第二話 巨大龍災害の壱――〝龍跡樹海〟

 世界を滅亡寸前まで追い込んだ〝巨大龍〟。

 巨体と圧倒的な破壊力をもって、通過したあと全てを灰燼に変えてきた、文字通りの歩く大災害。

 しかし、龍の脅威はそれだけではない。

 龍牙兵と同じように、その巨躯きょくからは様々な〝災厄〟がこぼれ落ち、いまだ世界を混乱に陥れている。


 では、この国。

 自然豊かなエリシュオン魔導国を蝕むのは何か。

 それこそは巨大龍災害の壱、〝龍跡樹海〟である。


 エリシュオンの樹木は紅葉しない。

 そのため、年中を通して街中に緑が溢れている。

 だが、現在に限っては話が違った。


 南西部が、極彩色に染め上げられているのだ。


 通常の森では観測されないような、異形植物の群れ。

 赤黒いコケは地面ごと生物を飲み込み、ねじくれ粘液と棘にまみれた蔦はあらゆるものへとからみつき、それをへし折る。

 咲き乱れる花々は猛毒。

 花粉を吸った人間は体内から食い破られて、新たな苗床と化す。


 龍と共生し、その身体からこぼれ落ちた瞬間から芽吹き、やがて国全てを飲み込んでしまう邪悪なる生態系。

 それこそが、〝龍跡樹海〟。

 龍山登山の最中に見かけた植物の本性がこれである。


 魔導国はいま、この脅威によって壊滅の危機に瀕していた。

 当然だろう、エリシュオンは自然とともに歩んできた文明だ。

 建物も、食べ物も、生活すら植物に依存している。


「しかし、この侵略的外来種は僅か2年の歳月で、我が領土の7分の1を侵掠した。樹海の拡大は加速度的に高まっており、そう遠くない未来、エリシュオンは龍跡樹海へと沈む」


 招かれた歓待の席で、トワニカ女王は淡々と語ってみせた。

 王城内部に作られた宴会場は、現在作戦室の様相を呈している。

 染みひとつないテーブルクロスが敷かれた長机の上には、豪勢な料理と資料の山が同居していた。


 また、私から見て正面、陛下の背後には遠見の魔法によって樹海の様子が映し出されており、時折吹き出すドス黒い瘴気や、禍々しい輝きを放つ花粉までもが見て取れた。

 じつに高精度は魔法である。


「女王陛下」

「言わんとすることは解るが、議論はあとだ。余は貴種として、まず客人たるそなたを持て成したい。食事に手をつけよ」

「……承知しました」


 陛下の言葉もそうだったが、宴会場に立ちこめる雰囲気に勝てず、私はいったん議論の端を開くことを諦めた。

 こちらを睨み付ける、トワニカ女王の脇を固める数名の人物たちが恐ろしかったのだ。


 ここは私が生まれ育った国ではない。他国である。

 外国の人間というのは、それだけで恐ろしい。

 日々の営みや、守るべきルールすら異なる。私にとってきものが、彼らにとっては許せない蛮行かも知れないのだ。


 国使として出向いている私は、当然エリシュオンの文化を理解しているが、やはり恐いものは恐い。

 魔物や巨大龍とは比較にならない、なまじ外見や種が近いからこその恐怖である。


 ……加えて言えば、どうやら陛下以外は、私を歓迎していないらしい。

 勘違いかも知れないが、これでも脅威には敏感だ。

 こぼれそうになるため息を飲み込み、目前の料理に手をつける。


「我が国の名物である鹿肉をローストしたもので、ソースには名産の果汁酒とカボチャ、それにベリーを使っている」


 陛下の説明は端的だったが、そこには絶対の自信が込められていた。

 直火で炙られたらしい肉は、しかし中心に赤みを残しており、焼き加減が抜群だ。新鮮でなければ出来ない手法。

 ナイフを用いれば、肉はさしたる抵抗もなく切れる。

 カボチャ色のソースと、周囲に散らされているソースの2種類を絡め取り、口に運ぶ。


 歯を立てる。

 ぷつりと肉の繊維がほどけ、噛みしめるほどに肉汁が溢れた。

 これに甘さとバターの香りが詰まったひとつ目のソースがコクを、ベリーのソースが酸味を与え、豊かで奥深い味わいを感じさせる。


 美味い。


 噛み続けていると骨の出汁とキノコの出汁も感じられ、付け合わせの山菜を一緒に食べれば爽やかな香りが鼻腔を駆け抜けた。

 なるほど、自然豊かなエリシュオン。

 木の実や草木の芽を常食とする鹿や猪の肉は、比較的安定して調達できるのだろう。

 それでいてこの味ならば、名物と言われるのもよくわかる。


 総じて、もてなしにふさわしい大御馳走。

 常日頃の食生活を考えるとあまりに勿体もったいなくて、少しずつ味わって頂戴する。


「たいへん美味しゅうございます」

「おや、その割には食が進んでおりませんなぁ。まさか、口に合いませんでしたかなぁ?」


 投げかけられたのは、よほど鈍感な人間でなければ察することの出来る皮肉。

 陛下の側に座っている貴公子が、髭を撫でながら見下した様子で語りかけてくる。

 彼は、確か。


「ボルスタイン卿、余の客人は分を弁えている。あまり脅すな」

「これは陛下、客人といえども礼節には従うべきでしょうな。郷に入っては郷に従えエリシュオンでは魔法を第一とせよと申しますのでして。そもそも、客として遇するのがふさわしい人物かどうか。以前訪ねてきました商人……なんと言いましたか、ギルなんとかは、世渡りが上手な男でしたが」


 ……誰の話だ?

 あとでルルミに調べさせるか。


 しかし、私には礼をもって応じるに値しないとは、なかなか手厳しい意見だ。

 人見知りで食欲が減退していたのは事実だが……などと思いつつ視線を向けると、男はわざとらしく驚いてみせる。


「おっと、名乗り遅れましたな。身共は魔導国において代々子爵の地位を賜るボルスタイン家の代表。同時に、この国における対龍災害の専門家と呼ばれておりまする。以後、お見知りおきを」


 名を名乗るつもりはない、ということは解ったので、あえて頭を下げるに止める。

 専門家か。

 彼が話しかけてきた、ということは頃合いなのだろう。


 閣下に視線で訊ねると、鷹揚な首肯を頂戴する。

 頷き返し、本題を切り出すべく、ボルスタイン子爵へと問い掛けた。


「具体的に、どのような対策をされてきたので?」


 巨大龍の遺骸を擁する我が国にとっても、龍跡樹海の抑制は他人事ではない。

 事実として、龍由来植物はすでに発芽を始めており、本国ではその伐採に追われている。

 だから先人に対し、どういった対策を採っているのかと訊ねた。


「無論、やっているが?」


 返ってきたのは、不審と猜疑を煮詰めた声。

 明らかにボルスタイン子爵はこちらを警戒している。

 どうする? とりあえず、もう少し押してみるか?


「具体例をお教え願いたいのですが」

「結界だ」


 結界……。


「見て解るとおり、樹海全域へ結界を張り巡らせ、種子の拡散を防いでいるな。なに、解らない? おーっと、これは失礼。貴殿は魔法後進国の出身であったかな?」


 こちらを小馬鹿にした……というよりも、目の敵にしているような態度だが、事実ならば受け容れられる。

 エルド国とエリシュオン魔導国では、それこそ子どもと大人ほども魔法の扱いに差があるだろう。


 例えば、一般的な火水風土の四大魔法。ここから派生する雷や霞の魔法までは、我が国でも扱えるものがいる。

 ルドガーなど、その最たるものだ。


 しかし、さらに位階の高いもの。空間の跳躍や時間の制御、傷を癒やし不浄を退ける神聖魔法となれば、使い手は非常に限られる。

 プリーストの出身地がエリシュオン魔導国に多く見られるのがその証拠だろう。


 エルドが後進国であることはただの事実だ。

 ゆえに、感情を揺らすほどの問題にはならない。

 どちらかと言えば、彼の口が重いことが気になり、問う。


「まさかと思いますが、情報を共有できないと仰りたいのですか」

「言葉は慎みたまえ。陛下にそのようなお考えはない!」


 女王陛下ではなく子爵殿に言ったつもりだったが……どうやら間違いないらしい。

 龍への対策と情報は、その国にとっての宝だ。

 今後の世界で覇を唱えるには、どうあっても必要である。

 つまり、隠匿。

 エルド国に利益を渡さないため、彼は語らない腹なのだ。


 ……ここで退くのは無しだ。

 畢竟ひっきょう、切り込むしかない。

 まったく、論戦のために来訪したわけではないのだがな。


「素人質問で恐縮ですが」


 私は可能な限り態度を謙虚にして。

 こう、訊ねた。


「結界は、地下にも及んでいるのですか?」

「――侮辱のつもりかぁ!?」


 ボルスタイン子爵の、怒号が響く。

 どうやら私は、彼の虎の尾を踏んだらしかった……。

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