第三話 逃げた男は答えない
そこからの行軍は過酷を極めた。
龍の背中は均一でなく、傾斜が急にきつくなる部分があった。
ときには聳え立つ壁のような断崖絶壁に、
ハーケンやピッケルの先端は鱗に刺さらない。
だから、鱗と鱗の僅かな隙間へ、特別に用立てた刃を引っかけ、それを足がかりにして登山を強行したのだ。
世が世なら、家宝として先祖伝来の品になっていそうな刃物である。
さながら気分は絶壁へと挑むロッククライミングだった。
吹きすさぶ風が、耳元で鳴り響く。
下を視れば、剣で出来たが如き背びれがいくつも並んでおり、仮に滑落し激突すれば命はない。
全員が恐怖と戦いながら、ポルタリングの要領で難所を越えてた。
登山の専門家を招いていなければ、どこへ足をかけていいのか、指を乗せればいいのかさえ解らず、我々は全滅していたかも知れない。
自分の心配性が、今回は役に立ったらしい。
絶壁を超えた先に待っていたのは〝ノミ〟だった。
ノミなど指先一つだろうと思うかも知れない。
だが、これも強敵難敵の類い。
龍の血液と魔力を吸い凶暴化した、人ほどの大きさがある〝ノミ〟。
背びれの先端ほどの高さまで跳躍してくるそれを、兵士達とルルミは必死で撃退した。
途中からエンネアの発案で、跳んでいるときに下界へと突き落とす戦法をとったことでやり過ごすことに成功。
下にはルドガーも残っているのだ、なんとかなるだろうと楽観しつつ。
不安を振り払いながら前へと進む。
やがて、龍由来植物が突然消滅した。
森林限界、というものがある。
標高の高さや、酸素の濃度、気温などによって背の高い木々が生育できなくなる地点のことだ。
いうなれば、ここは植生限界であった。
あらゆる植物は皆無となり、赤黒い体表のみが露出する。
しかも表面は凍り付いており、歩みをどこまでも危うくしていた。
永久凍土に近い状態。
それが長く続き、また山を一つ越えたとき――見えるものは雪原へと変わった。
ここまでの道のりが天国であったかのように錯覚する。
それほどまでに、眼前に広がる環境は限界を極めていた。
足を取り、体力を奪う積雪と、凍り付いた体表。
風は重く、横殴りの雪花を伴って吹き荒れる。
大自然の脅威。龍より遙か以前から存在する天然災害。
強行軍は不可能と判断。
咄嗟に、大休止の指示を出す。
これには登山の専門家達も同意し、風よけを兼ねて背びれの裏へと退避。
そこに、キャンプを張ることとなった。
漠然とした違和感。
手を開き、閉じ、再び開く。
全身にある
だが、それだけではないのだろう。
生あくびの出ている隊員達が数多くいた。
「酸素が、薄いのか?」
専門家の答えは首肯。
歩きつめて数日間、私たちはとっくに、普通の山々よりも高い地点へとやってきていたのである。
とにもかくにも吹雪にアタックするのは無謀であるという結論が出て、いったん身体を休めることとなった。
高所適応も兼ねた、長期の滞在が始まる。
「ところでヨナタン、あのときの答え、そろそろ教えてくれる?」
「……どの問いだ」
テントの中で這い寄ってきた〝それ〟が訊ねる。
問いかけへの答えは全て与えたはずだ。
視線だけでそう返せば、白き巨人はゆっくりと首を振った。
「七年前、最後に会ったとき、どうしてヨナタンが逃げたのかってことです」
「…………」
「ちゃんとお別れしたかったのに。でも、戻ってきてみればルルミちゃんみたいな可愛い女の子を
言いながら、エンネアらしきものはルルミを抱き寄せ、熱源の代わりにしたりほっぺたを揉んだりする。
されるがままになっており、抵抗しないルルミ。
私は、答えに詰まる。
その問いは即ち、七年前どうして、私はエンネアの前から逃げ出したとのか? という事だった。
巨大龍災害から人々守るため、テュポス山脈へ向かうと言った彼女を、私は止めた。
けれど、エンネアはそれを固辞し、とある選択を迫った。
それは――
「おまえに、告げる言葉などない」
「えー」
「えー、ではない。それよりも各人、身体を休めよ。見張りには順番で立つ!」
話題を強引に切り替え、それでも勝手によみがえろうとする思い出と失敗を彼方へ吹き飛ばすため、私は指揮へと没頭していった。
§§
丸三日ほどテントで休んでいると、あるとき天候が急に晴れた。
丁度私が見張りに付いていたときである。
吹雪の切れ間に見えたのは中原。
エルドの全望。
実りある大地だったはずの場所、発達した都市部だった場所、あるいは片田舎。
そのすべてが、災禍に蝕まれていた。
焼け付く土地。
薙ぎ払われた森林。
崩れ去った山々。
ここからでも見えるほどの、天変地異じみた環境への影響。
改めて、巨大龍という災害の恐ろしさが身にしみる。
「マスター、暖をとってください」
気を利かせてくれたらしいルルミが、スープの入ったカップを差し出してくれる。
受け取れば、とても温かい。
一口含み、飲み下す。
熱が喉を通り、全身へと広がっていく。
様々な恐怖が、僅かに弛緩する。
同時に甦るのは、犯した過ちの数々。
白い息とともに、悔恨の言葉がこぼれ落ちる。
「……ルルミ、おまえは、こんな寒さの中にいたのか」
「いいえ、マスター。わたしは煙に焼かれ、瓦礫の中で息苦しくしていました。この顔と、この手には、いまだその熱がくすぶっています」
彼女が、私の手をぎゅっと握った。
その手は驚くほど小さく。けれど強くて。
手袋越しだというのに、熱量が伝わるような気がした。
私の中で、あの日が。
六年前の
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