断章 黄金の日々、そのはじまり

私たちは出会い、そして恋をした

 昔話をしよう。

 巨大龍が未だ伝説上の存在で、代わりに他国間で争いが起きていた頃。

 まだ私――ヨナタン・エングラーが、幼い子どもだった頃の話だ。


 私は、ハイネマン辺境伯が主催する茶会に招待された。

 正確には父親の小間使いとしてである。


 なぜ、貧乏田舎の貴族が辺境伯に招かれたのかといえば、ひとえに父の人徳だったのだろう。

 彼は顔つきこそ冴えなかったが、頭は切れた。

 何か問題が起きたとき、多くの者がその知恵に頼っていたのである。

 同じようにバルグ・ハイネマン卿も、父を重用していた。


 さて、茶会は辺境伯のご子息、そのお披露目を兼ねていた。

 どんな人物であるか、大いに興味はあったが――と言っても、どれほど恐ろしい相手かを知りたかっただけなのだが――雑務を命じられ、呆気なく私は、席を外すこととなった。

 安心したというのが本音であり、父も配慮してくれたのだろう。


 用事を終えて席に戻る途中、とある木の下を通った。

 もしも違う道を選んでいたら、私のこの先歩むみらいは大きく異なっていただろう。


 木の下には一匹のヒナがいて、ピヨピヨと鳴いていた。

 どうやら、樹上に作られた巣から落ちてきたらしい。


 ヒヨドリのヒナだろうか?

 推察できたのには理由がある。

 助けようかと手を伸ばしたとき、黒い影が目前に飛び込んできたからだ。

 それは、親鳥であった。

 ヒナを守るように親鳥は私をつつき回し、また空へと登っていく。


 参った。

 手出しはできない。

 しかし、放って置けばこのヒナはやがて息絶えるだろう。


「親を斬り殺しちまえばいいだろうが」


 悩んでいると、背後から物騒な言葉を投げかけられた。

 見遣れば、仕立てのいい服を着た少年がひとり、つまらなそうな顔で立っている。

 彼は腰の一振りを抜き放つと、口元を吊り上げてみせた。


「邪魔なものはのぞいちまえばいい」


 いくら何でも無法だと、白刃の輝きに怯えながら抗弁すれば、彼は少しだけ目を丸くして。


「驚いた。今日、俺に意見する奴がいるとはな。面白さに免じて教えてやるよ。この庭では、俺が法だ」


 刃を振りかぶりながらヒナへと近づいていく少年。

 私はすっかり腰が引けていた。

 どうすればいいのか、彼が言っていることが間違いなのか正しいのか、なにも解らず混乱していた。

 そんな時である。


「『快刀乱麻を断つ! ただし切るのは無実の囚人』ですね!」


 ヒナの前に、立ち塞がる不可思議なものがあった。


「あっ、ぶねぇ!?」


 それを断ち切る寸前で刃を止め、少年は困惑する。

 私もそうだった。

 なにせ、本当によくわからない何かだったからだ。


 茶色いボロ切れののようなものを大量に身に纏い、もふもふというか、横に着ぶくれした姿のなんらか。

 かろうじて見えている部分に人間の目があって、純白の髪の毛がこぼれて覗いている。

 少年が怒鳴どなる。


「死にたいのか、おまえっ」

「生きたいに決まっているでしょう!」

「!?」


 絶句した。

 私も、少年も。

 なぜなら、それは泣いていたから。


「あたしは生き抜きます。そしてこの小鳥さんたちにも、生き抜いてもらいます。窮地は、チャンスなのですから!」


 顔を被っていた布が取り払われる。

 現れたのは少女。


 端整な顔立ちのなかで、長い睫毛まつげがぱっとはじけ、涙が飛散する。

 私たちは息を飲んだ。

 涙に濡れて揺れる彼女の瞳は、月色の眼差しは、それはほどまでに美しく。


 ……次の瞬間、垂れ下がった鼻水によって台無しとなった。


「だから、殺しては駄目なのです!」

「……泣けば許されるってわけじゃねぇぞ。剣を抜いた俺の前に立ったんだ、相応の覚悟はあるんだろうな」

「あります」


 少女の言葉に、少年は「ほう?」と言葉を漏らした。その顔には、面白そうだと書いてあった。


「いったい、なんの覚悟だ?」

「あなたに、殺生せっしょうをさせない覚悟です」

「なに?」

「この小鳥さん……ヒナも、親鳥も、このままでは助からないでしょう。ヒナは餓えて死に、親鳥もこの場を離れなければ、やがて人に危害を加え除去される。違いますか?」


 少年は面食らっていた。

 どうやら少女が口にしていることは、図星であるようで。


「どうせ長くのないのなら、いま一緒に命を絶ってやろうと、あなたはそう考えたのでしょう、剣士さん?」

「……だからといって、おまえさんが命を捨てる必要は」

「『世界一の大魔法、ただし誰にも理解できない』」


 なんだって?

 揃って首をかしげる私たちに、少女が告げる。

 まるで、真理の託宣を行う聖人のように。


「生命は理屈ではない、ということです。なんとなく、咄嗟とっさに身体が動いたから。そんな理由で身を捨てようとするのが、人間という欠陥品なのです」


 意味がわからなかった。

 全てが支離滅裂だった。

 しかし、確実に彼女の訴えは、私たちへと響き。

 胸の奥から、熱く名状しがたい感情がこみ上げてきて。


「おまえは、異常が過ぎる」


 剣士の少年は、苦い顔で吐き捨て。


「危なっかしくて、見ていられん」


 刃を、鞘に収める。

 すると少女は、パッと笑顔になって。


「それは、あたしだっておんなじです。二人とも、とても危なっかしい。いいですか? 鳥さんからはあたしたちが巨人に見えるのです。ならば攻撃してくるでしょう。解るはずです。特にそこの、怖がりさんなら」


 少女の月色をした瞳が、私を捉える。

 問い掛けは真っ直ぐで、逃げ道はない。

 おまえが一番状況を理解できているはずだと言外に告げられて、私は頷くよりほかなかった。


「鳥さんは、人間の事なんて知らないのです。理解できないのです。だから、怖い」


 そうだ、解らないものは怖い。恐ろしい。

 私がそれを、誰よりも知っている。


 恐怖は身をすくませ、思考の幅を狭める。

 結局は、逃げるか過剰に攻撃的になるか、立ちすくむかしかできない。


 ……そうか、親鳥は子どもを守っていたのだ。

 私たちという、未知の脅威から。


「そこのところ、鳥さんにも解って欲しいのです。ほら、あたしは鳥ですよ? つまりは味方ということで」

 

 どうやら、彼女は鳥の仮装をしていたらしい。

 少年と顔を見合わせる。

 そこにはありありと、モンスターだろうと書かれていた。


「大丈夫ですよ、安心してください。きっとなんとかします。彼らと、あたしで。なんとでもして見せます。そう、なぜならば! 命は――希望なのですから」


 少女は闊達かったつに笑った。

 そうして、私たちにこう命じたのだ。


「もちろん手伝ってくれますよね? 答えが否でも、勝手に巻き込みますが」



§§



 私たちはあり合わせのズタ袋などで、少女と同じ鳥の仮装をすることとなった。

 この頓狂とんきょうな案は、驚くべきことに成功した。

 ヒナへと近寄っても、親鳥は攻撃してこなかったのだ。


「あとは、巣に戻すだけですね」


 いや、そうはいかない。

 ヒナを持ち上げようとする少女に、私は制止の声をかける。

 人間の臭いがつくと、鳥は育児を放棄すると聞いたことがあったからだ。

 そのままを告げると、彼女は目を輝かせ、


「すごい。あなたは物知りなのですね!」


 なんて、私の両手を取って飛び跳ねた。

 結局、棒と布を使ってヒナを包み、少年がどこからか持ってきたハシゴを木にかけて登ることとなった。


「俺がやろう。ひとまかせにするのはしゃくだ」


 卓越した身のこなしで少年はハシゴを駆け上がり、巣へ見事ヒナを届ける。


「どうだ!」


 自慢げに少女を見下ろす少年。

 しかし、私は彼の背後を指差すことしかできなかった。

 親鳥が、彼へと襲いかかったのである。


「うぉおおお!?」


 体勢を崩し、落下する少年。

 危ない!

 反射的に私は――そして少女も飛び込んでいて。


「いててて……」


 結果、三人仲良く擦り傷を負うこととなった。


「おまえたちが飛び込んでこなければ、俺はひとりで着地できた」

「意地を張らないでください、助け合いは尊いものです。己の弱さを認めることも同じように――」

「出来たと言った! なぜなら、俺は――いや、それよりも……面白い女だな、おまえ。どうだ、俺の婚約者にならないか? 好待遇で囲ってやるぞ?」


 突然少女を口説き始める少年。


「ないですね。鳥さんを殺そうとするような方、まして小鳥に負けるようなあなたには興味がありません。例えるなら『史上最強の暴君! ただし井の中の蛙』みたいな」

「なにぃ?」

「一方、あなたには勇気がなかった」


 月色の瞳が、こちらを見つめながら続ける。


「代わりに、なんとかしようという心はあったし、冷静に状況を見ていましたね。あなたは目がいい。臆病だから、相手のことを知ろうとするのです。それは、とても尊いことでしょう」

「……それに関してだけは同意見だ。俺が刃を抜いても意見をして見せた。今後が楽しみではある」


 二人から過分な言葉を受けて、私は何と答えたのだったろうか?

 よくは覚えていない。

 どうしてだか、少年が自慢げに鼻を擦り、少女が笑っていたことだけを覚えている。


 これが、私たち。

 ヨナタン・エングラーとルドガー・ハイネマン。

 そしてエンネア・シュネーヴァイスの、出逢いだったのである。


 私はエンネアの言葉を受けて、学者への道を志し。

 ルドガーは強さを求め。

 エンネアは、ただエンネアだった。


 かくて三者の道が交わって。

 黄金色の日々が始まって。


 巨大龍の襲来を以て、終わりを告げる。


 それでも、私たちは出逢いを後悔しない。

 無二の親友を得て、変わってしまったことを、快く思いながら。


 遠い。

 遠い昔の、話である――

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