った。

 口元を硬く引き結び、目を閉じて、全身を戦慄わななかせ。

 俺は、誰もいないところで不明を恥じ続けた。


 強くなる必要があった。

 いた女を悲しませないぐらいには、誰よりも何よりも強くなりたかった。

 だから俺は修行に没頭し。


 そんなとき、あの報せを聞いたのだ。


 エンネア・シュネーヴァイスが、テュポス山脈での救命活動中、住民共々巨大龍によって消滅させられたという報せを。


「……驕り高ぶっていたのは誰だ?」


 他でもない。

 目を背けることなど許されない。

 俺は。


「俺は、弱い……ッ!」


 飄々ひょうひょうたる態度など全て偽り。

 自信満々なのではなく、虚飾満々。

 最強と驕り高ぶった力は、今や行き場を失った。


 抜け殻のようになって、崩れ落ち。

 それでも諦めきれず、俺はテュポスを訪ねた。

 そこで再会したのは、幽鬼の如くやつれ果てた友、ヨナタンの姿であり。


「馬鹿か」


 俺はまた、大事なものを失う寸前だったのだと気が付いた。

 また気付かないうちに、この手の届かないところで全てが終わってしまうところだったのだと。


 俺は友を呼び止め、彼を王国の巨大龍災害対策機関へと推挙した。

 丁度エルド本国と親父殿から、遊んでいないで国のために働けと達しが来ていたのだ。

 渡りに船だった。

 忙しさは、人を絶望から遠ざける。


 生来の怖がりであるヨナタンを激務の中へと投げ入れ、俺もその傍らで龍と戦った。

 龍への憎しみはある。

 それ以上に、俺はもう、目の届かないところで友を失うことが耐えられなかったのだ。


 だから、あの日。

 ヨナタンと最後を共にしようとした。

 けれど巨大龍は死に絶え。

 エンネアさえも、戻ってきた。


 夢のような日々は。

 しかし夢である。


 いま、エンネア・シュネーヴァイスとして活動している〝あれ〟は、人間ではない。

 人間とは異なる巨大龍と同種の何かだ。


 では、俺に何が出来る?

 この戦いだけに明け暮れた一番の馬鹿に。

 無力で卑劣な男に、いったい何が?


 ……いや、やる。

 やらなければならない。

 取り戻すのだ、黄金の日々を。


 俺の大切な友人たちへ、取り戻してやるのだ。

 当たり前の、人間としての幸せを。

 そのために、この力を尽くそう。


 たとえ――この世の全ての災厄を敵に回しても。


 ルドガー・ハイネマン。

 〝災世断剣〟の二つ名に誓って。


 次は、俺が命を賭ける番だ。


「だから――本当なら、此処ではあんたを口説きたかったぜ、魔氷絶心トワニカ・エル・エリシュオン女王陛下」

「そなたは、余に何を願うというのだ……大陸一の騎士が、土下座までして」


 地に額をこすりつけながら。

 俺は、請うた。


「これから俺は、初めて面白くもない努力をする。女王陛下、俺に……このルドガー・ハイネマンに、神聖魔法を教えて欲しい。あんたなら、出来るはずだ!」


 かくて、俺は再び強さを求める。

 もう二度と、この手から命を、取りこぼさないために。

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