第六話 ティータイムに山積みの問題を

「ルルミか、助かる」

「当然のことです」


 右腕少女の名はルルミ。

 姓はない。

 ただ、ルルミと呼ばれている。


 夜の闇に溶けるような紫髪を両サイドで結った、顔と手に火傷の跡が残る年端のいかない娘。

 彼女は災害孤児の一人であった。

 行き場を失った彼女らを、せめてもの贖罪つぐないにと龍災対へ召し抱えたのはいつだったか。

 正しかったのか、誤りだったのか、それすら判然としない。


 ただ一つ言えることは、ルルミという少女がヨナタン・エングラーの戦いには必要不可欠であったという事実だ。

 この国の暗部、私の刃として、彼女にはいくつもの仕事を任せてきた。

 ……それが、たまらなく不甲斐ない。


「キャンプについてのお話でしたか?」

「ああ、使者を相手にした小手先の権謀術数だ。わかりやすく翻訳してみせようか」


 たわむれで口にすれば、彼女はこくりと頷いてみせる。

 表情が変わらないだけで、その情緒は年齢相応なのだ。


野営地キャンプ――つまりは拠点だな。これは当然、龍に近い方が往復の距離を少なくできる。能率が上がる。宴会パーティーを思い浮かべてくれ。自分の席と、料理が並ぶテーブル。近い方が利便性は当然高い」

「しかし、我が国の食事どころや施設を利用するなら、街へ近いほうがいいのではないですか?」

「こちらとしても、外貨で潤うのだからそう取り計らいたいのが本音だ」


 が、これを不平等と感じる者も、当然いる。


「初手例外としてエリシュオンが動いているのだからな、よい席を掠め取られたと皆考えるだろう。逆説的に言えば、取引さえすれば、もっとよい位置に案内されると思っているのだ」

魔導国あの国は嫌いです」

「私の懐刀としての判断か?」

「マスターにお仕えすると決めたとき、私情は全て殺しました。嫌いというのは、危険ということです」


 なるほど、頼れる部下である。

 だが、どれほど感情を殺しても、それでも滲み出てくるものがあるからこそ人間。

 彼女が無自覚に抱いた想念は、誰しもが生来持ち合わせる感覚。

 それを、比較嫉妬という。


「だから難しい」

「……理解しました。それで労働時間の無期限開放を?」

「察しがよくて助かる」


 簡単なことなのだ。

 移動距離や利便性に格差が出るのなら、制限を設けず鱗を剥いで構わないと通達すればよい。


「料理と椅子が離れているのならば、何度でも取りに行って構わないと告げれば解決する。パーティーの終了時間いっぱいまで居座ることを許可するとな」

「そういう話でしたか」

「うむ。この程度の話でしかない」


 だから、所詮は小手先のことなのだ。

 こんなものは、現場の判断で適宜てきぎ変えていけばいい。

 重要なのは、もっと上にいる連中――パーティーの主催者たちの動向である。


「ルルミ、各国の作業状況はどうなっている」

災世断剣ルドガー様を筆頭に、二十名を超える勇士が鱗の剥離にかかっています。概算ですが、一日で80から100枚を摘出できるかと」

「第一波としては、順調な滑り出しだな。横やりやいさかいも特になし、か」


 無論、油断はならない。

 いつ他の大国が幅を利かせようとしてくるか、何時なんどき仕掛けてくるか解らないのだ。

 そんなときのために、あらゆる国の動きを把握し、牽制しておかなければならない。


「能率の問題もある」


 いかに勇士、大剣豪たちとはいえ、疲労はする。

 どの国もローテーションを組んで作業に当たるはずだが、それにも限度があろう。

 また、一騎当千の武人を我が国に派遣すれば、軍事力が一時的に減少することは明らかだ。

 すべてのリソースを巨大龍に割くなど有り得ない。

 ……もっとも、こちらとしては兵力を吐き出させること自体が狙いなので、上手くいって欲しいところではあるが。


「兵士がいなければ、そもそも争いはできない、ということですか?」

「おおよそ当たりだ。意識の向きを変えてやるだけでも効果はある。さて、龍の鱗は100000以上。我々は剥離作業のサポートに当たる」


 龍の全高は、概算で7000メルトルにも届く。

 この超巨大物体の鱗を剥ぐとなれば、足場は必須。

 材木などの資材は各国が持ち寄ってくれているが、いずれは巨大龍という山嶺さんれいに挑む必要がある。


 それまでには、寒冷対策として登山服や、保存食、ナビゲーターなども用意しなくてはならないだろう。

 先遣隊を作り、登攀とうはんルートの開拓も必要だ。


 また、龍がアンデッドとして復活したときのことも考え、現場を隔離する手段や、この地――エルド王都で足止めする算段などもつけておく必要があるだろう。

 各国へ助力を要請する手段、即座に軍隊を派遣できるようインフラを整える必要もある。


 まったく、考えるべきことが山のようだ。


「……先日までのマスターが、戻ってきたように感じられます」


 私の様子を見て、ルルミはそう言った。

 ほんの少しだけ、嬉しそうに。


「そう、だな」


 筆舌ひつぜつしがたい罪悪感を覚えながら、私は首肯する。

 災害に怯えて暮らす民草を守ること、それこそが私たちの仕事だった。

 避難経路の確保、租界地における就職の斡旋や居住施設の建築、食料の再分配。

 なによりも龍を倒し、その被害を最小限に抑えるため、我々は力を尽くした。


 だからこそ思う。

 この数日、もしかすると私は気が緩んでいたのかも知れないと。

 あれだけ陛下達には厳しくしてきたというのに、どこかで龍は死んでいるのだという油断があったのだろうと。


 腑抜ふぬけになっていた私が、各国の緊張状態で往時の姿へ戻った。

 それを、ルルミは喜んでいるらしい。

 気持ちはわかる。憧れとは、幻想ユメをみるものなのだから。


「だが、夢は追わねば、決して叶うまい」


 初志を新たにする。

 何も終わっていないことを自覚する。


 問題は山積みで、民草は過酷な日々を送っているのだ。

 各国との諍いが完全に消滅したわけでもない。


 それでもいま、未来が拓けようとしているのだから。

 ここで計画を、頓挫とんざさせるわけにはいかない。

 気合いを入れ直せ、ヨナタン・エングラー。


「窮地はチャンス、か」

「マスター?」

「……なんでもない」

「障害がありますなら、わたしが〝掃除〟しますが?」

「物騒なことを言うな」


 懐刀は、ここぞと言うときまで抜かないからこそ意味があるのだ。


「……これは、失礼を。しかし、それではわたしの存在意義が」

「これまで通り補佐をしてくれ。龍災対で裏の裏まで話ができるのは、ルルミ、おまえだけだ」

「――はいっ」


 ほんの少し、強く言葉を発した彼女を見遣り。

 私は微笑んで、まだ熱いお茶へと口をつけた。

 疲労が、熱の中で心地よく解けていくのを感じる。

 願わくば、こんな日々が続けばよいのにと思ってしまう自分が、どこかにいた。



 無論――そんな都合のいい願いは、早々に破却はきゃくされるのだが。

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