第七話 龍跡樹海殲滅作戦

 魔導国をして大魔法と定義される極大術式。

 これを成立させうるは世界広しといえども魔導王トワニカ・エル・エリシュオンただ一人。

 しかし、如何に陛下が秀でいていようとも、その準備には人手が不可欠で。

 各地に配置された魔法使いたちが順番に術式を起動し、結界を発動――バックアップに専念していく。


 一方で祭壇へと上がった女王は、氷の表情で術式を組み上げる。

 その精緻さ、巨大さは、通常の術士の数百倍に等しく、国土と契約することの偉大さを否が応でも感じさせた。


 そんな陛下の目前に置かれたのは、薄く透き通るような物体。

 龍の逆鱗の薄皮。

 私がかつて多くの犠牲と引き換えに入手し、その後の巨大龍災害対策において大きな役割を果たしてきたエルド国の秘宝である。


 今回はずいぶんな身勝手を押し通して、薄皮を国外に持ち出し、ついでに魔導国へと譲渡を行った。

 本国の方では逆鱗本体の摘出も行われているが難航気味。

 政治を含めて、もろもろも幼馴染みには苦労をかけることとなったが、それはそれだ。

 重要なのはここからである。

 陛下が、号令を出す。


「ボルスタイン卿、余の名を以て命じる。結界を展開せよ」

「はっ! 術士総員、結界を展開せよー!」


 王命を受けて、貴公子が全軍へと指示。

 全部隊が一糸乱れぬ動きで術式を起動。

 龍跡樹海を完全包囲する結界が形成される。

 無論、今回は地下にまで領域は及んでいた。

 ……つまりは、エリシュオンの国土を、陛下の血肉を犠牲にしなければならない。


「嘆くなヨナタン。ボルスタイン卿も、皆もだ」


 儀式に専念しながら。

 しかし陛下は、私たちを気にかけてくださる。

 己が一番辛いはずなのに。


「放置すれば、国土は飲み込まれ余も死ぬ。ならば血肉も寿命の一部もくれてやって、さっぱりする方がよい。死から逃げるとは、生きるということなのだろう?」

「……はい」

「都合がいいというのもある。龍跡樹海もエリシュオンにある限り余の一部。照応によって接続することは難しくない。おかげで、このように結界を張れた。ならば、次の段階だ」


 脂汗を隠蔽魔法で隠しながら、彼女が告げる。


「見事なお覚悟! ならば身共らは、粉骨砕身、答えるまで!」


 ボルスタイン子爵が、己を奮い立たせた。

 作戦を続けること。

 それが、私たちの責務だったから。

 貴公子が告げる。


「トワニカさま、これより先は一息。一度動かせば途中で止めることは適いませぬ。お解りですな?」

「無論」


 ならばやるのみ。

 作戦を第二段階へと移行させる。


「龍由来植物、完全凍結術式開放。凍てつけ、異形の花々よ!」


 女王の号令一下、膨大な魔力が魔法陣へと注ぎ込まれる。

 それは国土を守りたいという願い。

 人々の生きたいという願い。

 トワニカ陛下はこれを変換し、龍跡樹海の凍結を開始する。


 結界内に立ちこめる凍気。

 途端に、龍由来植物が活性化を始める!


 やはりか!

 一瞬で全てが凍り付くのならば、そこには死も生もない。

 あるのは停滞だ。

 だが、如何に魔導国の総力を持ってしても、完全凍結には今しばらくの時間を要する。

 だから、その間樹海を押さえ込む必要があった。


 うねり、猛り狂い、結界を打ち破ろうと蠢動しゅんどうする龍由来植物。

 奇っ怪極まりない、名状しがたきもの。


 刃のような葉が結界を貫こうと雨あられのように吹き荒れる。

 汚穢色おわいしょくの樹液が周囲に飛散し、あらゆるもの糜爛びらん、腐食させる。

 結界の一部を貫通した幹が突如膨れ上がる。


 まずい、種子をとばすつもりなのだ。

 私が叫ぼうとするより。

 しかし女王の判断が速かった。


「結界再構築!」

「エリシュオンの底力を御覧あれ!」


 陛下と子爵の檄を受け。

 さらに一回り巨大な結界が、龍跡樹海を包み込む。

 弾けた種子は、その内部に止まった。


 冷気が満ちる。

 植物の動きが緩慢となり――ついにすべてが凍り付く。

 好機!


「女王陛下、いまです!」

「解っている。長距離転送魔法陣起動! 対象は――我が国土上空! 跳べ!」


 トワニカ陛下の詠唱を受けて術式が起動。

 目前の樹海が消え失せ、一帯を被うほどの巨大な影が、いきなり落ちる。


 視線を跳ね上げれば、数百メートル上空に、それが浮かんでいた。

 龍跡樹海。

 凍り付いてなお異端の極彩色。

 いまこの瞬間にもいましめを解いてうねりだし、全てを飲み込まんとする龍災害の壱!


「ぐっ」


 陛下が呻き、紫の唇の端から血がこぼれた。

 隠蔽術式が及ばないほどのダメージ。

 そうだ、我々は今、転送魔法を用いて樹海を切除した。

 樹海だけを上空へと運ぶことで、傷は最小限となったはず。

 それでもこれは、陛下の肉体を切り取ったに等しい負担があって。


「構うな! 最終段階に移行する! 〝凍てつく刻限の禁呪エリシュオン・セロ・アブソルート〟、発動用意!」


 ああ、勇ましきかな氷の魔女。

 いまこそ、龍跡樹海と決着がつく。


 ――そして、このタイミングを逃すほど、〝何者か〟は愚かではなかった。


「――っ!」


 突如として、私の身体が自由を失う。

 右手が勝手に伸びて、腰の短剣を抜き放ち、意志に反して女王陛下へと襲いかかろうとしてしまう。

 この儀式の中核は彼女だ。

 彼女に危害が及べば――その集中が断たれれば、全てはご破算、水泡と帰す。


 ボルスタイン子爵が血相を変え、私を取り押さえようとする。

 だが、無用。

 そもそも、私が。

 龍禍賢人の名を持つ私が、謀略蛮行これを許すとでも思っていたのか?


「ぎゃああああ!?」


 悲鳴が上がった。

 祭殿へと蹴り飛ばされてきたのは、見覚えのある人物。

 両腕をへし折られ、顔には殴られた痣がついていても見間違えようのない。

 三日前の会議中、中座したエリシュオンの臣下だった。

 彼は赤黒い衣装に身を包んでおり、その手には人形が握られていた。


 そう、この国を訪れたとき、陛下が私を操った人形である。

 これを、ある人物がもぎ取り、さらに不審者の喉笛へと刃を突き立てようとした。


「殺すな。聞き出したいことがあるのだ、ルドガー」

「おっと、殺気立っちまったか。悪いな、ヨナタン」


 悪友にして当代無双の剣士。

 ルドガー・ハイネマンは、暴走した臣下の背中へドスンと座り、完全に鎮圧してしまう。


「こ、これは、いったいなにが……?」


 困惑した様子のボルスタイン子爵に、ルドガーがヘラヘラと笑いながら語ってみせる。


「ヨナタン博士の地位失墜と、外交問題への発展を狙ってってところだろうな。こいつの身許は、あんたらに任せるが……」

「調査は龍災対こちらと合同で行って貰います。構いませんね、子爵殿?」


 あんぐりとする貴公子。

 一方でルドガーは、人形を私へと投げて寄越す。


 長距離転送魔法陣の使用を、私は陛下に二度願った。

 ひとつは、樹海を隔離するため。

 もうひとつが、エルド国から逆鱗の薄皮を届けて貰うために。


 そして薄皮を運んできてくれた人物こそ、この悪友おさななじみだったわけである。

 以前、龍牙兵が出没したとき何者からの襲撃を受けた私は、今回ルドガーへ護衛を任せていたのだ


「しかし、不安の芽はこれで全て摘まれた。あとは――」


 そう、あとは、彼女に任せればいい。

 氷の魔女。

 魔導国女王。


 魔氷絶心トワニカ・エル・エリシュオンに!


「全てを凍てつかせる波動よ、あらゆるを構成する魔素が極限を超え、いまこそ時間を遡行させたまえ……! 〝凍てつく刻限の禁呪エリシュオン・セロ・アブソルート〟!!」


 渾身のかけ声とともに放たれた大魔法は、龍の急所――命と接続された逆鱗を辿り、上空の樹海へと殺到する。

 一瞬。

 ただ一瞬であった。


 爆発的な氷気が結界を貫通して膨れ上がり、まるで世界が暗転するかのような暗黒となって爆縮する。

 国の四分の一を被うほどであった樹海が。

 その刹那、この世から消え失せた。


 あとにはただ。


 こつんと、地面に落ちる凍り付いた種が一つあって。


「陛下!」


 華奢な身体が倒れそうになるのを、ボルスタイン子爵が飛びついて支えた。

 私も駆け寄り――そして見た。


 氷の魔女が。

 微笑む様を。


「生き延びたぞ、ヨナタン。余は――運命に克ったのだ」


 私は。


「……はっ」


 ただ、万感の涙を堪えながら、頷いたのだった。


 かくして、魔導国における巨大龍災害は一応の解決を見た。

 しかしこの数時間後、私はエルド国へととんぼ返りすることになる。

 なぜならば――


「大変ですエングラー様! 遺骸より龍牙兵が大量発生、これに伴いトレネダ帝國が――全軍を上げエルドへと侵攻を開始しました!」


 この争い、どう治める?

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