第二話 本日は快晴なり ~これより登山を開始する~

 装具の点検を終了した私は、一つ息をつき、前を向いた。

 赤黒い巨岩の如きものが、そこにはそびえている。

 視線を緩やかに上げれば、岩はなだらかな傾斜を描いて空へと向かって伸びていた。


 巨大龍の尻尾。


 人類史で初めて、我々有志登山隊は、巨大龍への登攀を決行しようとしていた。

 ゆっくりと振り返る。

 メンツは全員揃っていた。


 龍災対から、ルルミと解析の専門家が2名。

 護衛と荷物持ちを兼ねた兵士が6名。

 登山の専門家が2名。

 そして私と、


「おっきーですねー! 言うなれば『天にも届く大山脈! ただし生物』という感じの」

「それは事実のままだ」


 ふざけたことを抜かすエンネアの姿をした何か。

 合わせて12名が、今回龍山登頂の先遣隊として組織されていた。


「ルルミ、ルドガーには声かけたか」

「コナをかけられかけました」


 思うところは三つあった。

 そんな面白い反応は期待していないというのが一つ。

 あの男は変わらないなと言うのが一つ。

 そして、もうひとつは。


「やつが参加しない理由わけは?」

「鍛錬のためだ、と」


 ……なるほど。

 その理由であれば、いかなる人間でも無理強いは出来まい。

 大陸最強の剣士が、より強さを求める。

 当然のことであるし――今後絶対に必要なことだから。


 彼は、彼にしか出来ないことをしようとしている。

 ならば私も、私の責務を全うしよう。

 

「全員、準備はよいか?」


 問い掛ければ、力強い頷きが返ってきた。

 重装備に身を包み、ひと月でも雪山にこもれそうな面々である。

 実際、この登山は片道2週間の強行軍を想定していた。

 人跡未踏、尋常ならざる大山脈だ。

 一朝一夕での攻略は不可能だろう。

 途中で引き返す事さえ考慮のうちだった。


 大陸最高峰の山々よりも高い龍のみねとは、それほどまでに危険な場所なのだ。

 だが……尻込みするいとまはない。


「出発する。隊列を組んでくれ」


 号令一下、全員が2列に並ぶ。

 先頭と末尾には登山家が1名ずつ。その隣に解析班。 

 私が真ん中で、その右に護衛としてルルミ。

 背後にはエンネアみたいなもの。

 あとを兵士達が埋めている。


 陣形が出来ているのを確認して、出立しゅったつ

 鱗を剥ぐために作られた足場を伝って、そのまま尻尾の上へ。

 この距離まで近づくと、気流を強く感じる。

 龍自体が発熱しており、寒さは感じられない。

 どちらも残存する膨大な魔力によるものだろう。


「行くぞ」


 己を鼓舞するためくどいほど口に出して、私は、第一歩を踏み出した。

 ……降り立った龍の体表は、思いがけない感触を返してきた。

 ゴツゴツとした皮と、その上を覆う強靱な鱗。

 しかし、実際に踏みしめてみると、どこか柔軟性すら感じられ、いやが上にも生物としての感触が与えてくる。


 ルルミを除く全員が顔をしかめたが、止まるわけにはいかない。

 進む。

 前へ、前へ。


 すぐに、天を衝く林のようなものが見えてきた。

 〝背びれ〟である。


「剣のようですね」

「事実、触れれば手袋など容易く切り裂かれるだろうよ。古の名剣などより、よほど鋭利だ」

「ひぇ……」


 怯えたようにするエンネアらしきもの。

 だが、内心では私の方が震え上がっていた。


 足下は、前に進むほど傾斜がきつくなっている。

 もしもどこかで足を滑らせ転がり落ちたなら、途中で背びれへと激突し、胴体が泣き別れするかも知れない。

 想像をたくましくするだけで、すくみ上がってしまいそうだった。


「とはいえ、背に上ってみて実感する。巨大龍は埒外にもほどがある」


 このサイズの生物など、地上にいるだけで神秘だ。

 巨体でありながら自重で崩壊することはなく、移動速度も馬より速い。

 これが大陸を横断してたときのことを思い出すと、怖気が走る。


 しかし、そんな震えとは対照的に、私の身体は火照りつつあった。

 歩を進めるたび、身体が熱を帯びていく。

 額には汗が浮んで、服の中が蒸れる。

 山登りといえば寒さと思い込み、警戒を厳としていた私たちは、ここで一つ面食らうことになった。


「防寒着、要らなかったのではありませんか? 『秘湯への招待券! ただし全裸を希望』という感じで」

「気持ちはわかるがな」


 確かに、龍の表面は暑い。

 魔力がねじ曲げた気流の所為だろうか。

 あるいは、死してなお体熱を発する巨体の仕業か。


 兵士達の中には、服をはだけて汗を拭う者までいた。


「総員、適宜水分を摂取。だが、なるべく節約してくれ」

「イエス、マスター」


 ルルミの返答は極めて実直だ。おかげで冷静さを保てた。

 半日ほど歩いたところで、地形に変化が生じた。

 気が付いた瞬間、全員が一方後ろに下がり、ルルミが私の前へと出る。


「総員、動くな。警戒態勢を維持」


 命令を発しながら、私は怯えていた。

 龍の体表に、うっすらとであるが苔に似たものが生えている。

 また、背が低く、短い葉っぱらしきものも点在していた。

 しかし、そのどれもが既存の植物とは異なり、奇っ怪な極彩色をしているのだ。


 龍跡樹海りゅうせきじゅかい

 龍からこぼれ落ちた植物の種が、近づく生物を全て捕食して完成する、龍災害の一つ。

 その原因、基点となるものが、そこにはあって。


「いや、しかし……」


 植物――仮に龍由来植物とする――は、こちらに反応する気配を見せなかった。

 至近距離だ。龍跡樹海であるなら、既に〝攻撃〟されている。

 だが、そうはなっていない。


 ほんの一瞬、脳裏をよぎる考え。


「ルルミ、私の頬を力一杯張れ」

「御意」

「――ぐっ」


 一切の躊躇なく、頬が張り飛ばされる。

 意識がたわんだが、それでも私にとっては必要なことだった。

 踏ん張り、勢いよく頭を垂れる。


「すまない、ルルミ。私はあれらの龍由来植物を調べようとした。そうして、安全であると仮定を立て、おまえに触れるよう命じるところだった。許せとはいわない、もう一度でも二度でも殴ってくれ」


 怯懦きょうだの末だった。

 自分では触りたくないという無意識が、彼女を犠牲にしようとしたのだ。

 許されることではない。

 しかし、当のルルミは首を振ってみせる。


「いいえ。マスターが必要と判断されたなら、わたしが異議を唱えることはありません。この命、すでに捧げております」

「……そうか」

「はい」


 ひたすら真っ直ぐな視線を向けてくる彼女へ、私はもう一度頭を下げた。

 それから、彼女の手を取る。

 年若くも硬い、火傷の残る手を。


「マスター」

「ルルミ」

「……盛り上がっているところ悪いのですが、結局どうするのですか? 登山は中止? 『命をかけた大遠征! ただし致死率十割』という様子にしか見えないのですけど」


 ルルミとの間に割って入ってきたエンネアが、そのようなことを言う。

 確かに、これが通常の龍由来植物であれば、この先に進むだけで部隊は全滅するだろう。

 なにせ龍の体表はここから全て、件の植物に覆われているのだから。


「だが、恐らくは問題ない」

「マスター!」


 珍しく声を荒らげるルルミには悪いと思いながら、私は近くにあった龍由来植物へと触れた。

 通常ならば自殺行為。

 しかし。


「え?」


 部隊の誰かが喫驚の声を上げる。

 植物は、何の反応も示さなかったのだ。


 襲いかかってくることも、胞子をまき散らすことも、私の手が溶けて消えることもなかった。

 つまりは、そういうことなのである。


「これらの植物と龍は、おそらく一種の共生関係にある」


 龍から魔力が供給されている間、植物は大人しくしている。

 一方で、砲撃や魔法を受けた衝撃で、龍から種子がこぼれ落ちると、瞬く間に大地を汚染し繁殖を始める。

 それは、あたかも。


「あたかも、人間に攻撃されることを意図したような生存戦略なのだ。自然に発生するものではない」


 まるで誰かが誂えデザインしたような――という言葉は飲み込んだ。

 重要なのは、いまのところ無害という事実だ。


「先へ進もう。私たちには、時間がない」


 振り返り、皆へと訴える。

 特に、エンネアの姿をした埒外存在に。


 こんなところで臆していられるものか。

 私はおまえから、幼馴染みを取り戻さなければならないのだ。


「行こう」


 強い情念を込めて吐き出す私の言葉に。

 全員が、何かを察して頷いてくれた。

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