第四話 龍の頂


 ――6年前、まだ龍災害対策機関が存在せず、私が、前身組織の一員に過ぎなかった頃。

 私たちは、巨大龍に対して手痛い敗北をきっした。


 伝承によれば、龍は同じ場所を二度と訪れないとされていた。

 また、過去に別の龍が残した遺物を嫌うとされており、要所であるその町には大量のお守り――龍遺物が持ち込まれていた。


 しかし、此度の巨大龍は前例に従わなかった。

 むしろ輪をかけて街へと迫り。

 全てが、蹂躙されてしまう。


 災禍に飲み込まれ燃えさかる街を、私はただ呆然と見詰めていた。

 己の無力さに、悔し涙をこぼして。

 けれど。

 火の粉が夜の空へと舞い上がっていく中。


 微かな、泣き声を聞いたのだ。


 夢中だった。

 救えなかった命が、もしかすると生きているかも知れない。

 そう思うと、立場も何もかも忘れてしまった。

 仲間が止めるのも聞かず、瓦礫の山へとよじ登り。

 手が傷だらけになることも構わず必死で掘り進めた。


 肩で息をして、周囲の炎にあぶられて汗すら出なくなり、それでも瓦礫の撤去を続けて。

 そこにいるのかと。

 誰か生きているのかと問い続ける叫びも、いつしか枯れかけたとき。


 ――小さな手が、倒壊した建物の下から覗いた。


 がむしゃらだった。

 ひたすらに残骸をどかし、励ましの言葉を投げ続ける。ただ生きろと、生きていてくれと願って。

 果たして、少女は一命を取り留めた。


 愛らしい顔には火傷が刻まれ、いつの間にか降り始めた雨で全身は凍えるように冷たかったけれど。

 彼女は確かに、生きていたのだ。


 呼び声に応えて、微かに目を開いた少女を、私は強く抱きしめた。


「ありがとう……ありがとう……っ」


 そう、何度も繰り返し告げたことを覚えている。

 少女は手を伸ばした。

 私は、その手を取った。

 確かな命の熱が、彼女にはあって。


 ……もしもあのとき、私が握り返さなければ、こんな過酷な場所へと、彼女を連れてくることはなかっただろう。

 自らの罪深さを、いまさらになって自覚する。


 だというのに、少女は。

 火傷の残るルルミは、この手を変わらずに強く握って告げるのだ。


「嬉しかったのです。恩を感じたのです。だから、全身全霊で報いようと誓ったのです」


 重く、背負うには難儀な信頼の言の葉。

 けれど、これを背負って歩き続けなければならない責任が私にはあった。


「……もう数日、この地点で身体を慣らす。高山に適応次第、さらなる登攀を開始する」


 立ち止まらないために、立ち止まることを私は告げる。

 いつか罪は償う。

 なにも失わせない。


 そんな決意が、飲み下したスープと、繋いだ手の中から燃え上がって。

 いつの間にか、私の胸の奥へと火を灯していた。



§§



 そうして、二週間近くの時間をかけて。

 私たちはついに、頂へと達する。

 蒸すような暑さから始まった旅程は、極寒を経て、雪原を踏破し、雲海を抜け、ついに此処ここへと至る。

 最後の一山を越えた先に、それはあった。


 ――山頂。


 霊峰の頂。

 龍山が頂点。

 腹ばいに倒れ伏した埒外存在の背中。

 その最も盛り上がった部分へと、私たちは辿り着き。


 ただ、絶句した。


「――――」


 けていた。

 おそらく、龍の鱗の中でも最も分厚く、積層がなされている部位が。

 背びれと鱗と表皮と魔力。

 四重に護られているはずの場所が。

 この世の何よりも堅牢な防御力を誇るそこが。


 真っ白に、炭化していたのである。


 初めは、冠雪だと思った。

 けれど違う。

 溶けない。

 雪ではないのだ。

 灰になっていたのだ。


 ずっと不思議に思っていたことがある。

 どうして龍は死んだのかと。

 胸の火傷は、さほど重傷でもなかったのに、と。


 それが、はっきりとした。

 龍は、背中から胸にかけて――つまり、心臓まで届くなんらかの超高熱投射によって、生命活動を停止したのだ。


 無論、このようなことは帝國の火砲でも、共和国の呪詛でも、魔導国の魔法でもなしえることではない。

 否、そもそも人間には不可能だ。


 震えながら振り返る。

 エンネアが。

 〝それ〟が。

 高度に理知的な、しかし一切の感情が読み取れない眼差しで、その傷痕を見詰めていた。

 微かに、〝それ〟の唇が動く。


『次はない』


 そう言っているように思えて、背筋が震える。

 埒外事情のオンパレード。混乱し、惑乱し、恐怖に飲み込まれそうになったとき。

 誰かが、私の手をそっと握った。


「マスター、震えているのですか」


 ルルミだった。

 顔には火傷の跡が残る少女が、私よりもよほど年若い彼女が、いま気遣いからこの手を取ってくれている。

 その事実が、僅かな熱が、凍り付きそうだった心を駆動させる。


 大きく息を吸う。

 寒気と蒸気が、同時に肺臓へと落ち、むせた。

 しまりがない。

 それでも、声を上げる。


「これより、山小屋の仮設を始める。専門家の方々はこちらへ。登山道の暫定的な策定、帰りのルートの模索を行う」

「応!」


 静かな同意に首肯を返して。

 私たちは、やるべきことをやり始めた。


「…………」


 ただ一人。

 エンネアだけがずっと。

 灰になった背中を見詰め。

 やがて、どこからか取りだした一輪の花を、そこへと手向けた。


 私たちは忙しく立ち回り、さらに二週間後。

 先遣隊は無事、一人として欠けることなく、王都へと帰還することに成功。


 ルートが開通したことで、ふた月の間には〝鏡〟の設置が出来るだろうという意見を有識者がまとめ。

 今後の作戦――王都の武装化および遅滞戦術案を含む提言――龍解体作戦第三号の協議を始めた頃。


 つまり、帰還して僅かに三日後。

 私は、エリシュオン魔導国へと出向することになった。


 理由は単純明快。

 果たすべき使命に従事するため。

 そう、龍が残した負の遺産。


 龍跡樹海りゅうせきじゅかいを、根絶するためである。

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