第五話 血肉を削ぎ落としても

 人間は脆弱ぜいじゃくだ。

 帝國の一軍を向こうに回して、そのすべてを凍結できる超抜級の魔法使い――トワニカ・エル・エリシュオンとて例外ではない。

 樹林に貪られ、彼女の命は刻一刻と死に向かっていた。

 ならば、そのか弱きヒトの武器とはなんだろうか。


 知恵である。


「やはり根が残っている。地表を被う苔が火を弾くのか、他に要因があるのか、ともかく焦熱魔法は決定打とならなかったか」


 大規模掃討作戦が失敗した翌日。

 女王陛下の許可を得た私は、龍跡樹海を訪れていた。

 もちろん、内部に踏み込むことなど出来ない。

 胞子を吸うだけで、命に関わるからだ。

 ゆえに樹海が反応するギリギリまで近づき、詳細を検分する。


 供にはまさかのボルスタイン子爵がついてくれていた。

 彼は手勢に周囲の調査を任せながら、こちらへと歩み寄ってくる。


「どうですかな、焦熱魔法の効果は」

「……あなたがこれを対策として打ち出した気持ちが、よくわかります」


 結界内の龍由来植物は完全に焼き払われていた。完璧にだ。抑制作戦として、間違いなく上策であったはずなのだ。

 国土を傷つけず、子実体を排除する。何も間違ってはいない。

 だが――やはり龍災害は埒外だった。


「結界の外。地下にあった根が、急速に活性化したこと。これだけが予想外だったのでは?」

「想定はしていたがね。だが……身共らには決行することが出来なかったのですな」


 苦々しい声を上げて、彼は唇を強く噛みしめた。

 私は視線を上げる。


 見渡す限り、おぞましい極彩色に支配された樹林。

 されど、以前見たときと今では変化が顕著だ。

 地面が大きく隆起し、樹高が高くなっている。

 根が太く、強く成長しているのだ。


 植物とは、繁殖力が強い生物である。

 その性質は成熟するほど……言い換えれば死が近づくほど顕著になる。

 子爵が、同意の言葉を返してくれた。


「つまり、燃やし尽くそうとすれば龍由来植物は死を察知し、次の世代を残そうと大量に種子をばらまく。これは耐火性を帯びており、また根も再生の準備を始めるということであるな」

「それは、重要な観点です」

「なに?」


 こちらの言葉を受けて、彼は意外そうな顔をした。

 思いつきではあったが、脳裏に浮かんできたイメージを私は言語化していく。


「逆説的にですが、龍由来植物が命の危機を覚えなければ、どうでしょうか」


 たとえば、生長。

 つまり命の到達点、死というベクトルに向かわなければ、龍跡樹海は繁殖活動を行わないのではないか?

 これ以上、拡大も再生もしないのではないか。


「結界の範囲を拡大し、地下まで封じる。さらに一瞬で全てを停止させれば、封じ込めが可能に――いや、違いますね」


 そこまで言いかけて、私はさらに考えを練る。

 組み上げた推論から仮説を展開し。

 もう一歩構成を踏み込んだ。


「龍跡樹海自体を、エリシュオンの国土と完全に分離しなければ、陛下の命に関わる。これは承知しています」

「やはり、貴様は」

「はい、知っています。だからこそ言えます。これ以上の樹海による浸食は」

「遠からず、陛下に死を招くと言いたいのかね」


 うなずきを返す。

 龍跡樹海は、たった一粒、龍からこぼれ落ちた種子によって形成された。

 芽吹いた種子が、周囲の植生を取り込み、大地を汚染してこの状況を作り出したのだ。

 いずれはエリシュオン全土を飲み込み、近隣諸国だけでなく世界を貪り尽くすだろう。

 そうなってからでは、全てが遅い。

 やるのなら、いまなにもかもを取り除くしかない。

 必要なのは、果断なる病巣の切除だ。


「手段が思い浮かびました。この国と、女王陛下の延命を図る手段が」

「トワニカさまにお伝えするつもりか」

「躊躇っております。が」


 私は、龍災対の人間だ。

 何よりもエンネアを、あの白き巨人から取り戻すという目的がある。

 であるならば。


「たとえこの方策が、陛下の血肉を削ぎ落とし寿命を縮めるのだとしても。私は、上申しなくてはなりません」



§§



「構わん。捨て置けば死にゆく命だ、余はヨナタンを信じる」


 謁見を許可してくださった陛下は。

 私が説明するより早く、そう告げられた。

 随分と重たい信頼である。

 苦々しくしかめそうになる顔をなんとか取り繕い、訊ねる。


「それほど私を信用して、よいのでしょうか?」

「なにを言い出すのか、異邦の賢者よ!」


 当然、ボルスタイン子爵を筆頭にする臣下たちは反発。

 危機感から、こちらへ向けて魔力を投射する。

 いつでも殺せるという威嚇だが、剣にも魔法にも通じない私は、陛下の前ではもとより無力だ。

 ゆえに続ける。


「恐れ多いことながら、私には主君があります。所詮は、外部他国の人間。それへここまで信を置くこと、危険としか思えませぬ」

「いざとなれば、そなたは〝主君〟の為に働くと?」

「はい」


 嘘ではない。

 私が今守りたいものなど、たった一つなのだ。

 エンネア・シュネーヴァイスの自由。

 そのためならば、国家を謀略の渦に巻き込んでも構わないと思っている。

 既にルルミを筆頭とする間者を、あちこちへと仕込んでいることも事実。

 民間にすら、手を回している。


 賢明なる氷の魔女よ。

 その上で、私の話を聞くことがあなたに出来るのか。

 私自身が、私を信じ切れないというのに。


「だからなんだというのだ?」


 されど。

 氷の魔女は、あっけらかんに、私の不安を一蹴する。


「余は死なぬ、生きるためにそなたを頼る。自己肯定感が地に落ちているそなたに敢えて告げてやろう、そなたに救われた者は多く、だからいま、多くの者がそなたを頼る。さあ、早く策を聞かせよ」


 唖然とした。

 彼女の眼差しには、一点の曇りもなかったからだ。

 その氷の瞳は、ただひたすら真っ直ぐに、ヨナタン・エングラーという男を見詰めていたのだ。


 ……やれやれ。

 なんとも自分を買いかぶっていたものだな。傲慢すぎて、死にたくなる。

 これは――なんとかするしかあるまい。


「過分なお言葉、真に痛み入りまする」


 深々と頭を垂れ、そのあと、臣下の方々にも同じく礼を尽くす。


「あなた方の主君に対し、無礼を働きました。平にご容赦を」

「……トワニカさまがとされたことに、身共らは口出しできませぬな」


 真っ先に手を下ろしてくれたのはボルスタイン子爵だった。

 戸惑いながらも、他の方々が追随してくれる。

 何名かは渋っていたが、やがて場は静まった。


 私は一つ深呼吸をして。

 再び、女王陛下へと相対した。


「龍跡樹海を消し去る方法は――あります」

「それはなんだ?」

「具体案を口に出す前に、ひとつだけ確認したきことが」

「言ってみよ」

「陛下」


 誰よりも魔法に通じ、もっとも偉大なる魔女とされるトワニカ・エル・エリシュオン。


「神聖魔法とは、神々の力を借りる法術――。相違ありませんか?」

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